末期がんの母を看病していた頃、日常があまりにも辛くて、ブログで、日々の楽しさを少しでも見つけながら、看病日記をつけていたことがある。 そのブログに集まる人たちは…
昔、ロンドン滞在中に爆破テロが起こって、翌日に怖がりながらも街を歩いてみたら、マーケットは賑やかで、テムズ川のほとりにはのんびり過ごす人たちの姿。 たまたま通り…
ある6月の庭の草と花。 種を蒔くのが遅くて、あきらめていた菜の花がいっぱい咲いてうれしい。 物事、遅すぎることはなくて、いつはじめても大丈夫。 これから実をつけよ…
庭の真ん中に、ハルニレの木。 そこは鳥のえさ台のあった場所。 鳥が運んだ種なのか。 あそこにはカシワの木。 リスが埋めたドングリか。 ほらあそこには、ミズナラが。 …
早く早く伸びる背の高い草、地面を這うように広がる草、ゆっくりと芽吹く草、花を咲かせたり、実をつけたりする草。 多種多様な草が生え、そちこちで生命の歓びを歌ってい…
erina
2023年4月14日 22:25
末期がんの母を看病していた頃、日常があまりにも辛くて、ブログで、日々の楽しさを少しでも見つけながら、看病日記をつけていたことがある。そのブログに集まる人たちは、互いに匿名でありながらも、あたたかなコメントをたくさんしてくれた。 抗がん剤を選ぶか、緩和ケアを選ぶか、最適な治療法はないのか、看病しながらいろいろな選択を迫られる。そうした悩みにも、否定することなく、尊重しながら、思いやりに満ちた
2022年6月15日 21:06
昔、ロンドン滞在中に爆破テロが起こって、翌日に怖がりながらも街を歩いてみたら、マーケットは賑やかで、テムズ川のほとりにはのんびり過ごす人たちの姿。たまたま通りかかったグローブ座という劇場は、木造3階建で茅葺き屋根のシェイクスピアの時代を再現したもの。中に入ると、舞台の目の前が一番安いStand席で、わたしもローカルの人を真似て頬杖をついて観劇してみた。英語はさっぱりわからなかったけど、役
2022年4月19日 09:27
ある6月の庭の草と花。種を蒔くのが遅くて、あきらめていた菜の花がいっぱい咲いてうれしい。物事、遅すぎることはなくて、いつはじめても大丈夫。これから実をつけようとする、ブルーベリーとラズベリーは、自由奔放に伸びている。赤く実をつけたイチゴは、のんびりしてたら、虫か鳥に食べられた。「畑の作物は、虫が3割、人が3割、あとは土に還したらいい」という、ひいじいちゃんの言葉を思い出す。
2022年4月15日 15:49
庭の真ん中に、ハルニレの木。そこは鳥のえさ台のあった場所。鳥が運んだ種なのか。あそこにはカシワの木。リスが埋めたドングリか。ほらあそこには、ミズナラが。これもきっとリスの仕業?ごらん、モミジはおとなりさんから、風にのってやってきたのだろう。ことしは何が生まれるのだろう。終わりのない、はじまりの地。要らないものは、なにもない。
2022年4月13日 12:22
早く早く伸びる背の高い草、地面を這うように広がる草、ゆっくりと芽吹く草、花を咲かせたり、実をつけたりする草。多種多様な草が生え、そちこちで生命の歓びを歌っている。その庭は、誰にでも開かれている。人も鳥も風も、通りすぎて、とどまって、少し休んで、またどこかへ。開かれた創造の場。消費ではなく、生み出す場所。小さくてあたたかな場所。文化や芸術を日常の根っこに。「育つ庭」を作るための