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季節のうつろいから人生を俯瞰して今いる場所を確かめる

朝晩と、毛布をかけて眠るようになった。
昨日は秋分だったようで、気づけばもう空も雲も空気も秋模様だ。

毎日を粛々と過ごしている間に、あっという間に季節は移ろっていく。
その季節の移り変わりの早さに、ぼんやりとした焦りと哀しみを感じるのは、自分自身が変化も進歩もできていないと感じるからだろうか。


婦人科系の問題が発覚した。
正確には、まだ確定はしていない。検査結果を待っている状態。
ただ、なにかしらの肉体的な病気というわけではなさそうなので、その点はちょっとホッとしている。
検査の結果を見ないと断言できないと断りを入れられ告げられたのは、ホルモンが異常な状態になっているらしいということ。
飲んでいる薬の副作用なのか、単純にストレス過多でやられているのか。

どちらにせよ、身体が悲鳴をあげているのは事実で。
実際に、毎回の生理が明らかに異常だ。人生の半分ほど、生理というものと付き合ってきたけれど、こんな状態になったのは初めて。

気分の上がり下がりも激しい。
常に微熱状態が続いている。
今朝はお腹が痛くて目が覚めた。
もう、なんなんだよ。


一生分の色んなことがまとめて全部降りかかってきてるんじゃないかってくらい、もういっぱいいっぱいだ。

でも、それすらも「なるようにしかならないからな」「今から心配したって仕方ないから、とりあえず検査結果が出るまでは保留にしよ」と考えられるようになったのは、かなり大きな進歩だと言えるのかもしれない。

気づいたら夏が秋になって、そして冬になっているように。
人の成長や進歩、変化も、季節の移ろいと同じように、グラデーションで、行きつ戻りつしながら徐々に移ろっていくものなのかもしれない。


苦しいことや、しんどいと思うことはたくさんある。
ここ数日は、タバコを腕に押し付けたくなる衝動に駆られたりもする。
後処理がめんどくさくて、後から「痛い」って後悔するのがわかってるから、実行はしないけれど。
頭の中では、既に片手にはおさまらない数の根性焼きが、わたしの腕にはついている。

でも。
それを「早くどうにかしたい」という気持ちも少しずつ薄れてきていて。

星ひとみさんが芸能人たちに星読みをしているリールなんかをインスタで見かけた。裏で打ち合わせとかしているのかもしれないけれど、それでもやっぱり的中率がすごくて、びっくりした。そういえば、わたしの知人で星読みをやっている子がいて、面白半分で見てもらったら、過去のわたしの結婚時期をズバリと当てられた。その後の紆余曲折も、わたしの生まれた日の天体図から読み解けるらしい。

人は、生まれる前に自分の人生の課題や目標を決めていて、その課題や目標を達成するための試練を、あえて自分で設定してから生まれてくるらしい。

もしそれが本当なのだとしたら。
今、わたしがこうしてもがき苦しんでいるのも、なるべくして起こっているということになる。子どもが、親が、わたしの状況の影響を受けて二次被害的なものを被っていることも、それぞれが生まれる前に設定してきた試練なのかもしれない。それぞれの人生の課題や目標達成のために。

そんな風に考えてみたら、なんだか少し気分が晴れて、肩の荷がおりる気がする。


季節は移ろう。
夏の次は秋が来て、秋の次は冬がくる。
秋と冬が嫌いだから、夏の次は春にスキップしてくれなんて言っても、無理な話だ。
人生もきっと、同じなんだろう。

わたしは今、秋にいるのか、冬にいるのか。
どちらにせよ、この季節を通り過ぎることなく、春にも夏にも到達できない。

庭に植わっている柿の木を見て思う。
夏に、柿の木はすでに収穫の秋に向けて柿の実を宿している。
冬、身も葉もすべて落ちて丸裸になったうすら寒そうな柿の木も、よくよく見てみれば、ちゃんと枝葉の先に硬いつぼみを用意して、春を迎え入れる準備をしている。

夏の中には、既に秋が。
秋の中には、既に冬が。
そして、冬の中には、既に春が内包されている。

それ単体の季節なんてないのだ。
移ろっていく。
それぞれの季節の中に、その前の季節と、その次に巡ってくる季節の両方が混ざっている。内包されている。


人も自然の一部だと言われるのだから、きっと、それはわたしにとっても同じことなんだろう。だから、ただ、今は、自分の人生に巡ってきているこの季節を、ただただ受け入れて、ただただ、その中で息をして、過ごしていく。その時々で、その季節の中でしかできないことを楽しみながら。

結局、それ以外、できることも、しなくちゃいけないこともないんだろう。


そんなことを思った、秋分の日の翌朝。

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