満たされていると人はこうなるのか

満たされていると出世には興味が無くなり、突然の喪失にも動揺することもなく、個人の豊かな幸福だけを追求することができる。
そして不動の身を手にすることができる。
このようなことを一昨日、何回目かのパターソンを劇場で観て思った。

主人公のパターソン夫婦は明らかに個人の幸福のみを追求している。
そしてその幸福感によって満たされた生活を送っている。
ラストは自身の作品の完全なる崩壊が待っているのだがそれは日本人が偶然現れることにより彼の詩作の新たな一ページが書かれることによって更新される。

主人公のパターソンは自分なりに完全に構築された生活サイクルの中にいる。そのことに対してパートナーであるローラは一切口を挟まないことこそパターソンが彼女を愛する理由の一つであると言えるし、ローラはローラで好きに生きている。
アメリカと日本の家族観は微妙に違う。アメリカ人は親子でも個人として考え、自立ということがどういうことかが日本とは違う。
これは建国の歴史が多数の無名の移民労働者によって為されたという特異な歴史から来ている。
個人の為す優秀さが技術力や生産力を底上げしてきた。
アメリカはとにかく個人の意見が優先され、家族というのがある種個人の支えと機能し父性的な一面を覗かせる。
日本は母性が強い。これはどっちがいいとか悪いとかの話ではないが、日本人の家庭は必ず大学卒業まで子どもを行かせるという気概を見せる。社会人になるまでは贅沢の限りを尽くせるようにと親は資金の援助を施し、子が就職したら支援することを終え、子が自分の給料で生活を送れることを自立と見做している。つまり精神的自立よりも経済的自立が先んじている。

親は私たちのように苦労しないように。あるいはこの苛烈な競争社会で負けることなく生きていけるように。という願いを込めて教育に金をかけ、一人前に育てようと躍起になっている。つまり自分よりいい暮らしをしてほしいという願いを込めて子を塾に通わせている。
しかしこれが母性のネガティブな面の表出である。
私自身、母親による熱心な教育によって一定の知性を幼少の頃より積み重ねることはできたが、18歳の時にこのまま生きて一流の企業に入っても私の幸福は一切手に入ることがないと予測できたその瞬間から所謂母殺し、両親の因果を超える修行のようなものが始まり、今はもうその通過儀礼を通り越し精神的自立を経て、母親を一人の人間と見做すことができた。

果たして、いい大学に入り、いい企業に入り、安定的な生活を送ることが子の幸福に当てはまるのだろうか。
子ども自身が考えた幸福の追求を温かく見守ることくらいしか親は出来ないはずだし、子ども一人一人の幸福の形を手にすることができた瞬間を見守ることさえできれば、親はやっと一安心することだろう。
それが何なのかは子どもによるのだ。
決してエリートになることが個人の幸せのためになることではない。その考えは富国強兵を唱えた明治時代の時代遅れの政治家と同じである。

特定の型にハマることなく自分の幸福の形を手にしている人生は何にも変えがたく自由でありそれ自体が僥倖であり満たされている。
であるから何も他人を非難したりだとか蔑むこともなくなってきた。
つまりマズローの人間の5段階欲求のさらに上、自己超越の欲求に肉薄してきた。こういう感じになるともはや他人が何してもいい感じに思える。
そしてさらに近しい友人たちが生きて、生活しているというそのこと自体がものすごく愛おしく思える。

私はパターソンを鑑賞して以降、ずっとパターソンのように生きていけたら。と考えながら生きてきた。そして、それには様々な人生の経験と時間が必要だと考えていた。自分もそこそこ年齢を重ねてきてようやくここまできたかと感慨深い。
私のPCのHDDが壊れようが、確かに多少は凹むが、また作品を作ればいい。と思えるだろうし。

芸術、でなくとも何らかのものを追求すると必ずぶつかるのが孤独であるということである。圧倒的な孤独がそこには横たわる。しかしその孤独に負けずにいると世界と共鳴しだす。自分の作品が世界に伝わって孤独でないことが証明される。
大多数の人間がそこで労働とsexに負けることになる。

全ての人間が一流である必要がない。私は誰なのか。それを知っていることの方が重要である。そしていずれは私そのものとして生きてゆくことを理解すること。
そして個人が経験した不幸さえもそれが今の自分を作るかけがえのない個性であるということ。という観念がその人をその人たらしめている要素の一つであることは間違いない。
これは父親の喪失を以って感じた。

家族は子育てゲームの執り行いではなく、家族は家族として、集団で乗り越えていかなくてはならないイベントがある。それは決して幸福なことだけではない。むしろ不幸がその人それぞれの家族観や人生観を形成する材料になる。
私の家庭は特殊であったので、私と親含め不登校を経験した人間が親戚に6人いる。完全に外れ値を叩き出しているがそれすらも誇らしい。
そして私の家庭の家訓。自分の頭で考えてさえいれば先生の指示は従わなくてオッケー。という素晴らしい家訓の元育てられた。

伸び伸び育てられた結果、私は私そのものとして生きることができている。

パターソンは無名の数々の労働者たちが詩を書いたりすることによって、文化が成り立ってきたことが作中パターソンの口からも語られる。
そして地元のスターになり、記念館が作られたり通りの名前になったりする。
アメリカは本来とても素朴な国である。
優秀な金稼ぎアニマルの多数の流入により彼らの幸福が壊されていることを監督は危惧しているのではないか。

今日は早く寝たい。

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