金華山岐阜城4

夕闇迫る長良川のほとりに出た。猛暑とはいえ夏至を過ぎた陽は短くなっている。オレンジ色に光輝く川は静かにゆっくりと流れていた。犬を連れた散歩人が歩いている。赤い屋根をつけた鵜飼観覧船が土手の内側に浮かんでいる。ここから観光客を乗せて川の本流に出ていく船もある。目当ての芭蕉の句碑は見つけられなかったが、北原白秋の歌碑、川端康成ゆかりの石碑、着物を着た明治か大正、昭和初期と思しき、男女の石像があった。裏を見れば「篝火」という彼の小説の恋人同士らしい。

長良橋の道路をくぐり川原町に向かうと、鵜飼観光事務所の脇に五木ひろし氏の「長良川艶歌」の歌詞が書かれた石碑まである。古い街並みに釣られしばらく歩いて行くと小さな芭蕉の石像があった。これでもかというくらい著名人を利用しまくっている。いや、そうではない。長良川が鵜飼の舟が文人、歌人、詩人等を惹きつけるのだろう。それくらい心地良い場所なのだ。気がつけば随分と日が暮れていた。観光バスが停まり中国人観光客の団体と思しきグループが、鵜飼の屋形船乗船場にぞろぞろ歩いている。

老舗の和菓子屋さんに入り、鮎の饅頭を買い奥から出てきた女将さんに聞いてみる。「川端康成って岐阜の出身なんですか」目に一瞬怪訝の色が刺したが「恋人」とだけ返答があった。なるほどあの石像は小説の中の二人か。なかなかおつである。「芭蕉の句碑がこの辺にあるはずなんですけど」と問うと、観光事務所の人なら知っているのではないかとガラス戸の向こうに見える建物を指差した。「ありがとうございます」と買い物をした私の方がお礼を言い店を出た。

観光事務所の外でしばらく待っていると、若い男性職員が事務所からA3サイズの句碑マップなるものを渡してくれた。句碑マップ!そんなものまであるのか。岐阜、ずるいな。いや、すごいな。海のない県だと勝手に気の毒に思っていた自分の愚かさを思い知る。時空を超えてこの場所を愛した人々を大切にする心意気を感じる。芭蕉は岐阜を何度も訪れているという。

先ほど私が目にした句碑や石碑群は、ポケットパーク[名水]と命名されていた。もうとっくに日が暮れていたが、芭蕉の句碑を見つけることができた。見落としていたのだ。河東碧梧桐の句碑もある。目的を達成すると疲れがどっと出てきた。汗だくのTシャツはいつしか乾いていた。喉がカラカラだった。普段は買わない炭酸飲料が無性に飲みたくなり、近くの自動販売機でペプシをゴクゴク半分まで飲みした。鵜飼の舟が灯りをともして夜の川へ出てゆく光景を眺めながら一服した。

今日はここまでと、駐車場までトボトボと歩いてゆく。そういえば料金は最大1300円だったか。財布を探すと一万円札のほか千円札一枚と小銭で200円だった。100円足りない!岐阜公園前のファミリーマートまで両替に戻る体力も気力もなかった。その時、キラリと光る100円玉が落ちている。一瞬迷ったが、これは自分が落としたものだと言い聞かせ、神のご加護だとありがたく頂戴し車を出すことができたのであった。

長い1日だった。早朝、チェックアウト前に犬山城の周りを散歩し、小牧山城で灼熱の中クラクラになり、岐阜城の展望台で息を吹き返し、長良川のほとりで夏の夕暮れを堪能した。明治村が休みで逆に良かったのかもしれない。知らないが故に色々な発見があった。知らないって、時々いいことだ。岐阜、いいな。


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