見出し画像

感情になれなかったモヤモヤたち

カツ丼喰える程度の憂鬱

『蕎麦湯が来ない』

又吉直樹さんが詠んだ自由律俳句らしい。カツ丼なんてヘビーなもの食えてるんだから本当は憂鬱じゃないような気もするけど、多分そういうことじゃない。

この憂鬱、あたしにとっては得体のしれないモヤモヤとでも言うのかな。何に対して悩んでいるのか、モヤモヤしているのかわからないけど、とりあえず得体の知れない感覚がつきまとってくる感じ。朝起きて身支度していても、運転していても、カツ丼食べてても。身体は元気なんだけど、別に何にも支障はないんだけど、モヤッとする感じ。

原因がわかればスッキリするんだろうけど、それがわからない。このモヤモヤは、感情という名前をつけてもらえなかった感覚たちだ。

そもそも感情というのは、乳児期に親とのコミュニケーションの中で発達していくものらしい。あたしはその道のプロでもなんでもないので、説明は下のリンクに任せます。

ということは、小さい頃の親との関係性によっては感覚はあってもそれが何なのか分からずに、名もなき感覚のままになってしまう(=モヤモヤする)状態になりやすくなる場合もある。きっとそういう人は憂鬱を抱えやすくなるんだと思う。

モヤモヤの抱え方も憂鬱の感じ方も人それぞれだ(と言いたかった)。あいつはカツ丼食ってるから大丈夫だ、ではないんだと思う。もしかしたらそいつは、モヤモヤしてるけど何に悩んでるかわからない状態で、身体は元気なだけかもしれない。でもきっと、モヤモヤがないときよりはカツ丼の味はわかってないはず。

カツ丼喰える憂鬱もあれば、喰えない憂鬱もある。どっちが正解とかでもない。自分がどっちのタイプかなんてきっと自分にもわからない。

いくら元気でも、どれだけ食べられても、カツ丼の味がいつもと違ったら何かモヤモヤがないか、自分と向き合ってみるのも大事かもネ。

この記事が参加している募集

自由律俳句

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?