見出し画像

育休は、利用したのではなく勝ち得たものだった

東京都で、育休を「育業」という愛称で応援しようという取り組みが始まりました。
子供を育てる期間は"休み"ではなく、"大切な仕事"であるという概念を浸透させ、子育てを頑張る誰もが"育業"を取得できる社会を目指す、というこのプロジェクト。

育休中の学び直しの発言での炎上が記憶に新しい中、東京都がこのような取り組みを行うこと自体、率直に大変喜ばしいことだと思っています。
女性の育業取得は当然として、女性だけでなく男性も他人の目を気にせず育業を取得できる社会。
子育てに対する関心が社会全体として高まっている今、この流れのまま上手くいけば、もしかするとそんな時代が来るかもしれませんね。
※まだ良い慣れませんが、この記事は「育休」ではなく「育業」という言葉を用いて記載したいと思います。

"もしかしたら、来るかもしれない"。
そんな弱気な言い回しをする訳は、自分自身が育業を取得するまでに長い時間を要したから。
10年、15年前の話ではありません。たった3年前の話です。


どうも、えだまめです!
育業期間も3年目に入り、無事スーパーのおばさんと話すのにもキョドる(死語‥‥)ようになりました!
今日は、育業を目指して苦節7年のち、ようやく育業をゲットしたお話を書きたいと思います。


「育業」を意識し始めたタイミング

私が育業を意識し始めたのは、20代前半の頃。
姉が結婚し子供を産んだ時、血の繋がった赤ちゃんの可愛さと尊さに驚愕し、自分も結婚して子供が欲しいと思ったのがきっかけでした。

姉は、産休や育休を取得する間もなく仕事を辞めてしまいましたが、私は出来れば働きながら子育てしたい。
そんなことを漠然と考えていましたが、そもそも彼氏はいないし、勤めている会社には育休取得者はおろか結婚している女性もいない‥‥。

当時とあるアパレル会社の営業として勤務していた私は、毎日夜遅くまで働いていたため、平日のプライベート時間はほぼゼロ。
新人の私でさえそんな状態だったので、先輩の女性社員も結婚どころではなく、未婚率100%の地獄のような職場でした。(何故か男性はほとんど既婚だった)
土日に仕事が入ることも多く、たまの休みがあったとしても、気力も体力も尽きているのでゾンビ状態。休みの日は、何処へ行くでもなくベッドに横たわったまま、気がつくと一日が終わっていました。

こんな状態で結婚できるのか?
いや、まずは彼氏を作らねば。
‥‥えっと、彼氏って、いつどうやって作るんだっけ??

結婚して子供が欲しい。そして仕事も続けたい。と息巻いてみたものの、今の状況から見ると道のりは果てしなく長い‥‥。その事実にはじめて気が付いた瞬間でした。
とにかく、今の会社でこのまま働いていても、時間が無さすぎて結婚相手を探す余裕もない。万が一、仕事関係の人と結婚できたとして、この会社に育業などという概念があるとは思えない。(お察しの通り、就業規則もろくに無いブラック企業)

これはもう‥‥転職しよう。

と、いうことで。
長年目指してきたアパレル業界とはおさらばして、ちゃんと育業制度の整った会社へ転職すべく、動き出したのでした。


夢のホワイト企業‥‥?

転職活動は、思ったほど難航しませんでした。
ずっとファッションのことしか勉強してこなかった私には、ファッション業界以外で使えるスキルなど一切ありません。
しかし、まだ20代前半だったということもあってか、未経験ながらとあるIT企業の本部にて採用が決まりました。

面接の際にそれとなく育業制度のことを聞くと、ちゃんと取得者の人数を教えてくれ、育業後の復帰率が100%であることも確認できました。
土日は必ず毎週休み、平日も終業時間になればみんなさっさと帰る。
ブラック企業で社畜化していた私は、ここは楽園か‥‥?と思いました。
そして、転職してはじめて、アフターファイブというものを体験。彼氏も出来て、東京の夜とはこんなにもキラキラ輝いているものだったのね!!と、東京出身ながら衝撃を受けたことを覚えています。

ようやく、結婚して子供を産むための土台が出来た‥‥。
ここまでで構想から2年。しかし、当然ながら入社後すぐに育業を取得することは出来ません。
"妊娠・出産は、ある程度仕事を覚えて一人前になってから"。誰に強制された訳でもないですが、暗黙の了解として会社‥‥いえ、社会に浸透していたと思います。なんとなく周りの雰囲気を察したのもあるし、自分自身も中途半端ではいけないと、そんなルールを自分に課していました。

とはいえ、完全なる未経験者がそう簡単に仕事を覚えられるはずもなく‥‥。
結局、入社から5年ほど経ったのち、ようやく一人で仕事を回せるようになったのでした。


細心の注意を払った結婚報告~育業取得

そうして、育業を視野に入れはじめてから約7年が経過しました。
ちょうど仕事が軌道に乗ってきたタイミングで、当時付き合っていた彼氏ともそろそろ結婚‥‥という話になっていました。今だ!!と思い結婚し、そのまま妊活へと突入。
しかし、まだまだ道のりは続きます。いえ、むしろここからが本番と言っても過言ではありませんでした。

結婚報告から育業に入るまでの期間、私は常に細心の注意を払っていました。
理由はいくつかありますが、大きくは所属部署のほとんどを占める、未婚の女性社員へ配慮する必要を感じていたから。
私の所属部署のトップは未婚の女性。(50代)
直属の上司も未婚の女性。(30代後半)
その他、当時28才だった私の上に、未婚の先輩がズラリと並んでいました。ちなみに全員実家住まい。
晩婚化を通り越して、未婚化した日本の縮図がここにあった‥‥!

もちろん、結婚しないことが悪いわけでは決してありません。そして、そんな先輩方からいじわるをされた訳でも、難癖をつれられたりした訳でもありません。
そう。全ては、私が"勝手に気を使っていた"というだけのことです。

具体的にどう気を使ったかというと、例えば結婚報告や妊娠報告の順番。特に仲の良い先輩から行い、次いで所属部長、そしてその下の役職の方へ‥‥と、順番を絶対に間違えないように行いました。
その際、もちろん結婚や妊娠を自慢するような口調や仕草などは絶対にしないよう、頭のてっぺんから爪先、リップの色まで気をつけました。
そして、結婚式にも所属部署のメンバー全員を招待し、役職や隣り合う人同士の仲の良さなどを考慮しながら、慎重に席次を作成しました。
それ以外にも、日頃の会話や仕事のやり方にも注意を払い、先輩方に嫌われないよう、調子に乗っているとか、浮かれているなどとは決して思われない様に過ごしていました。

ここで何かを間違えたら終わる。(ゴクリ‥‥)
という感覚が、どこからともなく現れて私を被い尽くし、常に緊張していた様に思います。
女性が多い職場ならではの雰囲気があったのは事実ですが、今から思うとここまで繊細に気を配る必要があったのか?という気がしないでもありません。しかし、当時は必死でした。


未婚女性も、子持ち女性も追い詰められる現状

なぜここまで時間と労力をかけて、周りに気を配っていたのか?
よく考えてみると、とにもかくにも、育業を取ったらハイさよなら~。ではなく、その後があるから頑張って気を配っていたのだと思います。
要は、「育業復帰後に子供のお熱や何かで確実に周りに負担がかかるため、その時に助けてもらえるように、今嫌われてはマズイ」からです。

私の所属する部署の場合、子持ち女性が急に帰ってしまった時に、業務をカバーするのは未婚女性。彼女たちからしてみれば、結婚していない、子供がいないという理由だけで、子持ち女性の業務を肩代わりしてあげなくてはなりません。
それで自分の業務が減る訳ではないし、周りは代わってあげて当たり前、という認識なので大して評価にも繋がりません。


企業が休みを促進する、という矛盾


この対立を生むしくみ自体に問題があるのは、言うまでもありません。子持ち女性をカバーした社員をどう評価するか、そもそもカバーするという業務自体を労働契約書に加えておいて、その分の賃金を払うのか‥‥。
企業側の課題は尽きませんが、これだけ育業が普及しても未だに上手く行っていないのも、当然と言えば当然な気がしています。

そもそも、利益を追い求める企業の性質上、男女共に長期の休みを推進するということ自体が、矛盾した行為だからです。
会社では、基本的に利益にならないことで稟議書を通すのは無理ですよね。
私もさんざん偉そうなことを言っていますが、採用の仕事をしている際には、入社後すぐに結婚して育休を取りそうな女性は不採用にしていました。稟議が通らないからです。

この矛盾を抜本的に解決するには、従来の資本主義の概念を捨て、新しい価値観を会社全体にインストールする必要があります。
先進的なベンチャーや一部の大企業は、既にその様な考えを持っているかもしれません。しかし、中小企業も含めて全企業がその考えを実装するには、まだまだ時間がかかりそうです。


女の先輩に気を使うのは、女の性‥‥?

そして、しくみの問題だと分かりつつ、育業を取る側の"申し訳ないなぁ‥‥"と思う気持ちは、人と人とが関わる会社の中では、どうしても拭うことが出来ません。

余談ですが、一般的に女性は男性に比べ、コミュニケーション力が高いと言われています。
理由は、ひとつ。
一人では子育て出来ないから。
集団生活を送っていた人類にとって、一緒に子供を育ててくれる女性グループとのコミュニケーション不和は死活問題です。
男性は狩りに出掛けて居ませんから、日頃から力を入れて関係作りをすべきは女性同士。特に子育て世代はなおさら、先輩女性たちに助けてもらう必要があります。

勝手な妄想かもしれませんが、子供を守るために、会社の女性たちと良好な関係を築いておかなければ!と、当時、私のメスゴリラ化した本能が訴えかけていたのかもしれません。

色々と脱線しましたが‥‥
単純に育業という制度だけがあれば、みんな喜んで取得出来るというわけではなく、課題は依然として山積みです。
だけれども、育業なんて殆ど無い国も多くある中、制度がどんどん充実してきているのは紛れもない事実。
そこは、ありがたく使わせて貰っているという意識を持ちながら、子供がいる人もいない人もお互いにリスペクトを持って接することが大切かなと思っています。
それが、コミュニケーション能力を獲得した私達が、最低限自分の力で出来ることです。


育業取得までの長い道のり。その先に‥‥

ということで、約7年かかってようやく得た幸せの時間。
3年半の育業期間をゲットすることになりました。ここまで長かった‥‥!

なぜ3年以上休んでいるかというと、年子で二人出産したため、上の子の育業と下の子の育業を連続で取得しているからです。
実をいうとこれも、最初から計画していたことでした。

詳細は長くなるので省きますが、復帰後に時短勤務となる私の場合は、連続して育業をとった方が手当て金が圧倒的に多いのです。
そして、復帰の準備や手続きを短いスパンで何度も行う必要が無いため、会社側にもメリットがあります。
そのため、事前にその旨を所属部長に話し、了解を得た上で二人分まとめて育業を取得する、今に至ります。

ここまで準備したことで、3年半もの間、育業手当ても貰いつつ子育てに従事することができました。ホントに長かった‥‥!(2回目)
正直、育児をしている間にそれなりなお金が入る、ということで精神的にかなり助けられました。そして、戻れる場所があるということも。

育児時間は幸せですが、バリバリ働く同世代や、SNSで成功してる風な人を見ると、焦燥感に駈られることもあります。
そんなときに、今まで頑張ってきた会社員時代の土台があったからこそ、「私は大丈夫。」と落ち着きを取り戻すことが出来ました。

そして何より、頑張ったご褒美としての子育ては、幸せ以外の何者でもありません。
私の場合、この瞬間のために仕事を変え、婚活し、地道に踏ん張ってきたのですから。
育業中は、子供の睡眠や行動時間に合わせた生活スタイルに変え、子供と自分のこと(たまに夫のこと)だけを考える時間が殆どを占めました。
恐らく、今後復帰してから働き続ける限り、このような時間は今だけ。
もちろん、しんどいことや悩むこともありますが、「全ては自分が望んで得たものだ」という自信にも近い感情が湧いて、乗り越えることが出来ました。これも、ここまで長い時間を掛けてきたご褒美かもしれません。

育業は、一生の宝物のような時間です。


さいごに

さて、長くなりましたが、私の育業エピソードを書かせていただきました。
育業までの道のりを振り返って言いたいのは、

長かったけど頑張ってよかった!!(泣)

ということです。
とにかく、結婚や妊娠をしても、仕事は辞めずに育業を取得した方がいい、というのが私の意見です。
仕事を頑張ってきた方は特に、育業を取得し、時間とお金を貰ってください。経済的にも、精神的にも、必ず支えになります。
それが、自分と子供を守ることに繋がります。

さいごに、これから子供を産む方が、私のように面倒な回り道をする必要がなくなることを、心から願っています。

おわり


<お知らせ>
子育て関連のポッドキャストを配信しております。是非、通勤時や子育て、家事をしながらお聞き下さい♪

最後までお読み頂き、ありがとうございました!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?