奥にいる紙一重

まさに紙一重な人が好きだ。自分がそうだからかもしれない。

ある大学教授がTwitterにて紙一重な人間は学校を中退したり不登校であったりすると。常人離れ、変人扱いを受けたりするということである。
そういう人こそ面白いことを考えている。
これには膝を打った。自分も学校に通えず困っていた。だが、通わなかったら通わなかったでそこには豊かな人生が待っていた。同じような紙一重の人が私の歩む道に先導するかのような形で先立ってそこにいた。そしてそういう人は類は友を呼ぶような形で結束を深めていった。
そういう人は特に金があるわけでも、地位があるわけでもなかったのだが、魅力的で面白かった。アカデミックな人の誰よりも面白かったり、含蓄があったり、直感で知性の質の高いところまでたどり着けているのだ。
私はEric Hofferに心酔していることもあり、まさに労働者階級の中にいる紙一重な人たちが大好きだし自分もきっとそうなのだろうと思って生きている。
私はこのような紙一重を「奥にいる人」と自分では解釈していた。
不器用だけどものすごい魅力を持ち、奥で微笑んでいる。
そういう人たちはSNSでは積極的に発言するわけでもないからたどり着きづらい。しかし、自分がただそこに存在しているようにただ在るということを続けてさえいれば不思議と出会い囲まれるようになる。
妖精のような人たちはよくぞここまできたと言わんばかりに祝福してくれる。彼らは彼らで社会的に見たら負け組とされることなのかもしれない。だが、人間は勝ち組か負け組かなんかで簡単に分けられるものでもなく、その二組を隔てる境界線のようなものはあくまで現代の思想に沿った社会という物差しで測ったものに過ぎない。
であるからこそ、狂ったような人生の歩み方をしている人も多いのだが、いわば落伍者のような人たちは一切の社会的な常識は通用しないため、他人を縛り付けることを嫌う。
…と、思っていたのだが、そういう奥にいる人でも平気で縛り付けようとする人がいたのも事実。愕然としたのだがこれにはやはりその人の予後が悪過ぎたということもあろう。
不機嫌でいるというのは立派な暴力であるため、自分が言いたいことはしっかり伝えなければならない。

奥にいる人はどの地域にも存在している。彼らに触れるにはただひたすらそのように引き寄せるしかなく、そのためには彼らのようにただ居ることによってふと出現されるようになる。彼らに社会の常識や現代の慣習を引っ張って諭しても不思議な顔されるだけなので常人には常人のマスクを被るのでそこを見抜くための眼力も必要になってくる。

この社会は自責の念を持つことを強要される。
社会を憎むことさえ罪なのだ。お前が勉強してこなかったのが悪いだの、環境は変えられるだの。実際ブツクサ文句を言っている人間というのは見てて痛々しい。ではあるが、全て自分のせいですよと社会や周りから言われて病まない人間などいないのではないか。
昔は王が、軍隊が、政治が、こう生きろと命令するだけでよかった。でも今はやりたいことを見つけろ。年収はこれくらいないと生きていけない。お前はバカだから一生貧乏人だ。だの、相当ひどい仕事を死ぬまで押し付けてくる。全て自分でこなすなど、相当優秀でないと無理だ。
女性は尚更だ。女性の社会進出を促した結果、仕事をしないといけない上にタイムリミットが迫る前に結婚し出産しなければならない。とんでもないマルチタスクを迫られ、稼げる身分になったためにそんじょそこらの貧乏人の相手をするのは憚れる感じにもなってきた。
であるからこそ、女性はどのように生きるかの選択をある程度の時点でしなければならず女性の中の男性性が歪な構造になってきている感じがする。

男女問わずそもそも自分がこなせているという自負を持っていること自体自己家畜化の済んだなんの変哲もないDNAを持った個体と自認すべきだと感じる。


自分が好きになる物事というのは、成長や加齢や気分によって変わっていく。それらは何にも悪いことではない。当然である。その時これにハマってたとか、それにハマってたとか。そういうことの積み重ねで自分というものは形成されていくと思っている。だから今後の自分にワクワクもできる。そのためにも私は一日一日のハマってた具合を楽しみたい。
自分も友人もその多くがライフステージが変わっていったり、好みや思考が変わっていったりするものだ。
それを誰もが制限したりなどできやしない。するのは犯罪だ。

私は今10代や20代の人たちと共に同じ立場で学んでいる。彼らの独特なテンポ感が可愛らしいと思うと同時に私は彼らに何かを強制するようなことはできないと感じた。彼らには純朴であるという価値がある、紙一重の人間はそう感じる。

紙一重の人たちの予後が悪くなっているバージョンもその中に混じっていることがある。
予後が悪いというのは全ては評価されてしまうという恐れを抱きながら生きているだけの人だ。
無論、全ては評価される。社会的な尺度で見たら大変なことかも。でもそこに腐らずに紙一枚隔てた向こうのライトサイドにも行ける身軽さのようなものを持っている人こそ紙一重である。何も堕ちていくだけじゃない。
自分軸で生きてさえいれば幸せなど簡単に手に入る。”慎ましく”やりたいことをやるだけだ。

そこをわかっていない。みんな。芸術に寄りかかるのも良いだろうが、それでは本当の奥にはいけないんじゃないだろうか。
本当の奥で私は常に不敵な笑みを浮かべていたい。そして空間に変な微風を吹かせていたい。
私はきっとそういう人間なのだ。もう戻れやしない。


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