見出し画像

夏菜子

繁盛している魚料理のお店。ブリの照り焼き定食を頼む。セルフサービスの水。水垢が付いた、汚れているコップ。2つ、手に持つ。50代夫婦が営んでいて、この時間、この人数を捌くのだ。贅沢は言ってられない。なのに、この男ときたら。僕は、席に戻り、注いで来た水を、1つ渡す。「サンキュー」軽々しい感謝。今、目の前にいるこの男は、僕が死ぬほど嫌いな男である。コイツは、サバの塩焼きを注文し、偉そうに待ち、これから偉そうに食べるのだ。

ひょんな事から、コイツと2人飯。通路の狭い店内、お盆2つでいっぱいになる机。これ以上、近づくのは心が持たない。はぁ、と心でため息を吐く。引き出したい話題がなにも無い。彼の人となりには、心底興味が無く、いちいち季節外れの台風の話で盛り上がりたくも無いので、眉間にシワをよせ、さも、理不尽なメールが届いた風の顔で、携帯を睨つけ、コミックシーモアを開く。心なしか、いつもより、漫画が面白くない。

コロナが終息を辿る中、礼儀正しく、黙食。店内BGMが、やたらと耳に入ってくる。魚の店で、おさかな天国。水産会社が運営している店だからなのか、にしても、流石にPRが過ぎる。魚を食べると頭が良くなる割に、頭が悪そうなノリ。そう思ったが、ツッコんだところで、コイツのレスポンスが帰ってくるのは、言っちゃあなんだが、かなり怠い。しっかりと刺身とツマの相性に、意識を集中する。

しかし、コイツ、生意気に塩サバを食べている。サバを食べれている事に、なんの有り難みも感じていない顔をしている。全く、何様のつもりなのだ。まあ、憎たらしいやつだが、唯一、褒めるとしたら、骨の避け方に品が有るところだ。僕は、偉いと思う。こんなにも、人の良いところを発見できる性格の僕だというのに、友達が一向に出来ない。この心が良くないのか、でも、正直なだけだしなと、醤油をバウンドさせた白米を咀嚼しながら、まぁいいか、と諦めてみたりする。

塩サバ、美味そうだなぁ。ふと、トラウマを思い出す。



産まれて初めて、釣りをした日の事。

東京湾のとある場所に、初心者でも釣りが出来る施設を見つけた。確かに、今後、街にゾンビが出現し、サバイバル生活が始まった日の事を考えると、魚の一つ、釣って、捌いて、焼いて、食う、くらい出来なければ、生きていけないと思い、行く。

施設の中には、この海で釣れた、デカい魚の写真が貼ってある。1人じゃ持ちきれない程の、デカい謎の魚。タコやイカも釣れるらしい。これはタコを釣るしかないね。釣りのつの字も知らない、僕たち4人組。タコの夢を見る。

外に出ると桟橋があり、数百人の釣り人がいる。風が強い。日差し対策に帽子をかぶってきたが、結局カバンにしまい、直射日光で脳天が燃える。真っ黒な東京湾。風に揺れている。

釣り竿をレンタルし、凍ったエビを付け、釣糸を垂らし30分。飽きてきた。待てど暮らせど反応がない。隣の親子、釣れた釣れたと騒ぐ子供の声。魚は素人の餌は食べてくれないのかと、釣れない原因が、自分たちだと突きつけられ、苦虫を噛む。

ダラけてきた空気を盛り上げる為、「来た!」と、嘘をついた。ついにか、ついにか、と色めきだつ仲間たち。のそのそと集まって来た。注目させるだけさせて、リールを回した先に、何も釣れていなくて、蹴りの1つや2つ、貰おうとしたのだが、奇跡的に、イワシが釣れた。

おー、と盛り上がっているが、僕は、嘘で盛り上げる算段をしていたので、嬉しいのは嬉しいが、嬉しくないのは嬉しくなかった。でも、驚いた。人生で初めて、魚を釣った。顎に釣り針の刺さったイワシが、顎関節症になるほど大きな口を開けて、コチラを睨んでいる。針から外し、バケツに入れようとイワシの体を握った時、脈打つ筋肉の動きを感じた。イワシは、生きているんだ。僕は「怖い」という感想を覚えた。イワシか。そうか、イワシか。もちろん感動的なのは感動的なのだが「イワシかぁ」とは、なっている。まぁ、次はタコを釣ろう。

タコが食べたくなってしまうような、餌の動きを考える。あまりに不自然で機械的な動きでは、タコは釣れない。もし僕がタコなら、近寄らない。なので、東京湾で育った健康的なエビ然とした動きをする。そして、イワシが釣れた。僕の動きは、イワシを虜に出来るらしい。でも、2匹目のイワシとなると、さほど盛り上がらないので、コチラの気持ちも、あまり盛り上がらない。同じ作業を繰り返し、再度、釣り糸を垂らす。

「なんか重い気がする」友人の1人が、嘘を付いている。そうやって僕たちを惑わし、気を引くだけ引いて、何も掛かっていない、もしくは、イワシだ。そう思っていると、ウルトラCをやってのけた。フグが釣れた。

まじかまじかと、フグの周りで小躍りする僕たち。その音楽に呼応するように、周囲に知らない大人たちが集まってきた。そんなに凄い事だったんだと、改めて感動していると「毒があるから素手で触っちゃダメ!」女の子の声がした。

魚の事を何も勉強せずに釣りを始め、2匹のイワシしか釣れてない僕たち。「あ、フグって毒があるから素手で触っちゃダメなんだ」と、たじろいでいると、そんな事ないそんな事ないと、周りの大人たちが、横に手を振っている。「なんだ、触っても大丈夫なのか」と、安心した。

でも、触って大丈夫なのだろうか。あの女の子は、僕たちに、必死に伝えてくれていた。万が一、この大人たちが嘘付きで、フグの毒にやられるバカを見て楽しむタイプの変態の可能性もあるし、あれだけの熱量で注意喚起してくれた人の気持ちを、ないがしろにする大人にはなりたくなかったので、フグに触らないようにしていると、気持ちが伝わったのか、叫んだ女の子が近づいて来た。僕たちは、気持ちが通じ合い、やがて、友達になった。

彼女の名前は「夏菜子」。六本木に住む小学2年生。

フグの混乱に乗じて、質問をすると、なんでも教えてくれる警戒心の薄い小さな女の子だ。なかなか友達作りに悩んでいたが、久々に出来た友達は、港区女子だった。屈託にまみれた僕たちの中に、屈託のない夏菜子が混ざる。

何より、良い子そうなので、夏菜子を笑わせたいという邪念が沸く。フグの毒が怖くて触れない惨めな男を演じたり、フグに触った事によって毒に侵され痙攣する男を演じてみたりした。いつも側にいる大人が、六本木に住むような大層な大人だからか、最下層のおどけ方をする僕を見て、夏菜子は笑っている。夏菜子が楽しそうで、僕も楽しい。そこからは、釣りどころじゃなくなり、夏菜子をどれだけ笑わせられるかの時間に切り替わって行った。夏菜子は、僕に懐いた。

しかし、夏菜子は屈託なき女子。屈託がない分、感覚がストレートで、僕の事を、無礼を働いても大丈夫な大人と認識したのか、ものの10分で舐めはじめた。25歳も歳上の僕を呼び捨てにするわ、魚の事を何も知らない僕に「フグの毒を取るには免許が必要だ」とか、「魚を捌く時は、お尻の穴に包丁を入れて一気に捌くんだ、そんなのも知らないのか」とか、魚介系のマウントを取ってくる。

港区女子の素行の悪さは、噂に聞いていた通りだ。コチラは、知ってても知らないフリをして、君を笑わせる為にしているのであって、その優しさに気付けないのが君の弱さなのであって、魚の事だって田舎で育ったのだから、多少は知っているので、君のマウントは釈迦に説法であって、君の親が金持ちそうだから、もしここで仲良くなっておけば、家に帰った後「遠藤に会いたいよ」などと騒ぎ、六本木の家にお呼ばれして、いずれ年代物のワインでも飲みながら「この土地を、ぜひ君に渡したい」とかの展開まで、あるな、と思ったから仲良くしておこうと思ったのであって、と心の中で思う。

最年少でマウントを取る夏菜子の、これからの港区生活、幾星霜。いずれ、フグの事など忘れ、若手経営者をリップクリームのテカリで色仕掛けし、男たるもの肉寿司とタクシー代を払うだけのパトロンだと見下すような女になるのか、と思うと、なんだか悲しくなった。

その後、サバが2匹釣れた。

夏菜子は、サバの入ったバケツを見て「魚を食べれる事に感謝したい」と呟いた。夏菜子なら大丈夫だ、と思うのと同時に、夏菜子の言うとおりだと思った。

「自分で釣り上げたサバを食べる」

僕は、釣り上げる事に夢中で、サバをどのように絞め、どのように持ち帰り、どのように調理し、どのように食べるのか、何も知らなかった。今になってやっと調べると、「さばの生き腐れ」という言葉があるように、丁重に処理をし、その結果、おいしく食卓に並ぶという事を知った。

ただ海水を入れたバケツに、ただ入れたサバ。すでに腐っているかもしれない。でも、という顔をしていると「流石に食べない方が良い」と言われた。でも、食べる事を前提に釣り上げたので、美味しく食べれなくても、腹を下してでも、釣り上げた命に敬意を払いたくて、食べようとしていたが、それでも止められた。僕は、露骨に嫌な顔をした。それを見て、誰もが嫌そうな顔をしていた。

靡こうとも思ったが、これを納得して良いのかどうか、迷った。ただ僕が重たいだけなのか?とも思ったが、命を捨てた事の加害を背負いたくないから、だから僕が命を引き合いに出した事で、背負いたくない罪悪感を背負わされたような顔をしているのか、僕には判断が付かなかった。

そして、サバを食べずに捨てた。

自分を説得するように、そうでもしないと納得出来ず生きられない人もいて、それを飲み込めた僕は、そうじゃないんだろうかと不安になった。そして、自分の気持ちが傲慢である事だけは、ありありと輪郭を表した。

夏菜子は、バケツの中でサバを握り、肛門から出てくるサバの糞に夢中になっていた。

あの日から、サバを食べていない。



定食を食い終わり、会計のレジに並ぶ。14時近くなのに、まだ客が入ってくる。カウンターには、お魚天国のCDが立てかけられている。

入り口付近に架けられた姿見に、何も考えず、ただ食べたい塩サバを食うこの傲慢な男と、勝手にサバを食わない傲慢な自分が映る。

酒井法子が書いたおさかな天国のCDジャケット。どうやら今日は、コイツが奢ってくれるらしい。それはそれは、マンモスうれぴー。

この記事が参加している募集

サポート機能とは、クリエイターの活動を金銭的に応援する機能のようです。¥100〜¥100,000までの金額で、記事の対価として、お金を支払うことができるようです。クリエイター側は、サポートしてくれたユーザーに対して、お礼のメッセージを送ることもできるそうです。なのでお金を下さい。