見出し画像

できあがったコミュニティは居場所か、縄張りか


映画をみてたら
「動物は必ず縄張りを持つ」って言われて
その瞬間、

『俺が作ったコミュニティは本当に居場所だったのか?縄張りだったんじゃないのか?』

そんな問いが、ずんと胸に降ってきた。



縄張りと居場所のイメージは、こんな感じ。

縄張り:
自分の居心地がいい場所。余計なものを排除し、自分で維持する。
居場所:
自分を含む全員の居心地がいい場所。みんなで作り、みんなで維持する。


一時期、言語化するコミュニティを作っていた。

自分にとって大切なもので、最初のほうからいてくれる友人たちにとっても大切な場所になりつつあった。

そこに、追加のメンバーを増やすかどうかでだいぶ悩んだものだった。

結果、メンバーが増えていくことにはなるのだけど、表面上は明るく楽しくまじめにやりながら、内心は自分でも思ってる以上にかなりピリピリしてた。
「この雰囲気、壊すんじゃねえぞ」って、とくに新しい人たちに対しておもってた。実際、新しい人を排除したりもした。


その結果、良くも悪くもぼくの影響力はさらにさらに大きくなって、おだてられる瞬間が増えた。
何日か続くと気持ち悪くなって、「あぁ、俺もうここにはいられない。」なんて感じたんだった。


今おもえば、ぼくが作っていたのは縄張りで、ぼくがやっていたのは強制で、「みんなで作ろう」なんて言いながら、結構コントロールしようとしてた。

まぁ、出来あがったコミュニティでは素晴らしいメンバーと素晴らしい雰囲気が作れた。自粛期間の心の支えになるようなコミュニティになれたんだから、とても尊いとおもう。
とはいえ、縄張りっぽくて、今でも本当の意味での居場所にはなれてない。




縄張りは、自分がそこに縛られるし、全部自分で管理しようとするから物理的にも精神的にも狭い。とても孤独。
経営者とかって、こうなりがちなんだろうな。大切であればあるほど、守るための戦いになっていく。

居場所は、いわば社会との共生。自分にとっても周りにとっても気持ちのいい距離感。新しい人も古い人も関係なく、みんなで雰囲気を作っていく。

縄張りが狩猟採集だとすれば、居場所は農耕。
うん、縄張りより、居場所のほうがぼくには良さそうだ。



居場所に必要なのは、みんなで雰囲気を作っていけるための文化と仕組みかな。文化はまだしも…仕組みか。答えが浮かばない、、むずかしいな。

特定の誰かがいなくても、メンバーだけで自由に気軽にフラットに走れるようになれば、荒廃しない居場所ができるんだろうな。



そうできれば、居場所は永遠と存在できるもの…?

いや、、、食べ物にも流行にも気持ちにも鮮度があるように、コミュニティにも鮮度がある気がする。最高に楽しんでいられる期間。

でもそうか、人間同士の鮮度は、すこしずつ意味をずらせるんだ。


友人が恋人になる味、
2人だけの世界がひろがる味、
家族になる味、
家族がふえる味、
子どもを育てる味、
巣立った子どもを遠くから心配する味、
残された老夫婦がいっしょに旅行にいく味、
孫と遊んで純粋さを思いだす味、


出会った2人の関係は、友人から恋人へ。恋人から夫婦へ。夫婦から家族へ。そう変わるたびに、いちばん楽しめる味は変わるんだとおもう。


恋人同士に限らず、人間同士の鮮度は意味をずらしていける。
そしたら常に、何かしらは一番鮮度の良い状態にできるはず。


作ったコミュニティも、鮮度をもういちど上げるよりも、意味をずらしたほうが良さそう。文化もできてるし、メンバーも最高。あとは仕組みだけ。


まだまだ仕組みの答えはでないけれど、なんとか試行錯誤しながらやっていきたい。今度は、みんなと作りたい。
試行錯誤しながらみんなと作ることが、仕組みになりそうかな。




2020年8月13日
しっぱいノート183日目
えだちゃん。

#しっぱいノート #しっぱい #失敗 #成長 #日記 #人生 #生き方 #ゆるい #心理学 #ビジネス #エッセイ #言葉 #自己表現 #やさしい #穏やか #楽 #自己表現 #コミュニティ #居場所 #縄張り #鮮度


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?