八百津町の夏7

 八百津橋を渡り街中に戻る。県道83号線沿いの鄙びた町の中心、丁度良いところに神社があり駐車スペースがあった。徒歩圏内に役場や銀行があるので、ともすればすっと通り過ぎてしまいそうなこの場所はやはり中心街といって良いかもしれない。公衆トイレで用を足すと、定食屋が目に留まった。好立地である。午後にラーメンを食べたばかりだったが、今晩泊まる宿の村落にはどうもお店らしいお店は見当たらない。ここで早めの夕食を摂ることにした。

暖簾をくぐりガラス戸を開けると、店内はメニューが書かれた紙が壁に所狭しと貼ってある。豊富なメニューだ。昭和8年創業とある。色紙もたくさん飾ってある。地元の祭りの際に撮った若旦那と思しき写真も威風堂々と映っている。あまりの品数の多さに目移りしてしまうので、無難にカツ丼を注文した。するとガラガラっと男が入ってきた。落武者のような縮れながら伸びた髪に日焼けした顔、肉体労働者でろうか。黒のタンクトップに黒の短パン姿である。慣れた調子で注文していた。よそ者の私に俺はこの土地の人間だと言わんばかりに、慣れた調子でおかみさんに向かってテレビを高校野球にしてくれと言う。そういえば今日は夏の甲子園の開幕日だった。定食屋には夏の甲子園中継がよく似合う。

「ごちそうさまでした」
カツ丼の卵はトロっとふんわりうまかった。カツは冷凍だろうか。メニューがたくさんあると言うことは.・・・そういうことだと自分を納得させた。外に出ると、事件だろうか。パトカーが止まっていて何やら閉まっているお店の奥さんらしき人が事情聴取を受けているようだった。空き巣にでも入られたのか。小さな街だ。こういう事はあっという間に広まるのだろう。それよりも隣の古びた本屋が気になちた。いかにも個人商店風の店舗に胸が高鳴った。私の住む町は大型チェーン店に駆逐され、もはや個人商店は残っていない。ガラスの引き戸を開け、店内を見渡すとると薄暗いが広い。乱雑にさまざまな種類の本が置かれていた。ここにも作家池井戸潤氏の特設コーナーが設けられていた。

「八百津町の地図はありますか」昭文社の折りたたみ地図を購入しようとしたがあいにく品切れだった。「最近はみんなネットで地図見ますから」地元の地図くらい常にストックして用意していて欲しかったが、まあ一理ある。今時折りたたみの地図を必要とする人間など、私のような絶滅危惧種しかいないのだろう。その絶滅危惧種の来客にいささか戸惑いを見せた若い店主は申し訳なさそうにしていた。その接客態度から一度は都会で働いた経験がある人間なのかと推測する。横柄な態度は見られない。時間があればもうちょっと書店にいたかったが先を急いだ。

Googleマップで時間と距離を確認する。20分くらいかかる。なんとか7時前には宿につきそうだ。街中から山の中腹へいくつものカーブを超えて登ってゆく。途中赤薙棚田を横目に、そして上代田棚田のところで車を停めた。杉原千畝の生まれ育ったところ。千畝という名前はこの綺麗な棚田から命名されたと八百津町がいう。

上代田棚田。千の畝か。広大な棚田をイメージしていたが、存外こじんまりとしていた。秋の収穫を前に、青々とした稲穂がこうべを垂れ西日をうけ控えめに輝いている。山間に連なる棚田に癒される。とんぼが気持ちよさそうに飛んでいる。だが、残念ながら所々雑草が茂っている。きっと継ぎ手がなく、いわゆる耕作放棄地になっているのだろうか。ここもやがては野菜農家のように外国人労働者が棚田の維持に一役買うことになるのだろうか。皆、生活がかかっているのだ。人は年を取るのだ。動けなくなるのだ。個々にさまざまな事情があるのだ。傍目に見ていると牧歌的な風景に過ぎないが、狭い町や村というのはしがらみでがんじがらめになっていると聞くし、そもそも人の集まるところには必ずもめ事は起こるものだ。私などの一観光客が口を挟む余地はないのである。

ヘアピンカーブを曲がって車を走らせると陽が翳ってきた。対向車がない。杉や檜の影に入るとオートのヘッドライトが点灯するほど暗い。さて、そろそろ目的地だが。田んぼと農家しか見当たらない。道を間違えたのだろうか。Googleマップはここを曲がるように指示している。え?田んぼしかないが。農道?私道?。とにかくGoogleマップを信じて車を進める。お店どころか自動販売機もなさそうだ。いや、ない。どんつきのところに田舎の大地主の家のような日本家屋がある。それはまるで古民家に化けた屋敷のようだ。看板に宿屋のなまえがあった。ここか。食事処が点灯していた。少しほっとする。人混みに嫌気がさして田舎の風景に癒されたが、人気がなさすぎるというのも心細くなる。全く勝手なものだと我ながら思う。つづく



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