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出版社を辞めた僕はキャバクラで黒服をすることになった。 #5

(前回)

「事件」が起こったのは9月初旬のことだった。

当時、店では新しいキャストが勤務を始めていた。
ナノハという源氏名で、地雷系ビジュアルの可愛い女の子だ。昨年度までは浅草方面の店で働いていたらしい。引っ越しに伴い、知人の紹介もあってこの店に入店することになった。
それだけならよくある話だが、このナノハはちょっと特別だった。何しろ恐ろしいほどの太客を連れてきたのだ。

その太客というのはミズハラさんという30代の男性弁護士で、浅草の店にいた頃からナノハに首ったけだった。ナノハのためならどんな大金も平気で落とす。一晩で50万円使うこともあるというから驚きだ。

店長はミズハラさんを常連客にすべく、ナノハを好待遇で迎え入れた。
毎週土曜はミズハラさんが来店するため、一番豪華なボックス席が予約扱いとなっていた。

その土曜日、僕はたまたま出勤していた。
ふだんは週2~3日ほどの平日勤務だったのだが、その日は店長が「ミズハラさんが来るから」とスタッフの増員を計画し、僕も例外的に呼ばれていたのだ。

土曜日勤務は初めてだった。ナノハとミズハラさんを生で見られるのかと期待したが、僕が任されたのは外でのティッシュ配りだった。
9月、まだ蒸し暑い夕方にただティッシュを配り続けるというのも気が滅入る。
早くクーラーの効いた店内に戻りたいと思っていたら、同じく外に出ていた黒服の先輩二人の談笑が聞こえてきた。

「店長、『今日こそは100万の伝票作るんだ!』って気合入っててさ」
「ミズハラさん来てるからなあ」
「それでさ、店長、やっちゃってるらしいよ
「え? マジで?」

意味深に笑い合う二人の会話の意味が、新人の僕にはよくわからない。

気にせずティッシュを配り続けていると、いつも通り21時ごろにホール作業へと呼び戻された。いつもなら店長から連絡が入るのだが、その日に限って、連絡をくれたのはなぜか副店長だった。

店内に戻ると賑やかなカラオケの曲が響いていたが、端にあるボックス席だけ異様な空気が流れていた。
先ほど外で談笑していた先輩の一人が既に戻っており、ボックス席のナノハと真剣そうな顔で話をしている。向かいではミズハラさんが静かにハイボールを飲んでいる。ナノハの代わりに誰かが接客についているような様子もない。

「おかしいでしょ? いいから店長呼んでよ。どこにいるの、店長は」

ナノハが先輩の黒服に何かを訴えている。
必死に怒りの矛先を探しているような声色だ。

会話の内容が気になるが、容易に近づける雰囲気でもない。
僕がレジで他の客の会計作業を行っていると、やがて先輩がやってきた。その表情は憔悴しきっている。

「お疲れ様です。どうかしたんですか?」と聞いてみる。
「店長がやらかしたのがバレた」と苦い顔をする先輩。
「やらかしたって何を?」
先輩は僕に顔を近づけ、小さな声でつぶやいた。

「ぼったくりだよ」

先輩がいうには、店長は定価よりもはるかに高額な値段でミズハラさんに酒を提供したらしい。なんと定価6万円の酒を25万円で出したという。
バレないという目算の上だったが、会計の額を見たナノハが「高すぎる」と疑い、「明細を持ってきて」とスタッフに指示したところで、上乗せ請求が発覚したのだそうだ。

店長は店から逃走し、明細を出せるはずもないため、黒服たちは困惑。
ぼったくりの事実を知ったナノハは「私の客になんて仕打ちを!」と怒り狂い、店内は修羅場と化しているのだという。

ナノハは他の黒服たちに八つ当たりしている。こちらまで火の粉が降りかからないことを願って作業していると、怒りでじっとしていられず歩きまわっていたナノハと鉢合わせてしまった。
「誰!?」と怒鳴るナノハ。
それもそのはず、僕は初めての土曜勤務のため、ナノハとシフトがかぶったのも初めてだった。思わず「すみません」と萎縮してしまう。

「店長がどこにいるか知らない? 知らないなら店長に電話して。今すぐここで!

ナノハが有無を言わさない口調で命令してくる。
彼女に同情していたこともあり、僕は店長に電話をかけた。
やはり他の黒服よりも信頼してくれているのだろう。僕からの電話に、店長はすぐに出た。
「もしもし、そっち大丈夫?」という店長の笑い声が聞こえた。
僕が何かを言う前に、ナノハがスマホを奪い取る。

「店長、今どこにいるんですか!?」

その瞬間、店長が電話を切ったらしい。ナノハは怒りと悔しさを抑えた顔で僕にスマホを返してきた。その表情を見て僕は反省した。

野次馬根性で事態を見守っていたが、そもそもナノハはこの店を信頼してミズハラさんを連れてきたのだ。こんなことがあっては、嬢と客との信頼関係が失われかねない。
今後ナノハはミズハラさんとの関係を続けられなくなるかもしれない。
この件においては、ナノハとミズハラさんは完全に被害者だ。

とはいえ、「大切なのはいかにお金を稼ぐかだよ」と言っていた店長の笑顔を思い出すと胸が痛む。
店長はキャストの女の子たちを十分に養うために大黒柱を担ってきた。
そのやり方が行き過ぎて“ぼったくり”という形になってしまったことが残念極まりない。
店長には店長の信念があったはずなのだ。

その後、店長ではなく白髪の社長が現れ、ナノハとミズハラさんに弁解を始めた。

定価より割高なのには理由があるんです。
今回のクライナーの装飾に人件費がかかっているんです。
本来なら合わせて提供するはずだったフルーツが、今日は品切れだったんです。

いい大人が苦しい言い訳をしている様子は滑稽だ。
ナノハが「そんな言い訳通用すると思ってるんですか」と怒鳴る。
社長も「だから謝ってるでしょうが!」と逆ギレする。
傍から見ているとコントのように可笑しな状況になっていた。

最終的に、ミズハラさんは正規の会計を済ませて帰宅した。
そしてナノハも、荷物をまとめて出て行った。
「こんなクソみたいな店二度と来ない」と、意外にも笑顔で。
人はある一定の怒りを超越すると笑顔になってしまうらしい。

その事件以降、店からは女の子がすさまじい勢いで減っていった。
楽しかった時期が終わろうとしていた。(牛)

(いよいよクライマックスへ)


牛窓:1995年生まれ。脚本家。『ルポ〇〇の世界』ゲストライター。大手出版社勤務を経て、2022年にNHK BSプレミアムよりドラマ脚本家としてデビュー。「バナナだけで1か月生きる」という企画にチャレンジしたところ、2週間目にバナナを炊飯器で炊いてしまい、べちゃべちゃの黒い物体にしてしまったことがある。物体は美味しくいただいたが、精神的疲労が激しかったため企画は中止となった。署名は(牛)。

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