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「途上国への転勤」という会社の命令を受けたときに考えてほしいこと


日系企業が海外に現地法人を設立すると、たいていは日本から何人か駐在員が派遣されることになります。
派遣された駐在員は、現地のその会社の所在地近くの都市に住まいを構えて数年間を過ごします。
その住まいを構えた都市が、ロス・アンジェルス、ニューヨーク、ロンドン、パリなど、
大都市で、
安全で、
現地の食事が日本人にマッチして、
気候が良くて、
日本の食材が何でも手に入って、
日本人学校が近くにあって、
ゴルフやテニスなどスポーツやレクレーションの機会がある、

といった恵まれた環境の場合であれば家族も含めて快適な駐在生活が送れますが、そうでない場合も多いのです。

たとえば、
ラゴス(ナイジェリアの首都)、
イスラマバード(パキスタンの首都)、
カラカス(ベネズエラの首都)。

こういう都市に、希望したわけでもないのに派遣される社員も当然いるわけで、こういった駐在先ではさまざまな苦労が伴う。というか命がけで駐在期間中の日々を過ごすことになるといっても過言ではないのです。

戦闘地区

途上国での特異性を挙げてみると、

1.ガードマンを雇って住居の入り口に配置する。
2.自分で運転することは危険が伴うので、運転手を雇って移動はすべて運転手に任せる。
3.食材の買い物すら危険が伴う地域もあるので、そういう場合は現地のおばさんをお手伝いとして雇って、買い物に行ってもらう。
4.日本語や英語で学習できる学校がないため、現地語で学ぶ現地校に子女を通わせる。
5.日本食レストランはもちろんのこと、日本の食材が手に入らないため、日本から送ってもらったり、年に何度か他国へ買い出しに出かけたりして調達する。

とくに、安全度の低い駐在地での生活はかなり緊張を強いられます。
それも365日、24時間、ぶっとおし。

深夜自宅で就寝中に強盗が寝室まで押し入ってきた。
クルマで移動中に止められてカネ目当てで銃を突き付けられる。
伝染病に感染してしまい、その国には信頼のおける病院が無いため、飛行機やヘリで先進国の病院へ移送される。

これらは実際に私が見聞きした事例です。

日本の会社では一般的に(とくに大企業では)、上司から海外転勤の意向確認を受けた場合、よほどの理由がない限り拒否することは難しいといえます。
ひとたび拒否や辞退をすると、その後の昇進や昇格に影響したり、以降の異動先に閑職をあてがわれたりということも、企業によってはありえます。

一方で、身を危険にさらしたり、かなり制限された生活を送ることへの見返りを会社は用意するのです。
・数年間の駐在中の給与は日本で勤務する場合と比べて倍以上。役員並みの待遇を受ける。数年間の駐在を終えて帰国すると日本で家が建つ、と言われる会社もあります。
・年に一度(あるいは半年に一度)の日本への一時帰国休暇。
・年に一度の日本や先進国での健康診断。

このように会社は徹底して配慮をつくします。
こういう厳しい環境の地域への転勤を上司からほのめかされた社員は、大げさかもしれないが究極の選択を迫られることになります。

命を懸けて危険な地域で数年間を過ごすが、見返りに家が建つほどの貯蓄を作る、あるいは、拒否して将来の出世のチャンスを失ってでも身の安全と日本での穏やかな生活を選ぶか。

このような決断を、意向確認を受けてから1、2週間のうちに家族と相談して下すことになるわけです。

わたしは32歳で南イタリアの田舎町に転勤しました。
わたしが勤めていた日系大手自動車会社が南イタリアに二輪車の工場を造ってしまい、そこへ3人の日本人が送り込まれ、私がそのうちの一人に選ばれたわけです。

造ってしまい」という表現はやや否定的な響きがあります。
それは、命の危険と隣り合わせの難易度の高い駐在先に比べたらチョロいものかもしれないが、私が着任した南イタリアの都市(というか都市と呼べないほど小さな町)もヨーロッパという言葉からイメージする環境とはだいぶ異なり、子供は現地の小学校へ通わせるしか選択肢がありませんでした。
子供が海外で、しかもイタリア語なんてマイナーな言語ですべての学科を学ぶというのは、かなり親としては不安が多く、受け入れるには勇気が必要です。
駐在が終わって帰国した後に、この子は一生日本語で苦労するのではないか。日本社会に溶け込んで生活できるのかどうか。
結局は、先々のことを考えても答えはでないので、考えることをやめました。どうにかなるだろうと。

また、日本固有の食材はほぼすべて手に入らない地域でした。
納豆、豆腐、もやし、海苔、だいこん、はくさい、ごぼう、しらたき、しいたけ、れんこん、さんま、こんぶ、わさびやからし、和菓子のすべて、などなど数えあげればきりがありません。
たまに日本からの出張者がお土産にくださった日本のスナック菓子は、子どもたちにとっては超レアな貴重品でした。

この程度の困難さの地域への転勤であっても、転勤を受け入れるのにはかなり躊躇したし、受け入れた後も多くの不安を抱えていました。

組織と個人の関係について、アメリカの経営学者チェスター・バーナードハーバート・サイモンによれば、「組織は何らかの『誘因(主に賃金)』を個人に提供し、その誘因が、個人が組織に提供する『貢献(労働や勤務)』と均衡しているかあるいはそれ以上の場合にはじめて貢献意欲あるいは協同意欲が生まれる。」

海外駐在を受け入れるかどうかに当てはめると、勤務に対する会社からの「誘因(主に賃金)」が、社員(自分)が提供する「貢献(労働や勤務)」以上であるかどうかが判断のポイントになると考えられるわけです。

オカネという「誘因」だけで、命を懸けた「貢献」をするわけがない、と考える人も多いかもしれません。

しかし海外で働くかどうかを決めるのは、会社から受ける「誘因」との比較だけで判断することなのでしょうか。
海外に出てはじめて得られる「貴重な価値」を手に入れるチャンスだと考えてほしいのです。

それは、いままで日本で経験してきたものとは異なる文化、価値観、習慣、生き様、これらを目の当たりにすることで得られるのです。

世界の子供たち

ときには、強烈な憎悪を感じることもありますが、感激に心を揺さぶられることもあるのです。
これらは、会社が提供する「誘因」でもないし、赴任前に想像できるものでもありません。

赴任してみてはじめて目の当たりにすることが、自分の人生や家族の向かう進路を変えてしまうほどの大きなキッカケになりうるのです。

「誘因」と「貢献」という、組織と個人間の単純な交換条件だけで判断するのではなく、リスクを取りながらも、まだ見ぬ世界へ自分を投げ出してみるという判断が人生を面白くするのだと、実は、私は確信しているのです。

とくに、日本での今の働き方に閉塞感を感じている方には、海外の異文化に接することが自分の新たな道を見つけ出すきっかけとなるでしょう。



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