八百津町の夏10

国道418号沿いに直売所があった。車数台止められる小さな店構えだった。「ごめんください」中に入ると女将さん然とした、かっちりとした女性がレジカウンターの中で店番をしていた。しばし無言で陳列された品々を物色する。瓶の醤油なども置いてある。「おせんべい屋さんですよね」とバカな一言に「そうです」と憮然と返ってくる。そして沈黙。なんとなく居心地が悪い空気を感じながらも、物色する。お互い無言。店のすぐ脇にはやはり「ハヤブサプロジェクト」せんべいがあった。入り口脇には「倍返し」と書かれたせんべいもあった。古い。もう11年前の流行語だ。それがいまだに置いてある。もちろん11年前のものではない事はすぐにわかる。だがあえてそれを置く事に大きな意味があるのだろう。

お値ごろの三枚入り玉子せんべいを買おうか、それともハヤブサプロジェクトせんべいにするか迷った。いずれも八百津せんべいに変わりはないからだ。ふとレジカウンターの上を見るとここにも池井戸潤氏の色紙がある。これで3箇所目だ。ハヤブサミュージアム。泊まった宿の食堂。そしてここ。「池井戸潤さんの色紙ありますね」「そうここ出身」女将さんがあっさり言う。「やっぱりそうなんですね。私が先日行ったハヤブサミュージアムの職員さんは岐阜県のどこかは非公開って言ってましたけど」すると珍客に身構えていた女将さんが笑いながら「あら、言っちゃった」と、やっと会話できそうな雰囲気になった。そこからはこの町に来た目的やらどこに泊まったやらどこで食事したやら色々と話に花が咲いた。

どうやら私が泊まった山の中腹の集落が池井戸潤氏の出身地だという。「部落」という表現を使っていた事に少し戸惑いつつも、昔からそういう言い方をしてきたのだろう。土地の人にとっては部落なのだ。日本語というのはむづかしい。時と場合と場所によってはまるで違ったニュアンスに聞こえる。話がそれた。氏のお母さんも御健在で、たまに来るという。そうかそうか、昔ながらのお知り合いか、常連のお客さんなんだろうな。それでいまだに「倍返し」せんべいがあったり、池井戸潤氏の色紙があるのも納得した。よせばいいのに、また間抜けなことを口走ってしまった。「実はドラマ見てないんですよ」その瞬間女将さんの目の色が変わった。
つづく

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