感受性を豊かにして小さな幸福に気づける生き方を
人の『成長』ってなんだろう。
学校や家庭、会社で頻繁に使われている言葉だが、明確な意味を説明しようとすると難しい。
まず考えられるのは、物理的な成長。
身長が伸びたり顔つきが大人っぽくなったりすること。
次に、目に見える能力の成長。
勉強やスポーツ、仕事などの能力が向上すること。
僕は世間で用いられる『成長』という言葉は、たいていこの2つに分類できると思う。
しかし最近、このどちらにも分類できない第3の成長があるということに気づいた。
そして、その成長がものすごく重要だということにも・・・
その成長とは、『感受性の成長』。
何かを見て、何かに触れて、何かを感じ取る性質が高まること。
「そんな成長、非合理的すぎない?」「生きていく上で別に必要ないでしょ!」と思われた方がいるかもしれない。
しかし、『感受性の成長』は生きていく上で間違いなく必要なのだ。
今日は僕がそんな『感受性の成長』を重視する理由を話したい。
僕が感受性を重視する理由
まず前提として、僕は合理的な人間だ
無駄なことが嫌いで、不必要なことは極力しないようにして生きている。
だから、ゲームやたばこなどの非生産的なことはしない。
する必要がないと思った仕事は、上司にばれないように見なかったことにすることもある。
そんな僕だけれど、一見不合理に見える『感受性の成長』には肯定的だ。
その理由は、世界の解像度を高めて幸せに出会いやすくするため。
例えば1時間の通勤路を想像してほしい。
感受性が備わっていない人の場合、この1時間は単に会社に向かうだけの時間になる。
しかし、感受性が備わっているとどうだろう。
横断歩道で子どもの安全を見守るパパを見てほっこりする
電車も窓から見えていた建物の取り壊しが進んでいて感慨深くなる
会社近くの桜が散っていて季節の移ろいを感じる
退屈な1時間が、こんな感情に出会える素敵な時間に変わる。
そしてこういう時間があると、心に余裕ができる。
恋人に優しくなれて良好な関係維持につながったり、仕事に前向きになれたりする。
そう、『感受性の成長』にはメリットがたくさんなのだ。
僕流の感受性の鍛え方
ではこの感受性を鍛えるためにはどうすればよいのだろうか。
僕が今実際にしていることは次の3つ。
①小説を読むこと
②詞に重きを置く音楽を聴くこと
③カメラを持って街を歩くこと
①小説を読むこと
ビジネス書など合理的な本もいいが、たまには小説を読んでみるといい。
いろんな人の人生に出会えるから。
いろんな考え方や価値観に出会えるから。
②詞に重きを置く音楽を聴くこと
音楽を曲の雰囲気で楽しむのもいいが、たまには詞にしっかり耳を傾けて音楽を聴いてみるといい。
これも小説と同じように、いろんな考え方や価値観に出会える。
③カメラを持って街を歩くこと
スマホで写真を撮るのが一般的になった今だが、ぜひカメラを持ち歩いて写真を撮ってほしい。
カメラを持ち歩くと、普段は目に入らないようなものが目に入るようになる。
これを繰り返すことによって。世界の解像度は高まっていく。
ここで紹介したのは、あくまで僕の例だ。
これ以外にも、映画を観ることや楽器を演奏すること、美術館に行くことなどもいいと思う。
最近流行りのキャンプに行って自然に囲まれるのも、効果的だと思う。
なんにせよ、自分に合った感受性の鍛え方を見つけて実行することはすごく大事だし、僕もこれからも継続していきたい。
教育における感受性
ここまで説明してきたように、幸せに生きるためには『感受性の成長』が重要で、その成長機会を確保することが必要不可欠だ。
しかし、日本の教育では『感受性の成長』が疎かにされていると感じる。
感受性を鍛える絶好の機会である音楽や美術の授業は、あくまで副教科でしかない。
国語の授業では、小説を取り上げる時間が年々減り、評論を中心とした学びになっていく。
中学校の部活では、感受性を成長させる文化部より、体力をつける運動部に入ることを推奨される傾向がある。
だからこそ僕は、家庭において保護者が、子どもが感受性を鍛えるための時間をしっかりとってあげないといけないと思う。
小さい頃に本を読み聞かせてあげたり、楽器を習わせてあげたり、素敵な景色を見せてあげたり。
こういう一見非合理的な経験が、感受性の豊かな人間を育てる。
そして小さな幸せを感じながら生きられる大人になっていく。
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