Opus / 投票

昨日、109シネマズプレミアム新宿という場所まで行って、坂本龍一のOpusを見た。
音響設計に坂本龍一が携わっている施設とのことで期待して見た。
まず、映画館がいい。普通の映画館の2倍は料金を取られるが、高級感溢れるラウンジに通され、ポップコーンとドリンクは食べ放題で開演の1時間前から入場することが出来る。
歌舞伎町のど真ん中の商業施設内にあってその1階はなんともサイバーに解釈された日本が凝縮されたドラッギーなフードコートがあるのだが、そこに働いているカウンターの人を含めて、なんともSF的な世界観が広がっており、嫌いじゃなかった。行かないけどね。ただ外国人観光客も多く、賑わいを見せていた。
そんなビルの上階に存在するこの映画館は映画に4500円払う人しか来ないので落ち着いている。デートにも使えそうでいい感じである。
座席もゆったりしていて、腰を伸ばすことが可能な設計でありがたい。
私は価格に見合うサービスが提供されていると感じた。
全身ユニクロで楽しんだが、他のお客さんはいかにもお嬢様といったいでたちの人たちや、いい仕事してそうな人たちしかいなかった。
私は目立たぬように端の席に座ってゴジラの後頭部を見渡していた。低い曇り空が広がり、今にも雨が降らんとしていた。

映画の方はというと、物凄い録音方法であった。
まさにコンサートホールに今いるかのような音の響き、そしてマイクは坂本龍一の息遣いまでをも拾う。
ペダルの踏む音。これらはマイクでは拾わない。だが、拾う。それらは普通のコンサートではノイズに当たる。坂本龍一はノイズも音楽の中に入れる。
私は前日のアルコール摂取により胃腸の調子が良くなく、はっきり言って漏らしそうな場面がいくつかあった。が、私はそこで退出しない。なぜならそんな空気でも無かったからだ。だから私はそれを、教授の痛みと身がさねして視聴するということを行なった。
するとどうだろう。彼の当時置かれていた苦しみ。運指すら困難な状況の中で演奏し、自分の精神世界を表出し、大好きなピアノの響きを響かせ、その上で自分の最後になるかもしれない作品を自分が弾けるチャンス。この諸々の感情をないまぜにさせて表現していく演奏は恐れ入る。
途中、ミスが続き、納得が行かない演奏をし、もう一度やろう。と言う曲があるのだが、これがいい。とても苦しそうな表情でピアノと対峙する。うまくいかない。何度も同じフレーズをやり直す。
しかしこれを世に放つ。そう。これでいい。
音楽はグルーヴとその場の空気感がパッケージ出来ていないといけないのだ。
私はというと、身を悶えながら、肛門の筋肉を使ってなんとかブツを引き留めていた。なぜ上映中にこんな腹痛に襲われなくてはいけなかったのか。
これはまさに神から与えられた試練ではなかろうか。
なぜ上映前に催さなかったのか。それはまさに身がさねをする特訓を神が与えたのではなかろうか。
まさに腹痛が治まって快が来るのはメジャーの響きの時であったし、マイナーで低くうねるようなフレーズを坂本龍一が弾いている間は自分も踏ん張っていた。

観賞後、わかったことといえば、この坂本龍一という人生の悲喜交々をまさに見せられたような気がした。
まさに人生は短く、芸術は長い。このことを証明する偉大な音楽家の一人である。

しかしどうもこのような作曲家になる人が少ないように感じる。Bandcampでもなんでもいいから何か作曲家は作品を残してくれないだろうか。日本国内の作曲家の発見が何にも行われていない。

今現在興味あることといえば、いわばもう東洋も西洋も無いということだけだ。西洋と東洋を分けて考えるとステレオタイプが横行する結果になる。しかし中国も日本もすっかり西洋化した中で西洋に比肩するクオリティを見せるのは難しくも感じる。
誰が誰にどのように影響を受けたのかを考慮しながら鑑賞や創作を行うことの方がより良い。という現代的な風を読んだ方が良い。
今ではK-POPアイドルが日本のステレオタイプを表現しまくっている。Newjeansだ。村上隆的なアイコン。90sのファッション。シティポップや歌謡曲のカバー。日本の過去にあって現在世界に波及しているものをお隣の国がカバーしまくっている。
今はもう日韓でどうのこうのっていう時代でもない気がする。それを若者はよくわかっている。同じアメリカ51番目の州として世界の中で頑張っているのだ。(これにはドイツも。プーチンによる我々への批評は正しいと感じざるを得なかった)

とにかく暑く、蒸し暑く、どこにも寄らずに帰宅した。ゲリラ豪雨が降っていたようで、観賞後は涼しくなっていたが。
そして一曲作った。坂本龍一の声と家の外の音を曲の中に入れた。

毎週末になると、隣家の娘さんがピアノの練習が午後に始まる。私はそれを録音するのが好きだ。
たまにものすごいダイナミックな決まった演奏をする。
それを外の環境音とともに録音し、自分はサンプルを使ってセッションをしている。
それがすごく楽しい。

隣家は私たち一族と同じ労働者階級の出身で、といってもこのあたりは戦前から商店街が昔はあった。だからこそ皆等しく貧乏であり何かしらの商売を営みながら子どもをいい大学まで行かせるという、高度経済成長に見合った近所の張り合いがあったそうだ。
隣家はその近所の中でも優秀ではあったそうなのだが、息子を一流大学まで行かせた。そして外交官になり、外国人の妻を貰って実家を建て替えた上で白人とのハーフの娘を一家で育てている。(場に相応しくない注文住宅が建っている)
たまに庭で完全英語のパーティをやっているのが嬉しく思う。

投票に行ってきた。
私には子どもがいないが、子どもを持つ家族や子どもたちに対して優しい政治が行われることを願う。
そのことで税金が使われれば子どものいない独身の国民も自分たちが子どもを育てているという自尊心を育むこともできるんじゃないだろうか。
安全で安心な生活の保障を何よりも求める。

アルバム2枚分の曲が出来ている。出してくれるところを探そう。無ければ、自費で出版します。
このことの意味がわかるだろうか。私は世間に問いたくなった。自分の作品をどう思うのかを。

最近は曲をまた買うようになっている。
レコードは本当に欲しいものだけ。データは毎週何曲か、またはアルバム1枚。くらいの感じで買っているがちょうど良い。
またDJが出来ればいいなと最近思っている。新しいアプローチでやりたい。

明日からまた仕事。嫌だ。けど行かなくちゃいけない。

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