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女性のセクシャリティが抑圧される原因と対処法を考える


これまで、セクシャリティについていくつか記事にしてきました。

以上の記事を書いてから1年近く経ちますが、その根が思ったよりも深いことを最近実感してます。



女性が持つ女性性には、

少女性(天真爛漫、感性の性質)
女性性(成熟した女性としての性質)
母性(慈しみ育む性質)

の3つがあるとされますが、今回書くのはこの中の女性性(セクシャリティ)になります。


女性としてイマイチ自信が持てない
女性らしさにコンプレックスがある
性的にみられることに抵抗を感じる
セクシャリティにネガティブなイメージがある

という方は、どうぞ最後までお付き合いください。




さて、

まず、なぜ私たちのセクシャリティは抑圧されてしまうのでしょうか。

その原因として、

  • 両親の不仲

  • 母親からの抑圧

  • 性被害の経験

  • 社会やメディアの影響

などがあります。


両親が不仲だと、当然ながら健全なセクシャリティを学ぶことができません。

私自身、モラハラな父と抵抗せずに言われっぱなしの母という家庭に育ったため、

女性=

  • 頼りない

  • 依存的

  • 弱い

  • 無力

  • 搾取される

  • 見下される

  • 軽視される

といった形で、セクシャリティが偏って形成されてきました。

また、母親からの抑圧とは一般的に、

  • 生理用品やブラジャーを買ってもらえない

  • 化粧やオシャレをすると小言を言われる

  • 門限が厳しい、男女交際を認められない

などがあります。


セクシャリティを抑圧される環境で育った結果、自身のセクシャリティに対して

汚らわしいもの
卑しいもの
低俗なもの
自分の価値を貶めるもの

と、ネガティブで否定的なイメージができあがってしまいます。

つまり、自分の性(セクシャリティ)をあるがまま認め、その豊かさを受け入れることができなくなってしまうのです。


本来、性(セクシャリティ)自体にはなんの意味もありません。

ただ、ネガティブなイメージを植え付けられたり、嫌な目に遭うなどして、そのイメージが自己内でゆがめられてしまうのです。


女性として生まれてくることを選んだわけじゃないのに、痴漢にあったり、性的な目で見られて不愉快な気分になることが多い。

自分はそのつもりがないのに、外見だけで判断されて間違ったイメージを持たれたり、好奇の目で見られる。

また親からも、女性らしさを否定されミソジニーを植え付けられる。


そのうちに、せっかく持って生まれた豊かなセクシャリティが、いつのまにか自分の中で“鼻つまみ者”のような存在になり、いつのまにか粗末に扱ってしまうようになる。

日常の中で、洋服や小物に対して可愛いな、いいなと思っても、

自分には似合わないから
柄じゃないから

と、自分のセクシャリティを否定してしまい、女性であることを素直に楽しめない。

好意を持って近づいてくれた人とも、適度な距離を取れずに避けたり拒絶したりしてしまう。

その根底には、自分のセクシャリティを深く抑圧し、封印してしまっている背景があります。


では、セクシャリティが抑圧されてしまった場合、どうすればいいのか。


実は、“女性性を抑圧している人ほど、セクシャリティが豊か”だと言われています。

そもそも、セクシャリティという意味には

魅力
カリスマ性
能力・才能

なども含まれており、何も峰不二子的な人だけを指すものではありません。

私たちは女性として生まれてきた時点で、一人ひとりが豊かなセクシャリティを持っています。

容姿や年齢や体型に関係なく、あなたの何気ない気づかいや優しさが“魅力”となり、他者にとって豊かなセクシャリティに映るのです。


セクシャリティが抑圧されてしまった場合、大事なのは自分の中でそのイメージを“一致させる”ことです。

女性として生まれた時点で、私たちには自分たちのセクシャリティを慈しむ能力が備わっています。

つまり、豊かなセクシャリティが自分の中に存在することを知っているのです。

私たちは、女性であること、女性として愛されることを

味わいたい
満喫したい
謳歌したい
楽しみたい

と潜在的に思っています。抑圧された状況なら、なおさらより一層強く感じています。

それと、状況を一致させるのです。


可憐な花をいける花瓶だったら、レースやリボンを巻いて可愛く飾りたくなります。

じゃあ、使い古しの雑巾だったら?

当然ながら、レースやリボンで飾ろうとはしません。

けれど、本当は心の底では可憐な花だと思っているのです。

だったら、遠慮なくレースやリボンで飾ればいい。

“使い古しの雑巾なんだから、レースやリボンで飾ったって無駄。人から笑われるだけ”

そうやって、自分の中の豊かなセクシャリティを抑圧せずに、

私は可憐で可愛いお花です
私は愛され、愛でられるお花です

と、堂々と表現していくこと。

本当は潜在意識で感じている、自分のセクシャリティの豊かさを素直に認め表に出すこと。

誰になんと言われようと、容姿や年齢や体型関係なく、

私は美しい女性です
私には豊かなセクシャリティがあります
私の中にある豊かなセクシャリティで自分もまわりも幸せにすることができます

と表明し、自分の中の認識を一致させること。


豊かなセクシャリティの本来の意味は

安心・安全
安らぎ
自信
満足

であり、

嫌悪
自己否定
劣等感
拒否

ではありません。


どうか少しずつでもいいので、自分の中のセクシャリティを認めてあげて、そのイメージを書き換えていってみてください。




おわりに

今回の記事を書くにあたって、これまで自分の中でなぜセクシャリティの抑圧が起こったのか、振り返ってみました。

私は身長が異様に高く、そのために今までに異性から

下手に出られるorけん制されたりマウントを取られる

と極端な対応をされることが多かったり、仕事先で利用者に身体を触られたこともあり、女性であることで嫌な経験をしてきました。

加えて、父親からのモラハラと母親からの去勢もあり、見事にセクシャリティが抑圧されていました。

そんな中でツインレイと出会ったことがきっかけで、自分の中にあるセクシャリティの問題に直面し、これまでいろいろな形で向き合ってきました。

そのうちに、自分の中の女性性が少しずつ声を上げ、

もっと私を認めて
もっと私を愛して

と自分の中のセクシャリティが芽吹いてきたように感じます。



セクシャリティの抑圧は一朝一夕では解消できません。

少しずつ、根気強く自分の中にある問題と向き合い、一つずつ絡まった糸をほぐしながら解決していくしかありません。

私自身、セクシャリティの抑圧を自覚するだけでも、かなりの時間がかかってしまいました。

そもそも、セクシャリティの問題から解放されるには、

両親との和解(精神的自立)
インナーチャイルドの癒し
愛着障害や回避依存症からの快復

など、複合的な要素が絡んできます。


ですが、自分の中で気づきと癒しを繰り返していくと、少しづつ光が見えてきます。


自分のセクシャリティの問題と向き合うことは、過去の傷やトラウマと関連しているので簡単なことではありませんが、

本当の自分を取り戻し、自分らしく生きるチャンスでもあります。


どうか、焦らず気負いすぎずに、少しづつあなたのペースでやっていってください。

あなたの傷ついた女性性が少しでも癒されますように…💐



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