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今日は変なパーティーに行った。
久々の人もいた。
結構ベロベロに酔った。というのも今日は仕事で泥のように疲れてしまったためであり、ストレスを発散させるためにアルコールを摂取していたからだ。酔いたい気分というのはある。アルコールはそういう時に笑って手招く。少しの酩酊感が楽しめるようになったのはここ最近だ。

才能なんて本当にくだらない基準だし、今は知性のある人が天才に見られがちだが、果たしてどうだろうか。
センスのあるなしはあるにせよ、才能は誰にだってある。能力の指向性のようなものじゃないだろうか。手先が器用でも勉強がダメな場合だってあるし、その逆も然り。勉強が出来るから頭がいいという基準はエリートの世界でしか通用していない。
あるパラメーターの一角でしか人を見れないというのは致命的だ。人はもっと多角的で、色々なドラマがあってここに在る。

クラブに入った瞬間安心した。鳴ってる音はよくわからなかったが、惨めな気持ちが大きな音とアルコールによって浄化されていった。

自分は何者なのかについてはあまり興味がないが、どっちかというとアメリカ人っぽいのかなと思えてきた。雑だし。

Newjeansの新曲「How Sweet」いい曲だった。
OOHYOを聴いているみたい。でもやはり1stの衝撃を超えられない。

ドロドロに疲れた日は発散したいと思い帰宅後曲を作ってみたらうまくいった。もうグリッドにも沿うつもりもないし、クオンタイズするつもりもない。酩酊感を大事にして思い切ってやる。自分のグルーヴは自分で作る。
音楽は律動する瞬間がある。そういう時は間違いなく、音楽そのものから自由になっている。最近思うのが音楽はぐちゃぐちゃにすればいいってものではない。私が思う音楽の定義は、グルーヴに最もプライオリティが置かれている。

Sam GendelとSam Wilkesのアルバム新しいのでてた。最高すぎる。

暇で暇でしょうがない人が人が来るのを待っているだけだとその場は妙に辛気臭い場所に成り代わる。
辛気臭い場所というのは空気が澱んでいる感じ。ここには人たちが醸し出すオーラのようなものが関係しているかと思う。

明日はステーキを食べよう。牛肉の赤身を食べたい。

0526

ステーキ食べた。
美味かった。
今日は制作。
3曲ほど出来上がる。

0527

いつもの喫茶店で食事。図書館に寄って別のルシアベルリンの作品集を借りる。掃除婦のための手引書のあとがきに書かれていたように、彼女の表現には孤独が張り付いている。そこにある種の諦念とコミカルさ、ままならなさや悲哀を受け止めた文体になるのだなと。この人の話の締め方が大好きだ。フッと、いなくなるような感じ。
あとこの人は芯に不良性があるのがいい。不良性のない物語は退屈するだけである。

チャックテイラー注文する。早く履きたい。

友人のパーティーに行く。みんないい感じ。
みんな頑張れーって感じ。
その後は某所へ移動する。
お酒が美味しかった。

振り返ると、しっかりリフレッシュ出来ているようで安心。
自分にはご褒美を与えつつ、甘えさせてやるのがミソだ。
自分に対して罰を与えるなんて間違っている。自分を否定しても何にもならない。むしろ悪い結果ばかりを生む。


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