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エラ・フランシス・サンダース『翻訳できない世界のことば』
エラ・フランシス・サンダース(著)前田まゆみ(訳)『翻訳できない世界のことば』を読む。
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ことばが存在するならば、その国や地域で、その概念なり事象は他のものと区別し、意味付けをする必要性やそうする価値があるということだ。なるほど、その地では、そのことばに込められた見方や想いが大切にされていると、本書を読むと分かる。
「水面にうつった道のように見える月明かり」をあらわすスウェーデン語のmångata。
「同じことを望んだり、考えたりしている2人の間で、何も言わずにお互い了解していること(2人とも、言葉にしたいと思っていない)」という解釈をするヤガン語のmamihlapinatapaiがいい。
「心の中になんとなく、ずっと持ち続けている、存在しないものへの渇望や、または、愛し失った人やものへの郷愁」を示すポルトガル語のsaudadeは耳にしたことがある。
かつてスペイン語をかじったことがあるが、vacilandoとcotisueltoは初耳。
日本語で選ばれたのは「木漏れ日」「ぼけっと」「積ん読」。
自分だったら何を選ぶだろう。ぱっと思い浮かんだのは、「居待月」。
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なぜ、その地域や風土で、その言葉が生まれたのか。どのくらい大切にされているのか。その文化や価値観を想像したり、考えたりするのも、たのしい。
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