小林正光 (異文化理解コンサルタント)

大手自動車会社での海外駐在22年間で身につけた「異文化理解」、「簡単で便利な英語表現」…

小林正光 (異文化理解コンサルタント)

大手自動車会社での海外駐在22年間で身につけた「異文化理解」、「簡単で便利な英語表現」などをこれから海外で活躍しようという次世代の方たちにお伝えしたく。ドイツ、イギリスの現地法人でのPresidentとしての失敗や苦労の経験をもとに、異文化圏でのマネジメントについてもお話しします

マガジン

  • ストレスフルだけどエクサイティングな海外での仕事

    海外の異文化、習慣、食、など、22年の海外生活で体験したことなどを綴っています。

  • 簡単だけどこれさえ身に付ければ海外駐在OKという英語表現

    英語が苦手な私が、22年間も海外で仕事が出来たのは、これらの英語表現のおかげ。膨大な単語やフレーズを覚えなくても、これだけの英語表現で海外駐在乗り切れます。

最近の記事

私が定年退職後に大学院に入って、MBAと中小企業診断士の資格を目指す理由

4年前に60歳でホンダを定年退職して、昨年(2022年)4月から月曜日から土曜日まで毎日大学院に通っていました。さすがに63歳のカラダとアタマにはシンドイ毎日でしたが、どうにか今月(2023年3月)修了することができました。 目的は、MBAと中小企業診断士の資格を取るためでした。 「その歳して、いまさらなぜそんなことを?」と思いますよね。私もそう思います(笑)。なぜ、MBAと中小企業診断士の資格を目指すことになったかについてお話していきます。 1.ホンダで働いていた頃のこと

    • ジャケットに丸首シャツな人々に期待する

      近年、起業する若者が増えている印象だ。 TVでも、IT技術を活用した新しいモノやサービスを提供するスタートアップが紹介される機会が増えている。 「寄らば大樹の陰」からの脱却。若者の活力を感じる。 そんな若手のアントレプレナーたちによくみられるいで立ちが、丸首やVネックのシャツにジャケットという組み合わせだ。 そして、この流れはIT系を中心に若者から上の年代へと広がりを見せている。 楽天の三木谷社長も丸首シャツでメディアの前に登場。 この流れは、2005年に当時の小池百合

      • =第2の人生を考える= 定年退職した後の仕事選びについて、いまさらながらわかってきたこと

        唐突ですが、あなたは何歳まで生きると(生きられると)思っていますか? そして、何歳まで働く(働ける)つもりですか? 日本人の平均寿命は女性が87歳、男性が81歳を上回るまで延びてきました。現代人の健康志向を考えるとこれから先、まだまだ寿命は延びていくでしょう。 国の財政も考えると年金受給開始年齢もドンドン先延ばしになっていくでしょう。 わたしは、働いていた会社からの勤務継続のオファーを断り、2年前に60歳で早々と定年退職しました。 早めに退職した一番の理由は、これまでの会

        • イタリアで習得した「1日で高速道路1,000kmを楽に走る」コツ

          世の中、コロナ禍で人との接触を減らす取り組みが求められていて、やむなく出張や帰省される方は、クルマでの移動を選択される方が多いのではないでしょうか。 いまから20年以上も前の話ですが、30代のときに、会社からの転勤命令により、5年間イタリアで生活しておりました。 仕事の都合上、イタリア国内をクルマで移動することがとても多かったです。 電車ではムダな待ち時間が多かったことと、イタリアでは高速道路が発達していて渋滞も少なく効率よく移動できるからです。結果として、到着時間もだ

        私が定年退職後に大学院に入って、MBAと中小企業診断士の資格を目指す理由

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        • ストレスフルだけどエクサイティングな海外での仕事
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        • 簡単だけどこれさえ身に付ければ海外駐在OKという英語表現
          3本

        記事

          「途上国への転勤」という会社の命令を受けたときに考えてほしいこと

          日系企業が海外に現地法人を設立すると、たいていは日本から何人か駐在員が派遣されることになります。 派遣された駐在員は、現地のその会社の所在地近くの都市に住まいを構えて数年間を過ごします。 その住まいを構えた都市が、ロス・アンジェルス、ニューヨーク、ロンドン、パリなど、 大都市で、 安全で、 現地の食事が日本人にマッチして、 気候が良くて、 日本の食材が何でも手に入って、 日本人学校が近くにあって、 ゴルフやテニスなどスポーツやレクレーションの機会がある、 といった恵まれた環

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          「アントレプレナー」という言葉を思い起こさせる企業人

          (前号につづく) 大手の自動車会社に就職した私。 この自動車会社は、海外展開が他社よりも先んじていて、私は海外でバリバリと活躍する自分の姿を夢見てこの会社を選んだ。 入社後、本社財務部に配属になり、ルーティン業務に縛り付けられ続け、希望していた海外駐在の命が下りるまでにはなんと10年もの時を要した。 気がつくと、というか当然ではあるが私は32歳になっていた。 駐在先はイタリア。 当社は4輪車のみならず2輪車も製造販売しており、当時、当社の2輪車は世界中で絶大なる人気と

          「アントレプレナー」という言葉を思い起こさせる企業人

          「おい、オレの命令が聞けないのか!」と現地法人の社長に怒鳴られた・・・・けど

          (前号からつづく) 日本を代表するエクセレントカンパニーであり、日本の産業をけん引する大手自動車メーカーで働いていた私は、入社10年目にしてずっと希望していた海外駐在のチャンスを得た。1992年1月だった。 ただし、駐在先はイタリアのド田舎の二輪車製造販売会社。ローマから東へ250km走り、途中3000m級の山脈を越えた先のイタリアの僻地だった。もっと言うと、東京青山の本社高層ビルで10年を過ごした私にとっては、地球の果てとも感じられた。 住まいを構えたのは人口3万5千人

          「おい、オレの命令が聞けないのか!」と現地法人の社長に怒鳴られた・・・・けど

          Job Rotation て、個人にとっても会社にとっても大事なこと、だと思ってた

          (前号からつづく) 東京・青山に16階建て白亜の高層ビルを構えている大手企業に勤務していた若者が、初めての転勤でイタリアのド田舎の町へ。 二輪車を生産している小さな生産拠点で、規模はせいぜい年間2万台。ということはざっくりいうと、1日に10台程度。 まるで地球の果てへ左遷されたような気持で打ちひしがれた私。 32歳の私は、10年間青山本社勤めをしてそれなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ会社の全体像や社会のなりたちなどについて知らないことは多い。 海外の小さな子会社とはい

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          南イタリアの片田舎の小学校は、オドロクほど「無いないづくし」!

          (前号からつづく) 20数年前、南イタリアの、それもアドリア海に面した東海岸沿いにある小さな田舎町に住むことになった。まさか日本を代表するエクセレントカンパニーに就職したのに、こんなところに転勤することになろうとは、まったくの想定外だった。 なにしろ、町で出会うのはイタリア人オンリー。世界のどこへでも出かけて行って住みついてしまう中国人すら見かけない純粋イタリア田舎町だ。 そんな田舎町に、日本から妻と子供3人を連れてやってきた。 長男はちょうど小学校入学の年齢。 こん

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          南イタリアのド田舎へ転勤 社食の Spaghetti al Pomodoro が・・・

          (前号からの続き) 1992年1月のこと。海外出張の経験もないマルドメ(まるでドメスティック)な私が、32歳で東京青山の本社からイタリアのド田舎へ転勤。初めての海外駐在。 ランチャーノという人口3万5千人の田舎町に、ホテルはひとつだけ。選択の余地なくチェックイン。 10階建てのビルの外観はホテルには見えず、長年外壁補修もしていない古ぼけたアパートのよう。 たしかに見かけ通りで、6階まではアパート、7階から上がホテルという棲み分けになっている。 建物の入り口のドアはがたつ

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          赴任先のオフィスは、ローマから250キロ、雪をかぶった険しい山を越えた先のド田舎にあった

          1992年1月。 モスクワ経由ローマ行き、JALのB747ジャンボジェット機。 ソ連(まだロシアではない)が定めたルールにより、シベリア上空を通るフライトはモスクワ空港でのワンストップを強制されていた。 乗客はモスクワ空港でいったん機外へ降ろされ、薄暗いターミナルのなかの売店が並ぶ狭く短い通路を行きつ戻りつするしか時間のつぶしようがなかった。 海外出張の経験すら一度もない、そして「マルドメ(まるでドメスティック)」な32歳の私が、日本からはるか遠く離れたイタリアの田舎町へ一

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          エクスキューズミー、私もその席にiPadを置きたいのですが・・・

          朝6時前の真冬のフランクフルト。 まだ夜が明けておらず、外は暗くて凍える寒さ。 眠気から覚めやらないなか、身支度をして自宅を出て、空港へ向かう。 日本ではノータイの習慣が広がってきたが、欧州ではあいかわらず、濃紺のスーツにネクタイを締めるのがビジネスのマナー。 搭乗するフライトはフランクフルト→ヒースロー、8:00発のルフトハンザLH900 便。 欧州の大半の国々ではフリーパスで国境を越えることができ、しかも通貨もユーロで統一されている。入国時に両替する必要もない。昔と比

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          ドイツで経験した人事考課の大失敗

          サラリーマンのみなさん、毎年のことですが、人事考課の時期になると、気が重たくなるのではないでしょうか。 中学生や高校生のときと同じように、働き始めてからも一年間の自分の成績表が会社によって作成され、それを受け取らなければならないのですから。 その成績表の結果次第で、来年の給料やボーナスがほぼ決まってしまう上、昇格などにも影響するわけですからね。 みなさんの会社ではどのような観点で人事考課が行われているでしょうか。 人事考課は大きく、「能力評価」「業績評価」「情意評価」

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          =GRIT=  実は、「根性論」は欧米人にも通用するのです

          「オラ~、何やってんだ~!根性が足りないんだ~!」 「もっと、気合をいれろ~」 ひと昔前の高校野球でもあるまいし、いまどき社内でこんな罵声を浴びることなど無いと信じたいです。 とはいえ、日本ではこれに近い「根性論」が世間に根強く残っているのではないでしょうか。 そしてこの「根性論」は、日本独特の精神論であって、海外では通用しないと思っていませんか? そうでもないのですよ。 実は海外でも成功者の必須条件として、「GRIT(やり抜く力)」が注目を集めています。 アメリ

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          中国人にとっての「面子」とは、「チカラの強さ」そのものを表す概念

          日本語にも「面子(メンツ)」という言葉ありますね。 「アイツ、面子にこだわりすぎなんだよ」とか、「先輩の面子をたてなきゃなー」とか、使いますよね。 意味合いとしては、「世間に対する体裁や面目」のような感覚でしょう。 中国にも「面子(mianzi:”ミェンツ”に近い発音)」という言葉があり、日本のそれとはかなり重みが違います。 これから中国に赴任して中国人たちと一緒に仕事をされる日本人の方たちには、中国の「面子」について理解を深めておくことをお勧めします。 40年以上

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          中国人の生活習慣(ほんの一部ですが)や信頼関係の築き方を考察します

          中国武漢の日中合弁の自動車会社で6年間働いたことがあり、毎日中国人たちと仕事をしていました。 彼らの生活習慣に驚くことが多かったのですが、考え方や判断基準についても、考えさせられることが多かったのです。 生活習慣でいえば、まず最初に違いを感じたのは、「外気に触れる」ことの意味です。 朝、社員がオフィスに入ってきて最初にすることは、窓を開けることです。凍り付くような寒い朝でも必ず窓を開けます。そして、暖房を入れながらも窓を開けっ放しのことが多いです。寒いので防寒着を着たままパ

          中国人の生活習慣(ほんの一部ですが)や信頼関係の築き方を考察します