八百津町の夏1

八百津町。西へ静かに流れる木曽川が蛇行するところに町がある。地図で追うと木曽川の源流は長野県のほぼ中央に位置する木祖村にあった。地名などの固有名詞は「音」から始まる事が多い。しかも時と場所により変化する。文字というのは面白い。言葉というのも面白い。最近の若者コトバには辟易するが、古文さながら「いとをかし」などといっていたら「ヤバっ!」となる。さて、木曽と木祖はどちらが先だろうか。いずれにせよ共通している「きそ」という音に何かありそうだ。

町のホームページをみると人口およそ1万人。ここも過疎化が進んでいるのだろう。古い街並みは人の気配がない。開店休業の店もある。江戸から昭和へ時代がタイムスリップしたかの様な古民家が軒を連ねているこの場所が、この町の中心街だということに後から気がついた。スーパーは西友がある。駐車場はがらがらだ。コンビニは1店舗ファミリーマートがある。不便さは人を遠ざける。そんな町がまだ残っているのだ。と、都会の生活にすっかり慣れてしまった私は思うのである。古い建物が壊されタワマンやコインパーキングに生まれ変わる景色に嫌気がさして、今回の旅に出たのだから、我ながらいい町に来たと思い込ませることにした。それにしても、だ。私はこの町の観光を楽しむことが出来るのだろうか。

「観光協会は2階になります」
都会にもいそうなマスクをした若い女性職員が気持ちよく案内してれた。私はまず八百津町役場にある観光協会を訪れることにしたのだ。品の良さそうな、メガネの奥の眼が優しい女性職員が、町の観光スポットをピックアップして紹介してくれた。イントネーションが私の住む関東とは違う。これだけで旅情を掻き立ててくれる。ところでこの街は杉原千畝の出身地である。今回の旅の目的地の一つ杉原千畝記念館の場所を町のガイドマップで一緒に確認した。や・お・つと、折り畳まれたガイドマップを広げると、ほのぼのとしたイラスト入りの絵図がある。手書きで描いたような道や蛇行する川もしっかり描き込まれている。メガネの女性職員は杉原千畝記念館のすぐ近くに「ハヤブサ・ミュージアム」がオープンしたので足を運んでみることを私に勧めた。そういえば階段の踊り場にもポスターだかチラシがあったが特に気に留めなかった。はて?ハヤブサ?消防団?どこかで聞いた様な聞かない様な・・・。

外に出ると夏の日差しの眩しさで目がくらっとした。外の景色に目を慣らす。山裾に目を移せば、山あいからから上空に広がる青い空がクリアだ。都会なら台風一過や大雨の後でしかみる事ができない澄んだ空。クマゼミが全力で鳴いている。夏休みの絵日記の風景が眼前に広がる。岐阜県の予想最高気温は37度。今日も暑くなりそうだ。連日天気予報では「危険な暑さ」を連呼している。そしてここは40度を記録したことがある岐阜県なのだ。ところがどうだろう。湿気が少ないのだろうか。街中のようなもわっと、ねっとりと、まとわりつく息苦しい暑さは感じられない。海のない県も悪くない。

杉原千畝記念館がある人道の丘公園に車を走らせた。真夏の平日の昼下がり、ふもとの駐車場はがらがらだった。丘の中腹、ナイチンゲールの胸像前のちょっとした駐車スペースに車を停めた。私の車1台限りである。遠くでクマゼミが鳴いている。向かいに木造平屋造りの建物がある。水色の幟に白抜きで「遊魚券取扱所」とある。木曽川中流漁業協同組合。年季の入った木の看板に墨で記してある。近づいてみるとこの建物の正面右脇から入るようだ。軒を同じくして「ハヤブサ・ミュージアム」の案内プレートがある。隣の敷地には建物でも建てているのか基礎工事の最中だった。ここの一角か。ミュージアムというのだから大きな箱を想像していたが、予想に反して小さな建物だった。暖簾をくぐり中に入ると居酒屋だろうか、カウンター脇のレジを模したところに女性スタッフが一人笑顔で迎えてくれた。ここからは驚きの連続が始まる。つづく

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