おかしな自分のままでいる。
こんにちは。
今日は、自分のはたらき方について書きます。
誰にでも適用できる Tips や How to ではないですが、自分のサンプルを増やすことは選択肢を増やすことに繋がると考えているので、
「どうしたら自分らしくはたらけるのか」
「自分らしさを保つにはどうすればいいのか」
と悩んだり、自分の望むはたらき方が、たまたま他人と違ってしまったり、周囲に味方が見つけられなかったりする人の参考になればとおもい、
パーソル×noteの投稿コンテスト「#私らしいはたらき方」に寄せて、まとめてみることにしました。
増えた選択肢だから選べる
いま私は、バリスタ、調理師、コーチとしてはたらいています。
(いっしょにお店に行って、コーヒーのあれこれに答えたり解説をしたりするコーヒーショップ分解ツアーやHELP MEALSという料理代行も主宰)
本業に対しての副業というキャリア形成をするパラレルキャリアと違い、どれが本業と決めずに取り組む、スラッシュキャリアと呼ばれるはたらき方。
特に仕事や職業において「ひとつにしないといけない」バイアスの強さは日本固有のものだとおもいます。
2つ以上の仕事を「並行してやっている」と話せば自然と「どちらが本業か」と問われ、どちらも本業(というか決めていない)という答えかたをすれば「まだ(どちらかに)決まっていないだけなんだね」という反応がかえってくる。
「どちらかに決めるつもりがない」
という答えが相手の想像の範疇にないことを思い知らされるとき「知らないものは存在していない」のと同じなんだなと痛感します。
今のはたらき方は私自身の「増やすことができた選択肢」のひとつです。
取り組む対象を「ひとつに決めない」と決めることで、3つのキャリアを並行する、という選択肢がうまれたわけですが、やってみるとこれが想像していた以上にしっくりきました。
それがわかっただけでも、考えているより試してみてよかったなと感じています。
小さな変化を選んだこと
ちょうど1年前に、今のはたらき方にシフトしました。
多くの人と同じように、それまでの考えかた、なんとなくの道筋のようなものを見直さざるを得なくなったことがきっかけです。
今後の流れを予想しようにも、何が覆るかわからないという不安、自分の力の及ばない域で起きていることに対し、安易におおきな決断をしたくないという気持ちが強くありました。
たとえば仕事そのものを変えたり、住む場所を変えたりすることには抵抗がありましたが、
それに比べて、ちいさな変化で済む《はたらき方》の見直しは、自分にとっては現実的で、より手にとりやすい選択肢だったんです。
その少し前から、
「積み上がる仕事」をしたいと考えるようになっていたこともあり、
動き自体は小さくとも、自分で決めてその結果を引き受けていけるようなやりかたでいろいろ試したい、という気持ちや、
八方塞がりに見える状況のときこそ、より積極的に強みに転換できる何かを探さないといけない、といった経験則など、自分のもてる感覚を総動員して判断した結果、
マイナスからゼロでなく、マイナスからプラスを目指す考えかたを、より強く意識せざるを得なくなったんです。
コーチとしてはもともとフリーで活動していましたが、バリスタ / 調理師としては、店舗に依存しないはたらき方を模索し、いろいろ試して、受け入れられたものを中心に組み立て今に至ります。
スラッシュキャリアというはたらき方を選ぶにあたって大事だと感じることは、
各キャリアを貫くテーマのようなものをもっておくことと、それを言語化しておくこと。
私は自分のテーマを、関わる人の「選択肢を増やすこと」としていて、
人は1人として同じでないという前提に立ち、多様性というものをいろんな角度からみて、理解していこうとしている過程にいます。
どんな状況でも、自分の意思に沿った選択ができることで、本人の満足度や幸福感におおきな影響があるとおもっているし、そのためには、
◎自分に合った選択肢を認識できていること
◎それを選択しようとおもえること
この2点が必要。
そしてその判断には、自分を知ることが必須事項です。
やっていること、取り組む活動が1つか複数かに関わらず、どの状況でも同じ価値観にもとづいた行動をとれることが大事だと考えています。
また、誰かと話すときに、どういう考えでこういうはたらき方を選んでいるかをわかりやすく伝えられることは、応援者や理解者を得ることにつながるので、ネガティブな意見をもらうこともありますが、
(そしてもちろん、一瞬ウッとなりますが)
できるだけフラットにお話をするようにしています。
特性に意図なし
とはいえ、もともとそうしようと計画して、こうなったわけではないという意味で、動機はとても消極的です。
すべては競争から逃れるために始まりました。
いろんなことが人よりうまくできなかった自分が、(生きていくために)どう対処したかをこちらの記事に書いていますが
「これまでの意思決定において発揮された、最も効果の高かったリソースはなんですか?」
という質問をされたなら、
私は迷わず「不安と自信のなさ」と答えます。
リソースとは、活用することで価値を生み出すものを指すそうです。
人が羨むような能力や資産だけがリソースではないんですよね。
感じている不安や自信のなさに、具体的な対策を立ててあげることで、それを活用し、必要な行動に転換することができます。
私は「素材の自由度を取り戻す」という表現をしますが、
誰かのリソースを発見する場面や、料理やコーヒーのレシピをつくるときは、この考えかたを適用しています。
野菜と果物の境界線を曖昧にするとか、コーヒーを、本来の形のチェリーまで戻して活用法を変えてみるとかそういうことですが、単純に、こちらが相手(素材)の能力を決めつけない、というスタンスです。
使うほうの意図が結果を決めているだけで、素材に意図はない、という考えかたです。
たとえば、この時期に大量に供給されるキュウリを、味噌つけてボリボリ食べる「しかない」わけじゃない。
砂糖とライムで煮てシロップに仕立て、暑い日にもごくごく飲める、ジントニックのような素晴らしいノンアルソーダを作ることもできる。瓜っぽさ、青っぽさを爽やかさとして活かすんです。
ポイントは、キュウリ自体は変化していないこと。
こちらが「野菜」の枠を外したことで使いかたが変わる。使うほうの工夫で可能性が広がる過程が大好きです。
同じように自分という素材の特性にも意図はありません。
長所や短所がそもそも目的ありきのもので、特性に良し悪しがないとしたら、どう使えば、望む結果に結ぶことができるのか。
自分のまま違う使いかたをすることでブレイクできないか。
そんな探りかたをしていきます。
価値は "違い" そのものにある
特性に良し悪しがないとしたら、それはただの《違い》になりますが、私は、価値はこの《違い》そのものにある、と考えています。
自分が人と違うところ。
望むと望まざるとにかかわらず、ただ、違うところはどんなところか。
起源が焼き印( burned )、という意味であるように、そもそも《ブランド》には他との違いを明確に示す、他と区別する、という目的があるそうです。
人に褒められることや、得意なことなど、縛りをつけて探してしまいがちですが、本人が認識する価値と、周りが認識しているその人の価値が違うこともおおいので、
できるだけ、一般化されたイメージを無視して観察すると、使える《違い》はたくさんあるようにおもいます。
私は今回、はたらき方を変えるにあたって分散する興味、という《違い》を活用しました。
ひとつのことに打ち込むのが良しとされる中で、絞ってやり続けるということができなかった自分。
「2つ以上のことに取り組むことで相乗効果がある」という実感があったことと、「盲目的に多数派になびくと痛い目をみる」という原体験があったのが要因です。
原体験については以下の記事に書いています。
同年代の外国の人たちとの差を知った日の話です。
多様な興味がつくるもの
すこし話はズレますが、私のいちばん最初のキャリアは、動物看護師でした。
今と何の繋がりもないように見えますが、コーチングや、接客業においてキーとなるのは「観察」「洞察」です。
自分の《非言語コミュニケーション》への入り口はこの時期の「動物を相手にしていた時間」だったと後で気がつきました。
動物に言葉というオプションはないので、彼らがとった行動で判断をしていきます。習性と行動を繋げて「何が起きているか」を絞っていく。
いま、コーチングの現場でも、話を聞くこと以上に観察が優位であることに通じているとおもうし、
動物行動学、という視点が先にあり人間も動物であるという考えかたをしていたことは、海外で言葉に頼れない環境におかれた自分をずいぶん助けてくれました。
そんなふうに、
何がいまのはたらき方を可能にしたのか?と考えたとき、最大のリソースは「多様な興味」と、それを繋げる力なのかなとおもいます。
興味が分散する自分のマイナスだけをみて否定し、むりやり周囲に合わせていたら、今のはたらき方にはならなかったでしょう。
実際には、その自分と付き合う大変さはあったとおもいますが、
一方で、そういう《おかしな自分》を面白がっているような楽観さもありました。
これは20代の前半に、海外で過ごす時間をある程度とって、先に視野を広げてしまったことが良かったとおもいます。
「もっと変なパターンはたくさんある」とおもえるのは、実際にそれを目にしたことがあるからで、それでもいいとおもえるのは、それが許されている光景を見てきたから。
そのため人と違うことを盾に何か言われても「あ、この反応は日本だからだな」みたいな感覚が常にありました。
多様な興味は多様な体験に由来することをどこかで知っているからこそ、
意味があるかわからなかったり、そのときやっていることと関係がなさそうなことにも、積極的に時間を使うことができたのかなとおもいます。
たとえば転職などを考えるときも、人は今ある興味から派生したものに興味を抱きやすいため、
全く経験がなかったり、かけ離れている分野に踏み込む人は多くはない印象です。
実際、かけ離れたことに取り組むと、自分が場違いなんじゃないかというストレスが伴います。
私の場合も、そういう場面は何度かありました。
たとえばコーチならコンサルタントや相談系のお仕事を元々されている方も多いわけですが、
コーチングの勉強会やワークショップに参加して「普段は飲食業をしていて」という話はあまり聞かないし、逆に飲食の現場で「コーチングをやっていて」という話をしても、コーチング自体を知らない人も多いです。
どちらにせよ、自分がとても中途半端な存在に感じられる居心地の悪さがあります。
ただ、そこに共感が必要かというと、そんなこともない気がするので、
飲食業から派生して、フード系の資格をとろうとか、コーチングに特化して、キャリアコンサルタントの試験を受けるかとか、そういうふうには考えません。
自分にとっては、それが競争を避ける、ということだからです。
変でいいんです。 むしろそうでないといけません。
積極的に変な自分でいようとすること。
これが、価値は違いそのものにある、ということなのかなと。
そして、そういうときの心細さから自分を守ってくれるのが、「どのようにその興味を深めてきたか」ということです。
自分の仕事や生業と直接関係がなくてもずっとその分野の本を読んでいたりとか、それについて考えてきた時間。
そういうものが自分を支えてくれます。
「そんなに興味があるんだったらやってみたら」と自分の背中を押してあげられるのは、それまでその対象と付き合ってきた時間を、自分自身が知っているからでしょう。
ひとりの人間にもいろんな要素があって、これは個人の内面の多様性と呼べるものではないでしょうか。
自然な状態として、人はデコボコだとおもうんです。
《自分らしさ》という言葉は曖昧で、重すぎると感じることもあるし、
自分らしさがわからないと悩む人を見ることは多いですが、
それについて話を始めると、ほとんどの人は自分について「考え始めて」くれます。
他者との違いを積極的に探したり、それによってできることを実践していくと、
見えていなかった選択肢があらわれたり、おもっている以上に選べることに気がついていく。
コーチングを学んで、自分の目的のために人を否定する人のロジックの弱さがわかったことで、
他者の基準でなく、小さくとも自分で責任のとれることを重ねていけばいいと素直におもえるようになりました。
おかしな自分のままでいる。
競争に巻き込まれないためには、比べられない自分になることが必要で、
そのためには、自分のなかから出てくるものを頼りに進むのがいい、と考えています。
枯渇しないものはそれしかないからです。
自分の好みとか、興味というものほど
「自分にとっては確かであり、他人から見たら予測できないもの」はないから。
その予測のできなさが、おかしな自分の源泉となっていくとおもうんです。
今日は、はたらき方について書きました。
読んでいただきありがとうございます。
競争を避けることであたらしく生まれた選択肢は、たとえるなら風の強い日に自転車をわざと倒して停めるみたいなライフハックではないでしょうか。
立ち向かわない、と決める。
争わない方向を探すという。
自分自身、「よし、こうなろう」とおもって、今のスタイルになったわけではありません。
ただ、自分の興味に正直に、
いまの生活とのバランスをとって、
そして何よりそれ「だけ」にならないこと。
並行して、日々を楽しむこと。
それを続けてきた自分にとっては、成長とたのしさは二者択一ではなく、相乗なんですよね。
たくさんの人が変な自分を保ち、多様な興味を広げていけるような世界こそ、多様性があると言えるとおもう。
そんな人が増えることを願いつつ、自分もそれぞれの /(スラッシュ)の現場で、はたらくことを楽しんでいたいな、とおもいます。
各スラッシュの活動についてはこちらをご覧ください。
読んでいただきありがとうございました。
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