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朴君よ、やすらかに。

高校の同窓だった知人の朴君が亡くなったと知った。今日のことだ。
高校に入学したての私はどういうわけか毎日憂鬱で本当のお天気は別として通学のさなか見上げる空や学校の何もかもそして家での何もかもがひどく沈痛な暗い、音のような水のようなものに沈んでいる、そんな感触に浸されていた。笑顔も出なかったし口数も減った。あれは何と言えばいいのだろう。春の憂鬱だとすればそれでもいいが…。

教室は45人。女子は5人から6人。あとは男だ。教室の友だちを見るのも控えめで自分から積極的に話しかけた記憶がない。が一人だけ私の目を引いた生徒が居た。それが朴君である。教室では通名だったが後に同じ陸上部に入ったことから彼が在日の韓国人で本名を朴・・・と言うのだと知った。

なぜ私の目を引いたかというとまずは学生服がよく似合った。毎日ブラシをかけているのではないかと思うほど汚れがなく皺もない。その清潔感が(悪口ではないがいかんせん地方の公立高校では基本的には何もかもくたびれていたのだ)際立っていた。メガネの横顔も知的に見えたのだ。私はこの人なら話してみてもいいなと勝手に思い決めさりげないきっかけを意識するともなく探っていた。

前後が途切れているが私は教室移動の前、ロッカーから教科書を引っぱり出しながらふと朴君がすぐそばに居ることに気づいた。
「生物、好き?」そうだ移動教室先は大概理科棟だった。
「はぁ?」これが朴君の私への最初の返答だった。
「いや、あの先生ちょっと苦手でさ」
「・・・」
私が話しかけた意図(って実は生物はどうでもよかったわけだが)が汲み取れなかったのかそれとも単に私への違和感からか朴君は無表情のまま私の前を通り過ぎていった。ショックだった。私は親しくなるきっかけがほしかっただけなのだが朴君は全く私には関心を持っていないようだった。残念だった。

私の憂鬱の背景には実は小説世界への耽溺があった。毎日ただひたすら本を読む。高校入学の最初の日には太宰治を読んでいた。次の日にはサリンジャーを、次に三島由紀夫、やがて谷崎…目の前に読み切れない贅沢がほぼ無限に横たわっている幸福と憂鬱に溜息をついていた。お気に入りのBeatles、中でもポール・マッカートニーの最初のソロアルバム、「マッカートニー」の寂しげな曲の連続も影響していたのかもしれない。しかし本もレコードもこちらから話しかけることはできるもののあちらからは何の問いかけもない。たぶん、私は私の説明のつかない憂鬱をわかってほしい友だちが欲しかったのだと思う。

後に陸上部で一緒になるが朴君とは親しくはならなかった。私の最初のアプローチに問題があったのだと思う。朴君は私が勝手に思い描いていた「身ぎれいで文学好き」という囲い込みには全く嵌まらない性格の人だった。だが、たとえどんなに食い違ってしまっている性格であっても、奇妙なことだが私が最初に思い描いていた「いつか文学や映画や音楽について気軽に何でも話ができる友だち」という憧れは消えなかったのだ。今度は逆にその自前の憬れを保存するために一層朴君とは疎遠になってしまったような気がする。

高校の生活にも慣れ、という以上に十分怠惰でいいかげんな高校生に成り果てていた2年生のある日。朴君が級友を殴り倒して問題になっているという噂が聞こえてきた。クラス替えがあって私は朴君とは別のクラスになっていたのだ。そう言えば陸上部の練習で最近見かけていないなとやっと気づいたくらい無関心になっていた(陸上部員は当時30人以上いてそもそも個人性の強い競技だということもあり同じ種目でもなければ開始と解散の集合のほかは顔を合せることはあまりないのだった)どういう理由で殴ったりしたのかと思ったがたいした理由ではなかった。朴君の髪型をからかったクラスメイトに腹立てて、とかなんとか。

没交渉のまま卒業した。
しかし、私は奇妙なことに朴君に向けての関心の在り方にあまり変化がないのである。その後何度か彼を見かけるが、陸上部のOB会だったり同窓生の記念式典だったりというだけで特に朴君と会うわけではなかったしこちらから積極的に声をかけることもなかった。あの最初に話しかけた「はぁ?」が常に蘇るのである。彼にはまた私の与り知らぬ複雑な事情があったということも聞くがあえてそこは知りたいとも思わない。

唐突な記憶だが一度だけ飲み屋街のカラオケバーで一緒になったことがある。これを書いているうちに思い出した。もう何年も前のことだ。仕事仲間数人と二次会か三次会でなだれ込んだ店の入り口にいた。朴君が私を認識していたか否か、わからない。高校生の時から朴君も容貌が変っていたし私もたぶん、変っていた。が、私はウヰスキーを1杯、マスターに頼んで朴君に贈った。目だけで挨拶し、乾杯した。

人は誰でも死ぬ。それだけは間違いない。
ただ生きているあいだ、生きているかぎり、思い出が死ぬことはない。
朴君、君が逝く前に私の16歳の時の気持ちを説明し、伝え、君に理解して(いや、理解はいい、認めて)ほしかった。その上でお互いに笑い合いたかった。死ぬって、そのことが届かないってことだよね。残念だ…

朴君よ、やすらかなれ。