記事一覧
I don't give a fuck
最近聞いている音楽といえばクレヨンしんちゃんのダメダメの歌が多い。
そうやってバランスを取っているフシがある。そういうものを聞いていると、徐々に別の音楽への切り口が開けてくる。
最近は、もうどうでも良くなったことが多い。
人のリアクションっていっぱいあるんだなぁと感じる。
だから何も気にしない。
友人関係や恋愛関係をとやかく言うつもりもないのでポジティブがいいに決まっている。
みんな前向きに、あ
Don't you even say you had enough
週明け。
毎日何かあるわけでもなく、ひたすら訓練、訓練、訓練。
モチベーションが中々上がらず、苦しい日々。
研修所に1人、肥満体型の女性がいる。パーソナリティは面白い。彼女が夏の暑い日に手持ちの扇風機を持ちながら研修所まで歩いているのを後ろから見た時にポエジーが、エピファニーが、湧き起こった。
彼女と母親が重なって見えた。
自分も客観的に見れば、そうだ。30歳にもなって新卒の人間たちと研修所に通
事実は小説より奇なり
を地でいく感じを人生は見せている。
そうじゃないと人生って面白くないという感じが自分にはあって、それが結果的に社会的に見て成功であろうが失敗であろうが、小説のような人生に自分の人生がなれたら、それはもう大満足な今生なのではないだろうかと感じている。
日記
平日
研修所で研修を受けている。
いよいよそれも佳境に入り、総合的な技術のコンペティションが行われることになっている。
しかし、自分は順
Z世代と昭和の世代の狭間で…
民族性というのは、あるとは思う。だが!それでひとまとめにするのはどうかと思う。
私が最近感じるのは、国籍や人種がどうってより、グルーヴの違いのみで色々語れるぞといったところである。
同じ日本人でも嫌な奴は嫌だし、それはアメリカ人でもアメリカ人の嫌な奴は嫌だし、っていうことがあるだろう。その多くはマイノリティが抱く意見のはずで、多数派であり保守的な人間にはこれは伝わらない話である。
しかし少数派で
分断の後は、皆カプセルを欲する。
ただ分断を生んでいるだけの自由。というものが存在する。
私は最近の所謂積極的自由と言われるものがwoke、意識高い系。とかその辺のカルチャーと一緒になって活動されているもの全てに距離を置いて自由に自分のことは決めて生きたい。つまり、酒は何時以降は飲むなだとか、週2くらいでジム行け。とか、肉食うなとか、別になんだっていいだろ。
そういうことを言う場合、保守と見なされるのだろうが、保守以外に何か適当な
言葉はモノフォニック
言葉というものは信じすぎてはいけないものだ。
頭が良い人は言葉を使うことに長けていて、理屈で押し通すこと、自分の正しさを証明することなどを使って権力を握ったり、あるいは人に言うことを聞かせたりなどをしている。
いわゆるインテリとされる階層の人たちのことだが、彼らは彼らで知性を持ってマッチョイズムを体現している。
インテリは大抵ガリ勉なので脳筋に暴力で屈服させられることを恐怖に感じているのでいつも理
芸術は爆発だという言葉が好きな人は承認欲求強め
まさに私もそうでしたといったような文章を読んだ。
きっとこの人も私と同じシャイのくせにプライドが高い人の一人なのだなと感じて読ませていただいた。
その文章の中には全ての人が表現活動をすればいいという話をしていた。こういう時期は私にもあったし、つい最近までそうだった。そして今もどこかでそう考えている。がしかし、これには幼稚で青臭い考えも混ざっている。
それは物語れない人たちは確かに存在していて、それ
掃除婦のための手引書
最近は会社の往復の時間を有効活用しようと思い、読書をしたり文章を書いたりしている。
人生のいわば大変な時期を抜け、落ち着いた日常の中にいるので今は他人がどうとか自分がどうとか社会がどうとかもかなりフラットに見れている。
我らが労働者の鑑エリックホッファーに始まり、今はルシアベルリンの短編集を読んでいるのだがこれが面白い。
やはり無名の労働者階級の作家にもフラットにスポットライトが当たるアメリカ
満たされていると人はこうなるのか
満たされていると出世には興味が無くなり、突然の喪失にも動揺することもなく、個人の豊かな幸福だけを追求することができる。
そして不動の身を手にすることができる。
このようなことを一昨日、何回目かのパターソンを劇場で観て思った。
主人公のパターソン夫婦は明らかに個人の幸福のみを追求している。
そしてその幸福感によって満たされた生活を送っている。
ラストは自身の作品の完全なる崩壊が待っているのだがそれ