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アメリカの経営学者チェスター・バーナードが提唱する組織論。
①コミュニケーション、②貢献意欲、③共通目標の3要素から成立するもので、どれか1つでも欠けると組織は機能不全化すると定義されています。

①のコミュニケーションとは「意思の疎通」と大まかに解釈できます。どんなに優れたミッション/ステートメントや企業理念のもとに集まっているとはいえ、所詮企業は他人の集合体である以上、トップから末端まで意思の疎通が円滑に出来ていなければ、業務効率も悪くなるでしょうし、結果的に生産性を高めることは難しくなるでしょう。仮に万が一のトラブルに見舞われたとしても、発見が遅くなれば遅くなるほど、迅速に対応することが出来なく更に大きな問題に発展するかも知れません。閉鎖的ではなく風通しの良い職場環境というのが求められることでしょうか。

②の貢献意欲とは外発的な動機(昇給やポスト等)も大事かも知れませんが、どちらかと言えば内発的であるモチベーション向上の動機の方が重要でしょう。かけ離れた達成不可能な目標設定よりも、あと少しで身の丈に応じた達成しやすい目標設定や信賞必罰はあっても成功事例の共有を増やすことなど、社員自らが自信や誇り持って社会に役立つ=企業貢献にも勤めていると認識させることが大事です。これらの貢献度意欲に社員同士がサポートできる環境を構築させることが求められることでしょうか。

③においてバーナードは、協同的側面である企業理念や個人が持っている情報等(価値観含め)を共有し、全社員が達成に向けて協働すること。そして主観的側面においては、家族を主体とするものの、社会への繋がりなど個人的な目的と捉えています。

企業というのは、これらの組織論に忠実に実行されているわけではなく、創業オーナーやC.E.Oによって、独自に構築された組織を組んでいるもので一概にどれが正しいなどの評価を得ることは難しいでしょう。大企業であれ中小企業であれ事業の規模に関係無く、人数にも関係無く組織は組まれているもので、働いている従業員は星の数ほどいるものです。

社会基盤や経済基盤がデジタル化に伴い様々な変化がおきています。まず始めに思いつくのが殆どの「手続き」と言われるものが「電子化」されて来た。これはキャッシュレス化と予約については、全てインターネットで完結されるということ、そしてペーパーレス化によって、印刷するという行為そのものが大幅に減少しているということ。昨今のマイナンバー化も、健康保険証や運転免許証と紐づけられ、個人情報等の管理も数枚持つ必要無く、一枚で完結するもので、国が主導して全ての手続き等が電子化されるということですね。

働き方も大きく変わろうとしています。インターネット、オンライン化の普及により、会社に通勤することや会議の在り方、タイムカードまでデジタル化に向かっています。今やパソコン(スマホ含む)さえあれば、滞りなく仕事や業務は完結できるようになって来ました。

さて、これらの時代変化に伴ってバーナードが提唱する組織論は現代に当てはまるのだろうか。

企業のマネジメント論において「P・D・C・A」という法則がある。現代では古いそうだ。また消費行動にも「A・I・D・M・A」の法則があるものの、やはり古いと言われており、現代では変化しているようです。つまりデジタル化によって「変化」(見直されている)しているということでしょう。ここで圧倒的な需要となっているのが「検索」(search)という行為であろう。なにか「単語」が発生した段階で、即「検索」に掛けるという行為である。これはビジネスであろうと一般的な社会生活基盤上においても「検索」を掛けている行為である。しかも模範的で正式な回答を必要とするのではなく「単純」且つ極めて自然な行為である。
また、デジタル化によって「マッチング」サイトといおうか、これらのアプリとでもいうのか、個人の消費行動や願望行為を簡潔に結びつけるデジタルサービスの普及である。大半をIT企業が開発しているものであろうが、その信憑性や信頼性、コスト等においても全くの未知数でありながらも、容易に神出鬼没のように入り乱れている。

昨今ではアメリカナイズ的な企業組織の反映が注目され、日本の老舗企業にも導入されているようだが、全てが上手く行っているようではないようだ。創業時から導入しているのであれば問題無いのだろうが、いくら最先端な組織形態やアメリカ経済の評価制度であっても、日本という国で日本の民族の集合体である企業が、長年続けて来た家族経営から能力主義への変革や競争社会への改革を行っては、組織は崩壊する可能性が高いと思います。
能力主義を主体とするならば、その能力が発揮できる期間しか高給な働き方が出来なくなり、時期が来たり能力に限りやスピードが弱まった時点で若い新たな能力を持っている人と交代せざるを得ないだろう。アメリカでは給料の半分は投資に出資するなど、また会社よりも家族を主体に考えることからも、外因的内因的なモチベーションの在り方が生活基盤の中で、長年構築されているから問題無いが、日本ではこれらの合理化には組織が全く反映していないのである。つまり年功序列型であり、終身雇用の形態である。投資に依存するよりも長年働き続けた功労の一環である退職金や年金受給を待っているのである。経済発展が著し世の中なら可能かも知れないが、経済が停滞し企業が成長していなければ、これらを受給することは困難であろうし、既に現代の日本では少子高齢化社会の真っ只中にあり、政府としても高校授業より投資に係わる授業を義務付けている。

若い新卒社員が入社して来ても、手間暇掛けて半人前から一人前に育てるまでにも投資(給料含め)を行うのだ。まさに親方に弟子入りして仕込まれる職能習得型の体系である。これらは日本のお家芸だけでは無いのである。ヨーロッパの職人文化にも通じるものがあったようだ。

アメリカナイス的な発想であり合理的主義としては、モノを作る人と、それにお金を貸す人、お金を集める人の方が優れたことであり、賢い称号であり、豊かになること、つまり偉くなったということである。日本の企業は職人文化であり、一度就職したならば給与云々や厳しい環境であっても不平不満など一切唱えず、定年まで受け入れて頑張ったものである。そして家族は支えてくれたのであった。就職が決まると親御さんが会社の社長に挨拶に来るなど社交事例などではなく「お世話になる」という、預かってもらって一人前へ育てて欲しいとの依頼でもあったのである。もちろん、受ける側としても大事なご子息を預かるという使命のもと、親御さんになり替わって責任は重大であった。事あるごとの保証人など連帯責任なども会社が行って来た。組織形態においても、これらの気質や気概が重要であることから、資本主義を唱えることはあっても組織全体をアメリカナイズ的な方針等はなかなか受け入れて来なかったが、デジタルの普及化に伴って若い経営者などは徐々に受け入れた方が正しい(カッコいい、先端を行っている)と思っている。

最近になって、アメリカナイズを唱えるアメリカの企業が、旧来である日本型の組織形態への関心が高まり、逆に受け入れている風潮があることを聴いている。これらはノウハウの流出に繋がり、決して得策では無いと判断しているのである。企業へ勤める社員の経験値は決して普遍的でない「職人」そのものであり、会社の顔であり、若い社員育成や外部の取引交渉においては重要な立場であることだ。また日本企業においても旧来の組織形態への取り戻し含め再構築が見直されている。せっかく数十年も働いてくれた社員を、年配者だからと言って無作為に手放してしまうことに「失敗」の定義を持ち始めている。彼らの再就職先にとっては、重宝することで強力なライバル会社として、強力な競争企業として台頭を表している来ているのである。

一度離れてしまった離してしまった社員を取り戻すことは不可能に近いだろう。受け入れた会社にとって、貴重な存在である以上、決して手放さない方策を持っている。それは給与やポジションではなく「環境」である。そもそも転職等においては年功序列型のポジションを捨てることになるので、プライドという体裁は、さほど気にしてはいない。大事なことは働く上での「誇り」である。つまり、自分にとっての仕事への価値観、自分を必要とされていること。そして仕事が好きかどうか。また、そういう仲間とのふれあう型である。

職業にも色々あるであろうが、顧客接点の長い職業など(住宅など)は、担当者が変わっただけでもクレームになり兼ねない職業とも言える。つまり担当者依存型の職業である。ここの店しかダメ。ここの料理は上手い。ここのスタッフが好き。ブランディングも会社や個人に至るまで、顧客にとっては価値観が大きく異なる。日本語では常連、ビジネス用語ではリピーターとでも言われるように、安心や信頼の裏付けにある確かな品質とオモテナシには、共通するもの、決して一昼夜ではマネなどできない「心」がある。「絆」と言っても良いかも知れない。日本の企業の大半は、雇用する側も雇用される側も、この目に見えない「絆」によって成長して来たのだろうか。原点回帰として見直されている、日本の終身雇用制度と年功序列型組織形態は、全世界共通である企業が持っているパフォーマンス性を映す鏡のようでしか思えない。

その証拠に創業100年以上も続いている企業の多くは日本にあり、バブル崩壊や流行性の病、金融市場の崩壊等、様々な社会的にも経済難に見舞われても生き残っている会社である。しかも今も成長を遂げているのである。これらに共通されていることが、
①顧客を第一に考える正直な経営方針、②従業員を大切に考える社風、③時代を生き残る流行に乗るチャレンジ精神を持っている。また、競合他社からどのように、どうすれば自社を選んで貰えるか、現在の市場ニーズをどのようなものかをいつも考えているのである。

どれが正しいか何が正しいかではなく、経営者によって組織は進化され実践結果に基づいて、社会情勢や経済事情の変化に伴い幾度も更新を繰り返していることです。企業には30年説、50年説等があり、永続的に企業が発展し続けることはとても困難だということです。大事なことは自分が働いている企業の組織論において関心を持つことだと思います。

ついこの間440数年ぶりですか?
皆既月食と太陽系の惑星1つが隠れるという怪奇現象に世界中の人々の関心が高まった。 と言っても440年前には天体望遠鏡も無かったのだから、皆既月食は見れたと思うのですが惑星は無理ですね。安土桃山時代なのでしょうか。日本では武家政治の戦国時代である。織田信長が全盛だった頃なのでしょうか。テレビもラジオも、もちろんパソコンなども無い時代だ。月灯りが頼りだった夜。昔の武士の目には、この皆既月食となった「赤い月」はどう映ったのでしょう。

この日は早上がりで(早く仕事を切り上げて帰って良い号令!)会社の屋上や家族や恋人と、この天体ショーを見上げよう!と声を掛けてくれる会社の「環境」がステキだと思いませんか?