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ただの居場所

ゆくゆく「浪人生」という(大学受験予備校に通う高校卒業生。早い話その年大学に落ちた人で次年度再挑戦しようとしている受験生のこと。最近は高校卒業資格取得の人も居るし大学合格したけどやっぱり別のという人も居ないわけではない)在り方が消えてゆくらしい。みんな「現役」で大学合格してしまうから。
私はその「予備校」という所で講師をしている。上記の流れでいうと失職する一人である。「大学全入」が2005年だったか、その声を聴いたときにこれは「ヤバい」と思ったが、目の前に一定の数を抱えていると敢えて前面化させずにやりすごしてしまう。何に対してもそうだ。
やがて「数」はジリ貧状態に。予備校産業華やかなりしころは1000人規模を誇っていた地方予備校も300人台2年・200人台2年・100人台2年→今年、100人を割った。失業が廊下の奥に立っていた。

受験生の、というよりは大学生の学力衰退を言うかれこれは実に多いが何を以て衰退かが少しずつずれていて一概に「おお、なるほど、衰退じゃ」と胸に落ちる御説がない。ただ、受験に数十年関わってきて所謂できる子が減っているのは実感する(だが、これこそ当たり前で、できる子は合格してしまっている)
いや、ちょっと待ってくれ。そうではない。予備校閉鎖の課題である。浪人生がいなくなれば予備校の看板も不要なので閉校にせざるを得まい。世の中大手は資金力にものをいわせてターゲットをどんどん低年齢に絞っていく。キッズ・イングリッシュなんて最たるものだ。かわいそうだよ、我々は属国のこくみんですか?

私は経営者ではないのでわりと好き勝手なことを言っているわけだが、どのみち終いならいっそ「受験看板」をおろして単なる「居場所」です、というのはどうだろうか?
現役も、どのみち推薦だ何だかだと結局合格していくならせめても「受験問題対応一切無し」の「読書科」とか、小論対策デフォルト学習一切無しの「文章科」とかともかく読んだり書いたり計算したり考えたり絵を描いたり…といったことだけ「純化」した空間を提供するというのはどうだろうか?

「いいね!」
がつくわけないね(笑)
第一、収入はどう確保するんだ?
ていうか容れ物は?
いや、そもそも何の見返りもなくて何で生徒が来るんだよ?
今どき公的な学校だってニンジンぶら下げてるよ。
いや、だから見返り無しのって…

予備校や個人塾で悪戦苦闘している経営者から笑われるのがオチ。
で、〇〇予備校とか△△塾でなきゃ何て看板出すんだよ?
いやもうね、こうなったら
「ただの『居場所』」って(笑)

ダメだ、こりゃ。