I don't give a fuck

最近聞いている音楽といえばクレヨンしんちゃんのダメダメの歌が多い。
そうやってバランスを取っているフシがある。そういうものを聞いていると、徐々に別の音楽への切り口が開けてくる。

最近は、もうどうでも良くなったことが多い。
人のリアクションっていっぱいあるんだなぁと感じる。
だから何も気にしない。
友人関係や恋愛関係をとやかく言うつもりもないのでポジティブがいいに決まっている。
みんな前向きに、あるいはマイペースに生きているにも関わらず、そのことを許さない空気感というものをあらゆる関係性の中に感じたくない。
他人との比較、あるいは欠乏などは感じる必要もない。

その人自身を見れていない人はその人にまつわるエトセトラをステータスなど様々なものから推測し、関係を作るが、その人を見れている人たちにとってはそのエトセトラこそどうでもいいのだ。
数多くのカップルが破局を迎える原因の一つに、友人に恋愛相談をしてしまうことが挙げられる。
その友人はカップルの全てを見ているわけではない。であるからこそ、どうしても主観的な判断になるし、その友人の価値観によりジャッジが為される。暴力などであれば止めるべきではあるが、それ以外の痴話喧嘩に首を突っ込んだ途端、自分の恋人ってヤバいやつなんかな…。と疑心暗鬼に駆られ、結局その人自身を見ることができなくなって破局を迎える。これは青年期のカップルによく見られる兆候である。
であるから恋愛相談というのは一種の浮気のようなものであり、両者の作り上げていった世界を第三者がぶち壊すという様相を見ることが多々ある。

顔貌の美しさにより異性を惹きつけてきたタイプの人間は、色々な異性を試行回数により天秤にかけることは可能であるが、それにより、理想が高いものを求めてしまうのではないだろうか。
であるから自分が完璧人間でないにも関わらず、自分が完璧人間であるかのような振る舞いをし、完璧人間を求めてしまうのである。

同じ研修所に通う同年代の仲の良い同僚が最近破局を迎えた。
彼は順調そうに未来を語っていたので安定しているなと思っていた矢先だった。何が悪かったのかもわからないし、励ますことくらいしかできない。
お互い生きてるね〜っていうことを祝福したい。ということしか頭にない。

他人の不幸は蜜の味。ともよく言う。私もそうである。
ただ、仲の良い友人は違う。幸福であるということに一切の疑いを持たずに過ごして欲しいと願う。


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