周りを見る

最近わかったことの一つとして、地面には過去・歴史が、上空には空と雲というミニマルな要素で構成された未来が、そして周囲には夥しい数の人や物や自然があるということ。歴史・時制を軸にした縦軸と人や自然との繋がりを軸にした横軸がある。
我々は縦軸の移動が出来ないので、横軸でめちゃくちゃ楽しんでいくしかない。
そこには動物や子供を愛でたり、友人や恋人を愛したりする素晴らしい瞬間がパッケージングされている。
そのことにいかに気付けるか。自分が如何に恵まれているのか。ということが重要である。

ネガティブでいるのか、ポジティブでいるのか。人間誰だってポジティブでいた方が結果運も良くなる。
ネガティブでいる時間も大切だけどやっぱりポジティブであると色々なことが俯瞰で見えやすいのかなと感じる。
ポジティブというか、なんとでもなるし、なんとかさせる。という気概のような物だろうか。
ネガティブであるとどうにもそのような気概にもならない。つい他人のことが気になったり、自分の過去から参照できない出来事や場面に対して防御の姿勢になってしまったりするだろう。分離不安の気が多いと、やはり行動や言動も幼児退行してしまう気がする。

ニュートラルが一番いいんだけどね。
ってことで、自分はNormal Soundsを極めようと思う。
最近フィールドレコーディングしにどこかに出かけたりとかそれは違うんじゃないか。と思ってきた。自分の生活圏の中で鳴ってる音。それは私にとって不快な音だらけだと常々思っていたが、その音たちの快の部分を見つけて、それとアンサンブルを作り出したい。
だってそれは私が尊敬するアーティスト全員がそのような方法論を持っていたから。
もうあんまりツンケンしたりケンケンしたりしたくない。文句は言いまくるけど。そんなことよりももっとメランコリックな瞬間だったり、自分がいいなと思う瞬間を切り取りたいだけになってきた。
それは何も友人が多いとか、名誉があるとか、金を持っているとか、そういうことでもなく。
僕はただ音楽を愛しているだけで大した人間ではない。そしてそれをあまりひけらかしたくもない。

どこまでいってもダサい奴はダサいしかっこいい奴はかっこいい。

研修所も佳境に入ってきて、人それぞれ。能力にバラつきが本当にあるなぁということを切に思う。
本当に仕事を増やす人間は存在するし、やはり意識高く仕事をする人間にとってそういう人間たちを見ると頭に来るのだろう。
しかしちょっと前までクソガキだった人間に色々と求めるのもお門違いな部分もある。
そして多くの会社という組織は有能と無能を組み合わせて生産性の向上を図る。無能と無能を組み合わせるととんでもないことが起こることを会社側もわかっているからだ。
それはコミットメントの問題なのではないだろうか。誰かがミスをしたらミスした人を含めてみんなでフォローするのが理想だが、そのミスをした誰かが無能だと、頭が真っ白になってしまって何もすることができない。
ごめんなさいよりも行動が大事であることの良い例だろう。それがわかっていない人が多すぎる。

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