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誰かのために動けない自分を責めるあなたへ。


世の中には、信じられないくらいに誰かを思える人がいる。

マザーテレサのように、あかるくて、まぶしくて。もうまるで人じゃないような。神様の類のなにかのような。

今この瞬間も、豪雨で甚大な被害を受けている人や、コロナでの健康被害や経済被害でまるっきり世界が変わってしまっている人のために、寝る間を惜しんで動いている人がいる。

そんな人たちを見ていると、なにも貢献できていない自分に腹が立ち、自分の価値が分からなくなり、振り上げた拳をひたすら自分に下ろしたくなる。


誰かのために、誰かのために、、
そう願えば願うほど、結局わが身がかわいくて、新しい挑戦もなにもできなくなる。

それは当然だ。誰だって、こわいんだから。



誰かのために動けない自分を責めるあなたへ伝えたいことがある。

僕のまわりにいる「他人のために動ける人」は、いつだって、すべて自分のために動いてる。「他人のために動く」ことがその人自身のためになるってことを分かってる。喜んでもらえるから、苦しんでる姿をどうしても見たくないから、だから誰かを助けるんだって、分かってる。


「あなたのためだけに動きます」なんていう人はひとりもいない。


ぼくも、そうだ。

あなたから見て、僕がどんな人間かは分からない。
だけど、断言しておきたいことがある。

僕は、あなたと知りあってから、誰かのために動いたことは一度もない。

僕のやさしさは、僕のためだ。

目の前で苦しんでる人を見るのが嫌だから、そういう人がクスッとでも笑ってくれたら僕が救われる気がするから、やさしさで表現するんだ。

そう、ただのエゴだ。



そんなふうに生きてから、いくつもの良いことが起きた。

ひとつは、自分の感情に自分で責任を取れること。
おかげで、誰かをうらむことも、愚痴をいうことも、責めることもない。誰かに期待することもない。

期待するよりも先に、信頼できるようになった。

言いかえると、誰かを信用するのに「期待に応えてもらう」必要がなくなったんだ。ふしぎだろう??
こまかい話は、昔の記事にゆずりたい。



もうひとつは、自分の人生を生きられること。

自分の言葉、行動、その結果とその過程のすべては自分の責任だ。責任を取るということは、自由であるということ。

それは当然、自分さえよければいいなんていう浅はかなものじゃない。僕らは自由だからこそ、自分と誰かのために生きられる。責任ある自由だ。



まずは精いっぱい、あなたがあなたのために動いてほしい。それが結果として、誰かのためになる。

反対に、ただ「誰かのために動く」なら、それこそがエゴだろう。
そんなもの、少なくとも僕は遠慮しておく。いらない。




あなたは、だいじょうぶだ。

焦りたいなら焦ればいい。止まりたいなら、止まればいい。
怒ってもいい、泣いてもいい、なにかをひた隠すために笑っててもいい。
どんなあなたでも、だいじょうぶ。

理由なんてない。僕はあなたを応援してる。

まだ、会ったこともないあなたへ。
会えたときには、目を見てちゃんと伝えよう。


だいじょうぶ。



2020年7月20日
しっぱいノート171日目
えだちゃん。

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