Evan Hoff

I'm a man chopping yen

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最近の記事

もういいかな〜

今日もまたうだつの上がらない日だった。 とはいえ、やりたい放題だったので訓練とはいえどずっと同僚と喋っていた。ストレスはない。 今週末の相談を彼女とする。遠距離だから判断に迷う。結果、また彼女の家に行くことにした。彼女の喜ぶ顔に癒される。 そして今後の話。友人たちと会話してわかることがある。 方法・選択肢はpositive vibesを選んでいけるということ。それしか興味が無い。 おそらく私の作風はまた変わるだろう。 それがどうなるのかは自分にもわからないが。 もっと素朴

    • Don't you even say you had enough

      週明け。 毎日何かあるわけでもなく、ひたすら訓練、訓練、訓練。 モチベーションが中々上がらず、苦しい日々。 研修所に1人、肥満体型の女性がいる。パーソナリティは面白い。彼女が夏の暑い日に手持ちの扇風機を持ちながら研修所まで歩いているのを後ろから見た時にポエジーが、エピファニーが、湧き起こった。 彼女と母親が重なって見えた。 自分も客観的に見れば、そうだ。30歳にもなって新卒の人間たちと研修所に通っている。ヤバいやつに見えるだろう。 今日なんかは本当に身体が重く何する気も起き

      • 事実は小説より奇なり

        を地でいく感じを人生は見せている。 そうじゃないと人生って面白くないという感じが自分にはあって、それが結果的に社会的に見て成功であろうが失敗であろうが、小説のような人生に自分の人生がなれたら、それはもう大満足な今生なのではないだろうかと感じている。 日記 平日 研修所で研修を受けている。 いよいよそれも佳境に入り、総合的な技術のコンペティションが行われることになっている。 しかし、自分は順位というものに全く興味がなく、またプライドもないため、低め低めを狙っている。 そ

        • 私は母と同居している。 彼女は旦那aka私の父に全ての人生を捧げていた。 父が亡くなって4年が経つが彼女の精神状態は安定してきた。 父の死後彼女は旅行に行けてない。行くとしたら彼女の実家でそれも母の父aka私の祖父の面倒を見るだけの用事である。 そもそも父の生前も父が精神病や白血病を発病してからほとんど旅行に行ってないのではないだろうか。 父の生前に遺された最後の日記には、奥さんaka私の母への心配の言葉のみが遺されていた。 内容は、彼女が心配であるということ。これまで一度

        もういいかな〜

          Z世代と昭和の世代の狭間で…

          民族性というのは、あるとは思う。だが!それでひとまとめにするのはどうかと思う。 私が最近感じるのは、国籍や人種がどうってより、グルーヴの違いのみで色々語れるぞといったところである。 同じ日本人でも嫌な奴は嫌だし、それはアメリカ人でもアメリカ人の嫌な奴は嫌だし、っていうことがあるだろう。その多くはマイノリティが抱く意見のはずで、多数派であり保守的な人間にはこれは伝わらない話である。 しかし少数派でも嫌な奴というのはいるので、これはやはりグルーヴの話ってことでいいだろう。 し

          Z世代と昭和の世代の狭間で…

          分断の後は、皆カプセルを欲する。

          ただ分断を生んでいるだけの自由。というものが存在する。 私は最近の所謂積極的自由と言われるものがwoke、意識高い系。とかその辺のカルチャーと一緒になって活動されているもの全てに距離を置いて自由に自分のことは決めて生きたい。つまり、酒は何時以降は飲むなだとか、週2くらいでジム行け。とか、肉食うなとか、別になんだっていいだろ。 そういうことを言う場合、保守と見なされるのだろうが、保守以外に何か適当なことはないのだろうか。子どもたちの明るい未来を願っている派。とか。 自由を獲得す

          分断の後は、皆カプセルを欲する。

          Opus / 投票

          昨日、109シネマズプレミアム新宿という場所まで行って、坂本龍一のOpusを見た。 音響設計に坂本龍一が携わっている施設とのことで期待して見た。 まず、映画館がいい。普通の映画館の2倍は料金を取られるが、高級感溢れるラウンジに通され、ポップコーンとドリンクは食べ放題で開演の1時間前から入場することが出来る。 歌舞伎町のど真ん中の商業施設内にあってその1階はなんともサイバーに解釈された日本が凝縮されたドラッギーなフードコートがあるのだが、そこに働いているカウンターの人を含めて、

          Opus / 投票

          言葉はモノフォニック

          言葉というものは信じすぎてはいけないものだ。 頭が良い人は言葉を使うことに長けていて、理屈で押し通すこと、自分の正しさを証明することなどを使って権力を握ったり、あるいは人に言うことを聞かせたりなどをしている。 いわゆるインテリとされる階層の人たちのことだが、彼らは彼らで知性を持ってマッチョイズムを体現している。 インテリは大抵ガリ勉なので脳筋に暴力で屈服させられることを恐怖に感じているのでいつも理論武装をしているように感じる。 今の社会ではインテリであればあるほど収入が高い社

          言葉はモノフォニック

          芸術は爆発だという言葉が好きな人は承認欲求強め

          まさに私もそうでしたといったような文章を読んだ。 きっとこの人も私と同じシャイのくせにプライドが高い人の一人なのだなと感じて読ませていただいた。 その文章の中には全ての人が表現活動をすればいいという話をしていた。こういう時期は私にもあったし、つい最近までそうだった。そして今もどこかでそう考えている。がしかし、これには幼稚で青臭い考えも混ざっている。 それは物語れない人たちは確かに存在していて、それは共感能力が低いと言えるかもしれない。何もその方達がいけないだとか、悪いだとか、

          芸術は爆発だという言葉が好きな人は承認欲求強め

          5/25

          0525 今日は変なパーティーに行った。 久々の人もいた。 結構ベロベロに酔った。というのも今日は仕事で泥のように疲れてしまったためであり、ストレスを発散させるためにアルコールを摂取していたからだ。酔いたい気分というのはある。アルコールはそういう時に笑って手招く。少しの酩酊感が楽しめるようになったのはここ最近だ。 才能なんて本当にくだらない基準だし、今は知性のある人が天才に見られがちだが、果たしてどうだろうか。 センスのあるなしはあるにせよ、才能は誰にだってある。能力の指

          5/23

          ニューエイジ/アンビエントミュージックをヒップホップスタイルでやることにした。そしたらサイダーのような音楽になって面白くなると思う。わかんないけど。早速明日からやってみようと思う。 aftersunは忘れられないいい映画だ。大きなドラマがあるわけではないが、終わった後に茫然とする映画。 先日デートした女性から連絡が来ている。正直もう興味ないかもしれない。 私は大体会った瞬間にわかるのかもしれない。会って4時間後には特にロマンチックな出会いでもないのになんでこんなことしてん

          掃除婦のための手引書

          最近は会社の往復の時間を有効活用しようと思い、読書をしたり文章を書いたりしている。 人生のいわば大変な時期を抜け、落ち着いた日常の中にいるので今は他人がどうとか自分がどうとか社会がどうとかもかなりフラットに見れている。 我らが労働者の鑑エリックホッファーに始まり、今はルシアベルリンの短編集を読んでいるのだがこれが面白い。 やはり無名の労働者階級の作家にもフラットにスポットライトが当たるアメリカという国が面白い。 米国名物セレブリティというのはやはりバカがバカを見て楽しむだ

          掃除婦のための手引書

          満たされていると人はこうなるのか

          満たされていると出世には興味が無くなり、突然の喪失にも動揺することもなく、個人の豊かな幸福だけを追求することができる。 そして不動の身を手にすることができる。 このようなことを一昨日、何回目かのパターソンを劇場で観て思った。 主人公のパターソン夫婦は明らかに個人の幸福のみを追求している。 そしてその幸福感によって満たされた生活を送っている。 ラストは自身の作品の完全なる崩壊が待っているのだがそれは日本人が偶然現れることにより彼の詩作の新たな一ページが書かれることによって更新

          満たされていると人はこうなるのか

          20230509

          各国色々と大変である。 我々も大変であるが。 やはり世界中で格差が広がるのは避けられないと思う。 今の若い世代はそれでもまだ優遇された生活を送れているのではないか、日本は踏ん張っている方なのでは?という気さえしてくる。 今の40代から若い世代はもう逃げられないところまで来ているのだろう。トリクルダウンは起きない。普通の基準がどんどんと下へと下がっているのを感じる。 良い小説を読みたいなと感じる。 何かないでしょうか。 最近の制作は思うようにうまくいっていない。日々の疲れや

          因縁 / 楽園

          因縁を最近はよく考える。 因果という言葉があるように偶然物事は起こり、そして偶然その結果が生まれる。生まれたら死ぬ。覚えると忘れる。出会うと別れる。このように物事の因果関係というのは常にセットになる。 その間にあるのは縁というもので、それはよく運命のように解釈される。 よく物語でも運命は変えられる。とか大言壮語でそこがテーマになったりしている。 縁というものは個人の主体が選ぶ、選び取ることが出来る。 運命というと決まっている感が強いのだが、どうだろう。 東アジアの宗教観では、

          因縁 / 楽園

          奥にいる紙一重

          まさに紙一重な人が好きだ。自分がそうだからかもしれない。 ある大学教授がTwitterにて紙一重な人間は学校を中退したり不登校であったりすると。常人離れ、変人扱いを受けたりするということである。 そういう人こそ面白いことを考えている。 これには膝を打った。自分も学校に通えず困っていた。だが、通わなかったら通わなかったでそこには豊かな人生が待っていた。同じような紙一重の人が私の歩む道に先導するかのような形で先立ってそこにいた。そしてそういう人は類は友を呼ぶような形で結束を深め

          奥にいる紙一重