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日々是酔人

『ダブリン市民』はジョイス以外の書き物の中で触れられていたタイトルで、かっこいいなと思ったので高校生の時に読んだ。中身はもう覚えていない(いつもながらひどい話だ)ギッシングの『ヘンリーライクロフトの手記』はぼんやりとながら覚えているのに。

大学に入ってつきあいのあった友人の妹が看護大の英語の課題で『ダブリン市民』の原文を読んでというレポートが課され、「困っちゃって」とぼやいているのを聞いた。
そういえば持ってたな『ダブリン市民』…
薄いブルーのカバーで新潮文庫。たぶん安藤一郎訳だったかな。
学生時代は組み立て式のスチールの本棚を2セット持っていたが、そこからはみ出るものは片端から古本屋に売り払ってしまっていた。しまったことをしてしまったものだと後悔しているが、ま、仕方ない。その仕方ない本棚に辛うじて生き残っていた『ダブリン市民』を引っ張り出して翌日友人の妹に貸し与えた。「貸してあげる」と言ったが、気持ちはそのまま彼女にあげてもよかった。本棚の整理にもなるし、とても愛らしい妹だったから。

貸したことを忘れたころ、「レポートでAをもらった!」と言いながら「ありがとう」と返してくれた。私は文庫本を裸のまま渡したのに、返してくれた彼女はそれをどこかのおしゃれな店の紙袋に包んで弾むように私に手渡した。「Aだった!」がなんだかうれしいようなくすぐったいような、自分がとったわけでもないのに。

後日の友人の話では彼女は大きい病院の看護婦(今風に言えば看護師か)になり脳外科の医者と結婚、アメリカはシカゴへ行き暮らしているということだった。
ダブリンからシカゴへか。スケールの大きな彼女の航路がそこはかとなくうらやましかった。

だがその彼女の名前すら、今は思い出せない。
『ダブリン市民』読み返そうか?