見出し画像

Job Rotation て、個人にとっても会社にとっても大事なこと、だと思ってた

(前号からつづく)

東京・青山に16階建て白亜の高層ビルを構えている大手企業に勤務していた若者が、初めての転勤でイタリアのド田舎の町へ
二輪車を生産している小さな生産拠点で、規模はせいぜい年間2万台。ということはざっくりいうと、1日に10台程度。

Honda Italia 製造ライン

まるで地球の果てへ左遷されたような気持で打ちひしがれた私。
32歳の私は、10年間青山本社勤めをしてそれなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ会社の全体像や社会のなりたちなどについて知らないことは多い。
海外の小さな子会社とはいえ、こんな若造にまだマネジャー職は任せられないということであろう。このイタリアの会社でわたしは、管理部門のコーディネータという中途半端なタイトルを任命され着任した
要は、社長と、管理部門のイタリア人マネジャーとの間に立って、調整役として立ちまわったり、管理部門の問題や課題を社長へ報告したりする、まさにコーディネート的役割。
業務上の責任も不明確なうえ、権限も無いに等しい。あいまいで難しい立ち位置だ。

このイタリア駐在以降、他社の海外駐在者を多く見てきたが、日系企業は私と同じような立場で海外拠点に社員を送り込むケースは少なくないように感じる。
20代ならトレーニング的な意味合いで、コーディネータという立場も理解できるが、30代ともなれば多少背伸びさせてでも現地のマネジャー職を任命して、権限と責任を持たせることがよりその社員の成長につながると思っている。

イタリア語しか通じない世界へ放り込まれ、言いたいことを伝えられず、相手の言っていることは理解できず。そんな八方ふさがりの中でも、私が所属した経理財務部門のイタリア人マネジャー(Paolo)はとても英語が上手で意思疎通できる数少ない相手だった。

この会社の経理財務部門には20名ほどの職員が働いていた。もちろん私以外は全員イタリア人。

マネジャー1人に、係長2人。この3人以外はそれぞれ自分の担当職務を持っている。
Marcoは「現金出納」担当、Francescaは「固定資産管理」担当、Mariaは「Invoice登録」担当、Sofiaは「総勘定元帳」担当、などなど。
この人たちの過去の職務経歴をすべて調べたわけではないが、聞きかじった情報によると、全員、同じ担当業務をおそらく10年くらい、人によってはそれ以上続けている。

日本ではJob Rotation(JR)を頻繁に行う企業が多い。これは社員一人ひとりが幅広く多くの経験を積み、知見を広め、上のポジション(職位)へキャリアアップするには欠かせない制度だ。

画像1

他部門への異動を通じてJRすることもあるし、ひとつの部門内で担当職務を替わることもある。いずれにしても知見を広げていくことが大事だ。
これは日本での、少なくとも私が働いていた日本の親会社での常識だ。

しかし、このイタリアの会社では、JRが行われている気配は残念ながら、無い。
こんなことでは、社員のキャリアアップは望めないばかりか、同じ仕事を続けていてはモチベーションも落ちてくるだろう。会社として「ひと」という貴重な財産の価値を下げていってしまう。と、私は懸念した

思い切って、マネジャーのPaoloにJRを提案してみた。
「Paolo、部門内でJRをしてみませんか? とくに将来性のある若手にはさまざまな経験を積ませることが大事だと思うけど。」

Paoloは、私の提案にまともに取り合わなかった。というよりもなにかコメントしてくれることもなく、つまり無視された。と感じた。

わたしはこの経理財務部門で人事権も含めてなにひとつ権限を持たないので、なにか変えたり決めたりしたいときにできることは、マネジャーのPaoloに提案することぐらいだ。

無視されて悔しいうえ、JRがこの会社の将来の発展にとって欠かせない制度だと思い込んでいたので、今度は日本人の社長に直訴した。

「社長、この会社は経理財務部門ではこれまでJRが行われていないようですが、おそらく他の部門でも同様なんじゃないでしょうか?会社の発展のためにも、次世代のリーダーを育てるために絶対に必要だと思うんです。でも、マネジャーのPaoloに提案してもまったく取り合わないんです。社長から説得してくれませんか」

「そうだな、JRは社員育成に大事だと私も思っている。わかった、私からPaoloに話して説得するよ」

自分の提案が、それも人事労務政策に関する提案を社長に好意的に受け入れられて、自分はとても広い視野で会社の重要課題を抽出できる優れた人材ではないかと浮かれた。

後日、約束通り社長がPaoloにJRを検討するよう話をした。一方的な指示ではなく、経理財務部門の責任者であるPaoloの意見も聴く姿勢を見せながら。私も同席した場だった。

驚いたことに、Paoloは社長の話に対して、激高した

怒り

「私を殺す気か!」

どういう意味なのか私には全くわからなかった。
JRが重要な人事制度であるはずなのに、なぜ彼が「殺す気か」などと声を荒げるのか。

Paoloは多くは語らなかったが、その勢いに社長も委縮して、そうそうに話を切り上げ、それ以降この話題をPaoloに対して持ち出すことは無かった。

さて、Paoloが「私を殺す気か」と吐き捨てるように発言したその真意はなんだったのか。結局その後Paoloから聞くことはできず、私は数年後にイタリアを離れて帰国しまった。
イタリア駐在以降、カナダ、中国、ドイツと海外駐在を長く続けてきて、今、彼の真意を推測すると、いくつか考えられる。

1.このイタリアの田舎町で働くMarcoやSofiaたちにとってキャリアアップなんて野望は無いのだ。そして、長い時間かけて習得した今の担当職務を無難に続けることが彼らにとっての生きる術であり、それで満足しているのだ。それ以上のことは求めていないのだ。

2.日本では職種は二の次でまずは就社し、そのあとどこかの部門へ配属、そしてJRを繰り返しながらジェネラリストを目指すのが一般的らしいが、イタリアでは(欧米一般に言えることだが)特定の職種に就き、それを続けて極めるのが常識だ。そんなこともわからないで、日本の常識を押しつけようとしても私も社員も受け入れられるはずもない。

3.彼らは、都会で働くエリートたちではない。もし彼らにJRを押しつけて、別の職務に替えたらどうなると思っているのか。あちこちでミス、遅れ、失敗が多発しないとも限らない。JRを強要された結果発生する損失に対して、マネジャーである私がなぜ責任とらされることになってしまうのだ。

4.万が一、彼らの中に隠れた才能を持った社員(仮にRiccardoとしよう)がいて、何度か職務を替わることでその才能が大きく花開いたとしよう。そのとき、社長は私にこう言うのではないか? 「Paolo、Riccardoは大きく成長したね。そろそろPaoloからRiccardoに世代交代したらどうかね。彼のほうがこれからの技術進化に対応できる人材だと思うがね。」あなたは私をこの会社から追い出そうとしているのか!

今から25年も前のことをいろいろ想像してみた。
Paoloの心のなかはわからずじまいだが、ひとつ確実に言えることは、日本の社会や会社における習慣や、日本人の価値観が海外にそのまま通用すると思ったら大間違いであるということだ

そんな大事なことを私のみならず、社長も理解できていなかった。
おそらく、私を海外へ送り出した親会社の幹部たちも理解できていない人が多かったのではないか。

おそらく世界中のあちこちで、似たような事態が起きているのではないかと心配になる。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?