Z世代と昭和の世代の狭間で…

民族性というのは、あるとは思う。だが!それでひとまとめにするのはどうかと思う。
私が最近感じるのは、国籍や人種がどうってより、グルーヴの違いのみで色々語れるぞといったところである。

同じ日本人でも嫌な奴は嫌だし、それはアメリカ人でもアメリカ人の嫌な奴は嫌だし、っていうことがあるだろう。その多くはマイノリティが抱く意見のはずで、多数派であり保守的な人間にはこれは伝わらない話である。
しかし少数派でも嫌な奴というのはいるので、これはやはりグルーヴの話ってことでいいだろう。

しかし最近私も人間性の角が取れたのか、次第になんでもいいと思うようになってきた。
全てなんでもいいし、どうでもいい。

人間のやることなんて本当に変わらないのだと。

最近私はAIを駆使している。
自分で検索をかけるよりその思考の先までやっといてとお願いすると精度を保ってやってくれるからだ。これは多くの人間の専属のコンシェルジュになる。それぞれの。だ。
だから映画HERの未来はそう遠くなく訪れるだろうと思っている。
今や新入社員のメールの返信の多くは、ChatGPTにより生成されている。(だから紋切り型の意味不明な定型文は意味を為さなくなっている)

そうなってくると昭和の人間が編み出した、会話を複雑にすることによって人間できているかチェックを軽々乗り越えることが出来るし、そのことによって失われた情感なんかはZ世代は短歌を作ったりそういうところで発散しているように思う。

Z世代はなんでもキャンセルすることが出来ると思っているフシがあるが、それはあまりに甘すぎる。
自分に嫌なものは全てキャンセルできるほど世の中甘くなっていない。ただ、全てのハラスメントには反対する立場は表明する。
このことによって困るのがハラスメントで生活してきた昭和の人間たちだ。彼らは今コロナ収束後の世界で生きるか死ぬかの瀬戸際を戦っている。
恐らくもう影響力は無くなり、どうすればいいのかわかんなくなっているのが本音だろう。
そんなもの、死んでしまえば良いだろう。と思う。過去どれだけの人間がハラスメントにより苦しんだだろうか。
圧倒的な実力不足が原因であることに自ら蓋を閉めて他者を脅したり言いくるめたりすることによって自分の地位を確保することしかできなかった人間たちの断末魔はあと5年もすれば世界に響き渡るだろう。そして私はその断末魔を用いて曲を作る。

が、Z世代のインフルエンサーも厄介だ。
SNSの扱いがうまく、顔が良ければ、教養が無くても金が貰える。
今やルッキズム全盛の時代なので顔貌が資本となりつつある。

しかし人間の持つ、ものをプロデュースする能力というのは顔貌に関係なく割り振られていく。
であるから顔貌が良い人間が平気でダサいものも作っちゃう。が、ダサい人間がそれに釣られてダサい人と同じ格好をしたくなってついついその服が売れたりする。
ダサい人間がダサい人間を生産していくので、今世界はダサい感じになっている気もする。
SNSはアルゴリズムによってダサいインフルエンサーをダサいと叫弾しているポストはそのダサい客には見せることはない。永遠にポジティブなフィードバックのみを得られる。

本当の実力者はそれでも浮かび上がってくるものであるし、本当の鑑賞眼や批評眼を持つ人は減らないと感じているのでその心配もないが、やはりこの国にはもう金が無いのだとしか思えない状況が続いている。
金と教養が無いから、発掘できない。

例えば、インフルエンサーと今はまだ技術は無くとも川久保玲並の才能を持ったデザイナーがいたとして、企業や資本家はどちらに資本を注入するだろうか。当然リスクを冒したくないので客の数が計算しやすいインフルエンサーだろう。

才能はどのように発掘されるかといったら、発掘する側の絶え間ない投資によって成り立つのである。つまり、足で稼ぐしかない。
現代では育った才能を上が買い取る形が多い。庶民に消費の決定権があるといえばそれはそれでポジティブだ。
承認欲求お化けたちの森を分け入って最後の最後の秘境にそういった手練れ、才能たちは集まっているわけで、その労力を今の企業や文化は惜しみ過ぎている。
なぜなら金がないから。

金がないから、金さえくれりゃああとはどうだっていいよ。そこに理念や理想など、無くたっていいんだよ。
それで文化が育つとは到底思えない。
君が好きだ。という一言はステータス諸々込みの話ではない。好きになってしまったから、なんらかを贈与させてください。という、もう祈りの領域のはずなのだ。今はもうガキまでもがそういった贈与の形の愛というものを知らない。意味があるのか、ないのか、ステータス的にどうなのか。そういったもので判断しあぐねているうちに勝手に行き遅れになって焦っている。アホだ。

特に今後はAIが影響力を持つことによってどうでもいい部分での個性の発露はAIが担う。
人として一番大事なところの部分においては時間と金と労力をかけなければ発見することができない。

本当に面白い人って奥にいて、隠れているものなのである。

顔がいいことも頭がいいことも、現代ではそれが資本に繋がっているだけであり、いわばただの人間の一つの特徴にすぎない。
その点を過大評価し過ぎである。


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