灼熱の小牧山城2

犬山城から12キロほど南下すると小牧山城址の北側に出た。堀に囲まれた緑が城址だろう。有料パーキングがあったがスルーして南に回った。城の麓には幟がいくつも立っている。見れば紫に白抜きで葵の御紋の幟、徳川家康本陣の地と書いてある。さらに黄色に紫の織田木瓜家紋に、小牧山城 ”近世城郭のルーツ信長の石垣”のキャッチコピーに赤いマントをつけた信長のイラストがある。犬山城は城下町も昔ながらに再現されていて、幟を立てて宣伝するまでもなかったが、ここは確かに上りがないと小高い山、だ。それにしても駐車場が、ない。ある?いや、ない。城の正面にはかっこいいガラス張りの近代的な市役所がある。人口およそ14万人(役所HP公表)のこの町にしては立派だ。私が住む政令指定都市よりも立派ではないのか?予算規模を比較しても8倍の開きがある。市庁舎の見栄えはに財政規模には必ずしも比例しないのか。予算配分の問題か。話がそれた。

結局近くのドラッグストアのガラガラの駐車場に停めさせていただいた。車を降りるとモワッとした暑苦しい空気に気が滅入る。城址側には歩道がないので少し歩きづらかったが、階段を上がり大手門と呼ばれているところまで来た。すでに汗が吹き出している。正面階段の踊り場に大手門発掘調査時の案内板があった。読めば、現在の市役所敷地内から大手門への通り道が発掘されたとある。市役所の正面広場を見下ろすと、通りのあったと思われるところに真っ直ぐにその痕跡が記してある。この庁舎を設計する段階からそのアイディアを採用したのだろう。素晴らしい!この町は歴史を大切にしている。それに引き換え我が町よ。県庁は明治初期の洋風建築を取り壊し、あっという間に近代的なビルディングに変えてしまうし歴史を大切にしているとは思えない。いや歴史というよりも「時の移り変わり」を街に反映すれば面白くなりそうだ。ゾーン事に平安まで遡れなくてもせめて江戸、明治、大正、昭和と。

まあそんな悠長なことも言ってられないか。地震は頻発、台風被害もあった。集中豪雨も頻発。そして上下水道や道路の老朽化。当然ながら、まずは防災からということになろう。電柱や電線の地中化も含めて。あ、いかんいかん。話がそれた。小牧山城だ、小牧山城。つづく

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