最近の記事

帰宅困難の記

 久々に街に吞みに出た。  倅が開いた店に知人を招いての一献。松本城近くの居酒屋「りんたろう」である。倅は東京で12年、懐石や焼き鳥の店で所謂「修行」をして昨年松本で自身の店を開いた。自分の子なので手前味噌になってしまうが、「料理がうまい」と、連れて行った知人は言っていた。  知人は一つ年長。そこで以後「Kさん」と言わせてもらおう。Kさんとは教職についていた時、数校目の現場で知り合った。気が合ったことから思わぬ年月を付かず離れずの距離感で過ごしてきた。Kさんとは年に1度適当に

    • 日々是酔人

      『ダブリン市民』はジョイス以外の書き物の中で触れられていたタイトルで、かっこいいなと思ったので高校生の時に読んだ。中身はもう覚えていない(いつもながらひどい話だ)ギッシングの『ヘンリーライクロフトの手記』はぼんやりとながら覚えているのに。 大学に入ってつきあいのあった友人の妹が看護大の英語の課題で『ダブリン市民』の原文を読んでというレポートが課され、「困っちゃって」とぼやいているのを聞いた。 そういえば持ってたな『ダブリン市民』… 薄いブルーのカバーで新潮文庫。たぶん安藤一

      • 猩々の記

        谷川俊太郎 ブレイディみかこ 絵 奥村門土『その世とこの世』岩波書店をうっかり立ち読みしてついそのままレジに行った。そして読み進むうち(まだ1/4ほど)何とも言えない懐かしい気分が訪れた。それは49頁、谷川俊太郎の、ブレイディみかこへの返信の一節を読んでいる時だった。  私はとにかく自分の座標を決めたいと思いました。現住所に自分はいる、    その杉並区は東京都にあり、東京都は日本という国にあり、日本はアジア   にありアジアは地球上にあり、地球は太陽系に属していて・・・とい

        • 「福田村事件」

          映画 「福田村事件」 こんなことがあっていいわけがない! なのにこんなことが起きる。それが「福田村事件」である。 だがふと思う、 「これって起こり得るよね?」 森達也監督が水道橋博士のインタビュープログラムで答えていた、 「エンタメなんで映画を楽しんでほしい」 なるほど「エンタメ」か。 だが私たちの毎日が速度制限のない高速道状態なので、まるで「エンタメ」 そこで映画の「エンタメ」が異様にrealだ。 森達也監督は「虐殺が起こる理由は何だと思うか」という問いに

        帰宅困難の記

          Yのこと

          先日ミュージシャンのKANが亡くなったとニュースになった。仕事の合間のネットニュースで見かけた瞬間、頭の奥の方で何かが一瞬よぎった気配がした。KANという人のファンでもないし曲はたった一つ「愛は勝つ」しか知らないわけだからそのよぎったものがKANとは別物であることは間違いない。 仕事帰り車の中でFM放送を聴いていると「KANさんのこの曲を!」そう、「愛は勝つ」が流れた。その時だ。昼間の「一瞬よぎったもの」が鮮明に浮かび上がってきた。はっきり具体的な形やその時の場の匂いや肌触

          鳩の街

          私が学生時代を過ごしたのは1970年代の10年間だった。冷静に考えれば暮らした街に1900(明治33~)年代の老人が当然のことながらいたはずだ。だが、その頃にその「時代」を念頭に思い浮かべることがなかった(残念だ) なぜそんなことを言うかというと、彼らは明治大正昭和、そうして「戦前~戦後」の架橋的存在だったと、いまさらながらふと気づいたからである。(photoはタイトルの街ではありません) 「曳舟」の駅から入り組んだ路地を抜けて水戸街道方面へ行くとやや広い道にポッと間口の広

          ただの居場所

          ゆくゆく「浪人生」という(大学受験予備校に通う高校卒業生。早い話その年大学に落ちた人で次年度再挑戦しようとしている受験生のこと。最近は高校卒業資格取得の人も居るし大学合格したけどやっぱり別のという人も居ないわけではない)在り方が消えてゆくらしい。みんな「現役」で大学合格してしまうから。 私はその「予備校」という所で講師をしている。上記の流れでいうと失職する一人である。「大学全入」が2005年だったか、その声を聴いたときにこれは「ヤバい」と思ったが、目の前に一定の数を抱えている

          ただの居場所

          友人のこと

          コロナにかかって云々というここ2回ほどの投稿を読んでくださる方がおられてさらに「スキ」までしてくれたことはとてもうれしいことでした。ありがとうございます。 コロナその後ということならば(求められてないけど)68㎏あった体重が64㎏まで落ち込んでさすが39度台の熱が出ると違うなぁと妙な感心をする。と同時になんだか歩くのにふらつく。家の中でもちょっと緊張する。「まさか、そんな年でもあるまいに」とは思うもののやっぱりどこか頼りない。 ご近所には毎日アップダウンのある小山を上り下

          友人のこと

          コロナその後

          薬の処方も良かったのか瞬く間に症状が改善されて今はほぼ平常である。が、職場の判断は土曜日まで出動停止なので日曜まで合わせるとたっぷりの時間がある。それで他人の目汚しのこんなものまで書いているわけだ。平積みのままだった本を開く。 『国籍と遺書、兄への手紙』安田菜津紀 図書出版ヘウレーカ 1900円+税。前著『あなたのルーツを教えてください』の流れで求めたのだが、内容はより一層父の出自に深く入り込んでゆくものだ(まだ1/3ほど未読)ある種謎解きのような側面もあるのだがそれが自らの

          コロナその後

          コロナにかかる

          月曜日の夜になんだか喉がいがらっぽいなと思っていたら火曜日、明らかに朝から不調だった。LINEつながりの若い友人に「こんなだョ」と呟いたら「家に抗体検査のキットがありますからよかったらあげます」と言うんで早速頂いた(もしコロナだとヤバいので「置き配」風に)そして直球真ん真ん中の「陽性!!」 5類になってから感染するって「ちょっと間が抜けてませんか?」というような声も聞こえてきそうだが、一応市の相談窓口に電話してみた。女性の担当者は落ち着いた感じで名前・年齢・住所といったこと

          コロナにかかる

          薄荷の贈り物

          『向日性植物』李屏瑤を読んだ。 中程、語り手「私」が台湾大学に入学するあたりまでがとてもヴィヴィッドで初々しかった。「私」の懊悩も説明的でなく心理の細部を行動や台詞で描いているかに思う。心もとない喩えだが、何本か見た台湾映画の中の空気を思い出した。夏の陽差しの中でも一服の清涼感が漂っている、あの「薄荷」風味の文章(翻訳だけど)なのだ。 私が残念に感じたのは「私」と「学姐」、「小莫」との関係がやや具体的になっていく大学時代以降、描写は「私」が語っている現在に追いつこうとして

          薄荷の贈り物

          合格祈願えんぴつ

          勤務する予備校のレギュラー授業もあと1講座。そこで例年最後の授業で受講生に贈り物としているのがこの「合格祈願えんぴつ」です。 「どうぞ合格へお導きください」と心の中で唱えつつ、1本いっぽんナイフで削ります(読点以下だけ読むとちょっと怖い) 私自身が受験した時、受験に対する心理的負荷はそんなにはなかったです。共通テストはもちろんセンター試験もなく「共通一次」という名称で何だか一斉に受験する試験が登場するらしい… という時代の(もう古すぎてわけわかんないよね)受験生だったのです

          合格祈願えんぴつ

          父、入院

          先日9日、深夜父が車で出かけるので奇妙だなとは思っていた。 95歳でほぼ毎日運転しているとはいえ流石に深夜、いったい何の用があるというのか。 しばらくして近くの救急医院から電話で「腸閉塞でオペが必要だから来てくれ」と連絡が入った。オヤジは激烈な痛みを抱えたまま約15分の距離とは言いながら自分で救急に駆け込んだというわけだ。 私は担当の看護師や医師から説明を受けながら同時に書類へのサインで忙しい。こんな場面ではいつも思う。つくづく訴えるとかしないから好きに施術してくれていい

          父、入院

          髪切り

          私の行く美容院の髪切りの人はとてもユニークなお人柄であります。私は面倒くさがりでだいたい3ヶ月に一度くらいしか髪切りに行きませんがその都度ビックリする話題を彼女は提供してくれます。今日はその一つをお話しします。 「わたし、この前ジョギング中に転んじゃったんですよ!」 そうです。彼女は無類の「走り好き」だったんです。 「〇〇あたりで転んだら『前歯』が折れちゃって~!」 はぁ??。大丈夫…なわけないけど、大丈夫だったの? 「友だち居てくれたんでそのまますぐ歯医者に連れてってもらっ

          朴君よ、やすらかに。

          高校の同窓だった知人の朴君が亡くなったと知った。今日のことだ。 高校に入学したての私はどういうわけか毎日憂鬱で本当のお天気は別として通学のさなか見上げる空や学校の何もかもそして家での何もかもがひどく沈痛な暗い、音のような水のようなものに沈んでいる、そんな感触に浸されていた。笑顔も出なかったし口数も減った。あれは何と言えばいいのだろう。春の憂鬱だとすればそれでもいいが…。 教室は45人。女子は5人から6人。あとは男だ。教室の友だちを見るのも控えめで自分から積極的に話しかけた記

          朴君よ、やすらかに。

          『金閣を焼かなければならぬ 林養賢と三島由紀夫』内海健 河出書房新社

          を読んで思うところをいくつか断片的になってしまいますが書き留めておこうと思いました。 私は三島由紀夫の小説作品が好きで『金閣寺』初読は中学生だったと思います。友人にはしばしば「オレが『金閣寺』読んでるときに三島が割腹してさぁ」と話してきましたがそれは少し怪しい気がします。凡庸な14歳の中学生があたかも三島の悲劇を予感していたかのように見栄を張りたいところからそんなデタラメを吹聴したのではないかと思うのです。でも半分は本当に読んでいたさなかに彼が割腹したような気もしているのです

          『金閣を焼かなければならぬ 林養賢と三島由紀夫』内海健 河出書房新社