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育つ庭 / editor / illustrator / designer / tra…

erina

育つ庭 / editor / illustrator / designer / travel writer / ときどきconcertina 文化や芸術を日常の根っこに。「育つ庭」という小さな庭を育てています。

最近の記事

言葉は時に刃にもなるし、あたたかな毛布にもなる。

末期がんの母を看病していた頃、日常があまりにも辛くて、ブログで、日々の楽しさを少しでも見つけながら、看病日記をつけていたことがある。 そのブログに集まる人たちは、互いに匿名でありながらも、あたたかなコメントをたくさんしてくれた。  抗がん剤を選ぶか、緩和ケアを選ぶか、最適な治療法はないのか、看病しながらいろいろな選択を迫られる。そうした悩みにも、否定することなく、尊重しながら、思いやりに満ちたコメントを、見知らぬ方たちが書き込んでくれていた。 その言葉にどれだけ救われた

    • 頬杖ついてシェイクスピア。

      昔、ロンドン滞在中に爆破テロが起こって、翌日に怖がりながらも街を歩いてみたら、マーケットは賑やかで、テムズ川のほとりにはのんびり過ごす人たちの姿。 たまたま通りかかったグローブ座という劇場は、木造3階建で茅葺き屋根のシェイクスピアの時代を再現したもの。 中に入ると、舞台の目の前が一番安いStand席で、わたしもローカルの人を真似て頬杖をついて観劇してみた。 英語はさっぱりわからなかったけど、役者さんたちが話しかけてくれたり、みんな笑顔で笑ってて、ほっとしました。 ロンドン

      • 人が3割、虫が3割、あとは土に還したらいい。

        ある6月の庭の草と花。 種を蒔くのが遅くて、あきらめていた菜の花がいっぱい咲いてうれしい。 物事、遅すぎることはなくて、いつはじめても大丈夫。 これから実をつけようとする、ブルーベリーとラズベリーは、自由奔放に伸びている。 赤く実をつけたイチゴは、のんびりしてたら、虫か鳥に食べられた。 「畑の作物は、虫が3割、人が3割、あとは土に還したらいい」 という、ひいじいちゃんの言葉を思い出す。

        • 鳥が運んできた種

          庭の真ん中に、ハルニレの木。 そこは鳥のえさ台のあった場所。 鳥が運んだ種なのか。 あそこにはカシワの木。 リスが埋めたドングリか。 ほらあそこには、ミズナラが。 これもきっとリスの仕業? ごらん、モミジはおとなりさんから、 風にのってやってきたのだろう。 ことしは何が生まれるのだろう。 終わりのない、はじまりの地。 要らないものは、なにもない。

        言葉は時に刃にもなるし、あたたかな毛布にもなる。

          「育つ庭」という名前の小さな庭をつくることにしました。

          早く早く伸びる背の高い草、地面を這うように広がる草、ゆっくりと芽吹く草、花を咲かせたり、実をつけたりする草。 多種多様な草が生え、そちこちで生命の歓びを歌っている。 その庭は、誰にでも開かれている。 人も鳥も風も、 通りすぎて、とどまって、少し休んで、またどこかへ。 開かれた創造の場。 消費ではなく、生み出す場所。 小さくてあたたかな場所。 文化や芸術を日常の根っこに。 「育つ庭」を作るための、日々の考えをノートに綴ります。 庭で会おう 庭で歌おう 庭で歩こう 庭で描こ

          「育つ庭」という名前の小さな庭をつくることにしました。