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よそじの台所から【9月29日の夕食 と 続・ひとりでいること】
夫なし。子は独立。
アレルギー対策に 油をやめ、お肉、乳製品、卵、小麦粉、お米や砂糖を減らした食生活。
「家族のためのご飯」を卒業した40代。主に「自分の為だけに作る食事」の記録 と 自分を観察する日記。
残りの
・水筒の残りのルイボスティー
・高野豆腐の煮物(味付:高野豆腐についていた粉末の出汁)
・キムチ(市販品)
and
・木綿豆腐 白菜 長葱 椎茸 を煮たもの(味付:白出汁)
・稲荷寿司(テイクアウト)
・みたらし団子(テイクアウト)
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昨日のnoteにちょっと補足。
というか・・今日はもうちょいぶっちゃけ編。
わたしは昨日
わたしは結婚に何の疑問も持っておらず
誰もがそうするわけではない、と知っていながら
「大人になったら何人かの異性と交際をして年頃になったら
結婚をして、子供を産むんだろうなぁ・・」ということに迷いがなかった。
と書きました。
でもこれはちょっと違うな、と思う部分があったので書いてみます。
それは
わたしは自分が経済的に自立することができない(と思い込んでいた)ので、結婚をして誰かに養ってもらうことでしか生きていけないだろうな・・ということに、迷いがなかったのです。
だから今、自分で自分を養えている。そのことに
すごくすごく驚いている。
自分で自分を養い始めて十年経っても、朝起きると「あぁこれ、わたしだけの家なんだな・・」(賃貸ですけど)と未だに感動します。
でね、昨日
とはいえ今でもふとした時「誰かといた方がいいのだろうか」という気持ちがわいてくる。
それはそれで素直に、そういう人生もいいかもしれないな、と思う。
とも書いたけれど
わたしは誰かといると、その誰かに期待してしまうんですね、きっと。
「そんなの当たり前じゃん?」って思うことってイコール期待、じゃないですか。
期待って、相当意識していないと、自動で起こってしまうんです。
その期待が叶えられないと落胆があって…なぜかこの落胆には意識しなくても気がつくんですよね。
そういうことが日常にまで(暮らしの中に)あるのが嫌だなって思うのです。
でもひとりなら、期待も落胆もない。あっても自己完結。
ひとりが楽ってよく言うけれど「わたしが楽」と思う理由が・・
期待と落胆がないことだなって気が付いたんですよね。
それとね、すっごーーーーーく!!
正直に書くとね、その誰かとやらに(現実にはいないけど)
「わたしに対しては責任を持ってほしいけど、わたしは持ちたくない」
って、思っているんです。
だから、わたしは誰ともいられないなって思うんです。
相手に対して責任が持てないどころか、持ちたくないって思っちゃってることに気付いちゃったんですもん。。。
我ながら性格が悪いなーと思いますが。
病める時も健やかなるときも・・誰かの人生を?全部??
・・かつげません。こっちはひとりで精いっぱいなんですもん。
今後はきっとお互い病む一方でしょ。重い・・重すぎるよ。。
これは人間だけじゃなくて、動物も同じです。
本当は猫と暮らしたいけれど、今のわたしに「命の責任」が重すぎる。
結婚という契約ではないにしても(再婚願望なし)、パートナーや恋人という肩書だとしても今のわたしには荷が重いなぁ。
でも私の責任は持ってね!って、それはないだろー。
そうして何かを背負ってまですることが
たまにご飯食べるとか?どこかに行くとか?映画見るとか・・?
なんかね、今はピンとこない。
自分ひとり楽しく暮らす、今はそれが精一杯なのです。
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