見出し画像

帰宅困難の記

 久々に街に吞みに出た。
 倅が開いた店に知人を招いての一献。松本城近くの居酒屋「りんたろう」である。倅は東京で12年、懐石や焼き鳥の店で所謂「修行」をして昨年松本で自身の店を開いた。自分の子なので手前味噌になってしまうが、「料理がうまい」と、連れて行った知人は言っていた。
 知人は一つ年長。そこで以後「Kさん」と言わせてもらおう。Kさんとは教職についていた時、数校目の現場で知り合った。気が合ったことから思わぬ年月を付かず離れずの距離感で過ごしてきた。Kさんとは年に1度適当に目的地を定めて2泊3日ほどの旅行に出かける。行く先によって電車だったり車だったりと移動手段は様々だ。コロナで数年その旅行もできずにいたが今年は復活させたい、と年賀状にあり、ならば行き場所を相談することも兼ねて一杯呑みましょうということになったわけだ。
 今年の旅先は奈良から高野山へということになった。できるだけ人が出ていないことを願うばかりだが、3月の下旬、観光客はどうなのだろうか。人ごみだけは避けたい、これも一種の老化なのか、そんなことばかりが心配として先立つ。
 KさんはS市の東方数キロのところにある高原で現在は農業を営んでいる。農事の話しもさることながら「村」での暮らしの話が実に興味深かった。小さな地区なので友人知人の付き合いも濃いが、同時にそれは「嫌な奴」とも自ずと避けがたい付き合いが生ずるということでもある。なるほど村落共同体とは「かくあらん」とその胸中を察する話もあった。
 Kさん、小学校の同窓が10人近く、様々な人生過程を経た後、現在家にあって農業を営んでいるとのこと。先祖代々耕してきた田畑をそう簡単に手放すわけにはいかない。後継者の問題はいずこも変わらぬ難課題ではあるがとりあえず己の果たすべき役割として今を生きるしかない…という話はまた別のこととして、その10人が月に1度のペースで村内の友人宅に会して呑み会を催しているということであるところから話しは始まる。
 ほほえましいではないか。が、ありがちなこと、歩いて帰れる距離で吞んでいると、それは自宅で呑んでいるのとさして変わらない。そう、「後は布団に入るだけ」である。ある夏の会の時、同じ帰宅方向だったA氏とKさん、連れ立っての帰路、その存在はわかっているはずだし知ってもいる「堰(せぎ)」と呼ばれる「農業用水路」(幅50㎝前後、深さ1m程度)に、そう、そこに「転落」してしまったのである、わかっていながらしかも2人とも。
 「いや、肋骨にひびが入ってさ。医者に行っても家でもさ、どうしてって言えないわけ。安静しか治しようがないから静かにしてるしかないし、事情は言えないしさ、痛かったよ(笑)。たぶんAのヤツも同じ病院でかかったはずよ」そのときはB氏に引っ張りあげられて、ともかく帰宅した。
 酔うと「膂力」の衰退は激しい。たかが1mの深さでも側溝に嵌ってしまったら自力で這い上がるのはなかなかどうして力の要ることである(呑み助の方ならお判りいただけよう)用水路だから溺れるほどではないにしても水は流れている。ずぶ濡れになりながら必死の思いで、しかし空しくわが身を持ち上げようとしている2人のオッサンが脳裏に浮かぶ。
 だが、ことはそれだけでは終わらなかった。
 Kさんが転落した折にはなかった「ガード」が取り付けられた後、やはり例のその「会」の後、「お前さんたちが落ちたのはここだったな」とよせばいいのに「ガード」に身を乗り出して覗いたB氏がいた。はじめA氏とKさんを引っ張り上げたあのB氏である。
ところが、そう、やはり「転落」した。
 しかしB氏はKさんら2人とは事情が異なり、打ちどころ悪く「頸椎骨折」となり数カ月頸にギブス状態。もちろん農事にはならず、手広くやっている花卉の栽培を何とその年は断念せざるを得なかった由。「ヤツは1年仕事にならなかった。専業農家だからさ『所得ゼロ』申告だったはずよ(笑)」とのことであった。Kさんは笑いながらも、つくづくB氏が半身不随にならず何よりだったと語った。
 「カンタベリー物語」だったか「デカメロン」だったか…似たような話し、なかったっけ?

 9時台の列車で帰るというのでKさんを駅頭に送った帰り、久々の外呑みだしまだ9時だし。そこで駅近くのよく行く「B」というカラオケバーに行こうとしたが、私の前に10人近い団体が入り込んでいったので「こりゃダメだ」と別の店を考えたところ「O」があるではないか、と閃いた。こうした閃きが呑み助には命とりである。
 「O」のママは私と同い年。大阪の出身で維新の支持者で橋下・吉村が好きだという。「あんな奴らがのさばったら日本は戦争しちゃうぜ」と言いながら、入れ替わり立ち代わり現れる女の子にアルコールをねだられ散財。カラオケで何曲か歌ったらママが「永ちゃんを歌って!」というので矢沢永吉の大昔の曲「チャイナタウン」や「時間よ止まれ」を歌ったらめちゃくちゃ喜ばれたんで「どう?勘定、要らないでしょ?」
「コラ!倍とるぞ!」だって。

 よせばいいのに帰り道途上でネオンがきらりと目に入る。もう「O」を出て10分くらい自宅めがけて左右の足を運び、ともかく側溝は避けながら歩いていた。天神さまの近所まで来たところで、子どもの頃歩いた路地に入り込んだらキラッとチャーミングなネオンが瞬いていた。「BT」という店。この店は夜にネオンが点いているのを見るのは初めて。ま、いっか。持ち金はたいしてないが「ビール一杯」なら大丈夫。
 
 お客さんが一組居た。ママは遅い時間だったが「灯りが点いてたら、入るわよね」と笑う。5時の用意ドンから見積もると6時間くらい吞んでいる勘定でママと何を話しているかも微妙な感じで眠い(早く帰って寝ろよ、ではある)先客3人が交互にカラオケを歌っている。私も何か歌ったらママが「矢沢永吉、歌ってよ」と言う。「O」と同じ展開で驚くけど(矢沢永吉も別段好きでもないけど)またまた「チャイナタウン」と「時間よ止まれ」を歌った。さすがに「勘定要らないでしょ」はないので払って店を出た。
 それからどう帰ったか覚えていない。
 目が覚めたら11時を回っていて妻は不在だった。
 スマホのstepsを見たら午前0時までが11,275歩、明けて今日が4,269歩…
 いったいオレはどこを歩いていたのか?
 
 Kさん、とりあえず側溝には嵌らずに帰宅できたみたいです。
 KさんからのLineは「昨夜は途中から記憶が無く…」で始まっていたが、ともかく自宅にはたどり着いたようだ。
全く懲りないオッサン、いや、爺さんばかりだ。