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国宝犬山城 天守閣2

大手道を上っていくと城の案内板がある。 江戸時代の地図の横には「城郭」の構造と役割が記してある。まずは第一防衛ラインとして松之丸と呼ばれる曲輪が最下段にある。空堀、水堀で囲まれ東西二つの櫓に守られている。黒門をくぐると右手に桐ノ丸、杉ノ丸左手に樅ノ丸そして天守閣のある御本丸だ。本丸は弓、鉄砲、大砲と三つの櫓に守られている。地図をあらためて見るとそれはまるで棚田のテッペンに天守閣があるようだ。 なるほど、城めぐり初心者の私には随分参考になる。「まがりわ」ではなく「くるわ」と読

    • 国宝犬山城 天守閣1

      かわいらしい文字で、”国宝犬山城”と彫られた巨大な石碑がある。ここから緩やかな坂が奥へと続いている。城への入り口だろう。眼下に横たわる木曽川が空の色を写して湖面のようだ。カメラマン達が三脚を立て、何やら撮影準備をしている。木曽川が見下ろせるそのスペースは手すりに「犬山城港」とある。遊覧船のりばへの階段が続いているようだ。辺りをぐるり見渡せば定食屋さんの白い壁に赤の文字で「あゆ釜飯」と書かれている。幟には「鮎雑炊」「冷やしきしめん」「味噌かけ冷やし豆腐」と旅情を掻き立ててくれる

      • 金華山岐阜城4

        夕闇迫る長良川のほとりに出た。猛暑とはいえ夏至を過ぎた陽は短くなっている。オレンジ色に光輝く川は静かにゆっくりと流れていた。犬を連れた散歩人が歩いている。赤い屋根をつけた鵜飼観覧船が土手の内側に浮かんでいる。ここから観光客を乗せて川の本流に出ていく船もある。目当ての芭蕉の句碑は見つけられなかったが、北原白秋の歌碑、川端康成ゆかりの石碑、着物を着た明治か大正、昭和初期と思しき、男女の石像があった。裏を見れば「篝火」という彼の小説の恋人同士らしい。 長良橋の道路をくぐり川原町に

        • 金華山岐阜城3

          伝一ノ門跡を抜け登っていくと「岐阜城歴代城主」の看板がある。鎌倉時代に幕府官吏として任ぜられた二階堂氏が金華山の主となったのが始まりとある。その後室町幕府守護代が歴任し斎藤道三の手に落ちそれを織田信長が陥落させ池田輝政、豊臣そして織田秀信(三法師)と城主が目まぐるしく変わっている。要するにのっとり合い。 よほど重要な拠点だったのであろう。 いかん、こういうのを読んでいると日が暮れる。先を急ごう。伝馬場跡・下台所、伝二ノ門を通過するとようやく黄色の幟に織田家家紋が立ち並ぶ天守

        国宝犬山城 天守閣2

          金華山岐阜城2

          岐阜公園総合案内所で資料を集めたかったが時間が迫っていた。急足でロープウェイに向かう。チラチラ観光客が乗車待ちをしていた。午後4時すぎ、何とか滑り込むようにロープウェイに乗った。昔のエレベーターガールのようなガイドさんがマイクで案内している。外国人観光客の姿もある。ロープウェイのガラス窓には日本遺産のシール、纏を模したようなロゴ、日の丸の下にJapanHeritageのお馴染みのマークが貼ってある。第一号と書いてあるが・・・。 降りしなガイドさんに「何年に認定されたんですか

          金華山岐阜城2

          金華山岐阜城1

          小牧山城から国道155号線を西へ進み、右に折れ国道22号線を北上する。木曽川を渡ると、切り立った山が近づいてくる。あの山の頂が岐阜城か。私は車のハンドルを握りながら「岐阜」という県名の由来を考えていた。「岐」は「岐路」の岐か・・・。「阜」とはなんだ?熟語が出てこない。 金華山のトンんネルを抜けると、大きな門が左手に見えた。馬に乗り弓を引く銅像は信長だろうか。何だかワクワクしてくる。その信号を左折し公園を左に見ながらゆっくり車を進めるが目ぼしい駐車場はなかった。仕方なく歴史博

          金華山岐阜城1

          灼熱の小牧山城4

          元気な名古屋弁のおじさんのいう通りに東側へ山道を降りてゆく。途中曲輪と思しき木陰を見つけて一服する。持参したペットボトルの水は全てここで飲み干した。 「れきしるこまき」はガラス張りの新しい展示室だった。暑さと寝不足で頭がぼーっとしていたのか、ここでも新たに入館圏を購入したことを館を出た後に気がついた。無駄な支出は抑えたいと今回の旅に出たが、やってしまった。館内では冷房が効いた暗がりの中ミニシアターを模した空間の椅子に腰掛け涼んでいると、女の子を連れた若い母親が入ってきたきた。

          灼熱の小牧山城4

          灼熱の小牧山城3

          麓の神社に賽銭投げていざ登城。 南から真っ直ぐに上へ段が伸びている。歴史案内板によればここ大手道は真っ直ぐに伸びていること自体が珍しい作りだという。確かに敵の侵入を防ぐにはくねくねさせた方が良い。木々の向こうの天守閣目指して一歩を踏み出す。クマゼミがジュワジュワ鳴いている。暑い。迸る汗。襟に巻いた日本手拭いは既に汗で湿っている。五段くらい上がったところで暑さでぼーっとする。150mと案内板にあったがその道のりが長い。そしてこの石段いや、砂利段か。段といっても右、左、右、左と一

          灼熱の小牧山城3

          灼熱の小牧山城2

          犬山城から12キロほど南下すると小牧山城址の北側に出た。堀に囲まれた緑が城址だろう。有料パーキングがあったがスルーして南に回った。城の麓には幟がいくつも立っている。見れば紫に白抜きで葵の御紋の幟、徳川家康本陣の地と書いてある。さらに黄色に紫の織田木瓜家紋に、小牧山城 ”近世城郭のルーツ信長の石垣”のキャッチコピーに赤いマントをつけた信長のイラストがある。犬山城は城下町も昔ながらに再現されていて、幟を立てて宣伝するまでもなかったが、ここは確かに上りがないと小高い山、だ。それにし

          灼熱の小牧山城2

          灼熱の小牧山城1

          広島で平和記念式典が開かれる日といえば蝉がシャンシャン鳴く中、総理大臣が平和への誓いを朗読する夏真っ盛りを想像する。私は夏の岐阜旅行で犬山市にいた。 「まさか明治村がこの夏休みのかき入れ時に休みなんてことないですよね」 スマホでHPをみると今日と明日の二日間休館日になっていた。宿泊先のホテルから木曽川沿いに朝散歩した際に気になった、日本庭園 有楽苑にチェックアウト後、車で来た。一通り庭園を散策した後、お土産に便箋を購入した。受付の女性にも確認してみる。親切にも彼女は自分の

          灼熱の小牧山城1

          八百津町の夏11

          女将さんの目が三角になった。「見てない!」それはまるで街角インタビューでおバカな女子高生が現職の総理大臣を答えられない時の驚きに似ていた。 「半沢直樹は面白かったんですよ。その続編も観ました。他のドラマもちょっと観ました。でも、半沢直樹の面白さを越えられないんですよね。昨夏ハヤブサなんとかというの放映していたのは知ってましたけど、そもそもドラマを観る習慣がないんです。それに、なんとなくのこれまでの経済小説や勧善懲悪とは趣向が違うかなって思って」咄嗟に言い訳をした。 ズレた

          八百津町の夏11

          八百津町の夏10

          国道418号沿いに直売所があった。車数台止められる小さな店構えだった。「ごめんください」中に入ると女将さん然とした、かっちりとした女性がレジカウンターの中で店番をしていた。しばし無言で陳列された品々を物色する。瓶の醤油なども置いてある。「おせんべい屋さんですよね」とバカな一言に「そうです」と憮然と返ってくる。そして沈黙。なんとなく居心地が悪い空気を感じながらも、物色する。お互い無言。店のすぐ脇にはやはり「ハヤブサプロジェクト」せんべいがあった。入り口脇には「倍返し」と書かれた

          八百津町の夏10

          八百津町の夏9

          山道の左回りカーブ右回りカーブS字カーブ、ヘアピンカーブをくねくね回って降りて行く。朝日に照らされた上代田棚田のところに車を停めた。入り口の石碑の元号は江戸時代のものだ。棚田の上段へ舗装された道を歩いて行き左側を見ると「マイ棚田」だろうか。棚田の一つを所有しているか、借りているのだろう。名前入りの表札が立っていた。地元自治体もこの棚田を残すべく色々とアイディアを模索しているのだろう。借りた人は子供に稲の育つところを体験させたい大人だろうか。町の有力者の付き合いで持たされるハメ

          八百津町の夏9

          八百津町の夏1

          八百津町。西へ静かに流れる木曽川が蛇行するところに町がある。地図で追うと木曽川の源流は長野県のほぼ中央に位置する木祖村にあった。地名などの固有名詞は「音」から始まる事が多い。しかも時と場所により変化する。文字というのは面白い。言葉というのも面白い。最近の若者コトバには辟易するが、古文さながら「いとをかし」などといっていたら「ヤバっ!」となる。さて、木曽と木祖はどちらが先だろうか。いずれにせよ共通している「きそ」という音に何かありそうだ。 町のホームページをみると人口およそ1

          八百津町の夏1

          八百津町の夏8

          静寂の中一晩を過ごした。怖いくらいに静かだった。それでも旅の疲れか、気がつくと眠りこけていた。目が覚めるとテレビと電気がつけっぱなしだった。時計は午前3時を指していた。まだ薄暗い中庭で星空を見ることができた。もの音一つしない。いや、時よりモーターのような音が聞こえてくる。鳴ったり鳴らなかったり。そのまま夜明けまで部屋の中で、旅先で得た資料を整理しながら夜明けまで部屋で過ごした。コーヒーが飲みたかった。朝食は8時からだったのでしばし散歩に出た。明るくなってくると芝犬を連れた人が

          八百津町の夏8

          八百津町の夏7

           八百津橋を渡り街中に戻る。県道83号線沿いの鄙びた町の中心、丁度良いところに神社があり駐車スペースがあった。徒歩圏内に役場や銀行があるので、ともすればすっと通り過ぎてしまいそうなこの場所はやはり中心街といって良いかもしれない。公衆トイレで用を足すと、定食屋が目に留まった。好立地である。午後にラーメンを食べたばかりだったが、今晩泊まる宿の村落にはどうもお店らしいお店は見当たらない。ここで早めの夕食を摂ることにした。 暖簾をくぐりガラス戸を開けると、店内はメニューが書かれた紙

          八百津町の夏7