順番を気にせず、ヲチだけを見る。

私と、私の長女の話を記したいと思う。私たち2人は、自閉症スペクトラム障害だ。ちょっと前の診断基準まではアスペルガー症候群と言われていた。この名前なら多くの人がご存知だろう。

長女は小さな頃から言葉数が少なかった。彼女が生まれた時はそんなに彼女に興味が無かった。自分のことで精一杯だったからだ(今もだけど)。

多分年代や障害の有無関係なく、親が子どものことを絶対的に嫌いになる節目があるとすれば小学校進学だろう。幼少の頃の私も小学校進学と同時に、母がどっぷり疲れ、荒々しくなっていく痛みをあらゆる形で感じていた。その部分は多くの人が想像できることであろうから省く。

私は今でも漢字が書けない。スマホやパソコンが無ければカタカナさえ書けない時もある。今こうやって文を書いているのも結構なストレスだ。散々怒られた挙げ句、親も教員も怒り疲れて諦めていく。私の中には恐怖しか残らず、泣き続けるしか無い日々だった。

今でも「できないことだらけ」なんだけど、普通の人より記憶が鮮明で残りやすい。大人になっても教員や親にされたことが突如として、予告なくフラッシュバックする。今殴られたように映像が流れてくる。普通に見えても日常生活も困難だらけだ。

長女も小学校進学と同時に、九九ができなくなかったり、圧倒的に漢字が書けなかったりする現実にぶち当たった。経験が少なく苛立つ1年の担任教師は、何度やっても発表の声が小さいことに怒り、常習的かつ集中的に廊下に立たせていたことも後に知る(もちろんやっていいことでは無い)。忘れ物、宿題の提出率…妻も耐えきれなくなり、暴力を振るう(もちろんやっていいことでは無い)。

そんな現実が突きつけられ初めて思った。「あぁ、この子、自分と同じアスペなんだ。」と。彼女に対しての愛情に満たされることは無かったが、急に我が子が可愛く見えてきた。

私は漢字が殆ど書けないが、書き順含めしっかりと書ける唯一の複数部首からなる漢字が一文字ある。「親」だ。これは漢字が書けない私に対し、ある時母親がこう教えた。「立った木の上から見守る そう書いて親」この一言だけで「親」という字が書けるようになったのだ。残念ながら母は気づかず、早々に私への指導を諦めた。もしその一言で私が「親」という字を書けることを知っていれば、私の人生も違っていたのかもしれない。

いくらやっても反応や変化が無いように見える(見えるだけなのだが)子どもを育てること程辛いことは無い。普通の子よりネガティブな要素に弱いこのような子に対して暴力を振るうのは、全くの解決にはならず、取り返しのつかない泥沼にハマっていくだけなのだが、100%仕方ないと私は言える。支えてくれる現実的な介助が周辺に無いのなら当然のことである。

でも私は幸運だった。「親」というたった一文字の記憶他、多数のネガティブで鮮明な記憶、今でも無数かつ突如襲ってくるフラッシュバックが救いになった。

彼女がどれくらい苦しいか。いつどこで諦めてしまうか。わかってしまうのだ。同じ立場だから。

彼女が小学2年生の時、独自の「久留米キュウカンチョウ 悪の枢軸ククックーの九九カード」なる教材を作り、普通の人の3倍それをやらせた。最初は圧倒的な処理量に怯えていたが、クリアする度に新幹線の写真がコンプリートされていくことに喜ぶようになっていった。1の桁なら100系、5の桁なら500系みたいな。

だから教材会社が散々煽ってくる「魔の小学3年生」義務教育で最も漢字を習うこの学年で案の定落ちこぼれた彼女に、普通の人の5倍の漢字問題を出した。

その出し方も独特だ。中古iPhoneに下駄を履かせたMVNOのSIMを入れ渡し、メールで問題を渡した。「焼き鳥屋秋吉に注文したシロを取りに行く」「九官鳥が飛び回る烏丸通」「いつまで続く北方領土問題」「最強の家鈴木宗男のムネオハウス」・・・のように、同音異義語や類似漢字を同じ問題に出し、連続する問題を書くことで1つの物語になるよう徹底した。時事、不謹慎、社会情勢、芸能、内輪、科学、経済、性や産まれ、マイノリティに関わるものや技術・専門的なものでもなんでも入れた。お気づきの方もいると思われるが、小学3年生では習わない字や非常用漢字も含む。

最底辺の落ちこぼれから、当然といえば当然なのだがクラストップや100点を普通に取れるようになった。

ぶっちゃけ自閉圏の人間はよくもわるくも覚えにくく、忘れにくい。よい記憶は一生を支える宝になるし、ネガティブな記憶は永久に本人を苦しめる。

私はその時、特に療育や教育に対する理論など一切知らなかったし、今もそこまで詳しくない。しかし後で専門書に書かれている手法を見ると「アレ、俺より下手じゃん」って思うことが多々ある。その後「うんこ漢字ドリル」が流行ったのにはサスガに笑った(笑)

その勢いで小3の彼女を電車で1人で日帰り旅行に行かせたり、神奈川の叔母の家まで1人で行かせたりした。Linux入の中古パソコンを親指シフト入力化し、表計算で運賃計算もさせた。自分で切符を買いに行かせ、ワープロで旅程を作ってiPhoneに入れる。WiFiホットスポットへの接続やカメラの使いかたも教えた。当時新幹線は地元まで来ていなかったので乗り換えが必要だったが、大きなトラブルも無く無事に帰ってきた。

母親に怒られ、虐待を受け続け、教員にクラスメイトにいじめられ、静かで、泣いてばかりで、ずっと下を向いていた彼女は短期間での数々の経験を元に、いつの間にか人より前を向いて、いっぱい喋る子になっていた。それはそれはもう、赤毛のアンのように。

ここまで「順番」や「外で言われているあるべきやり方」を徹底的に無視してきた。できることとできないことの差が激しい自閉症児に対し、順番を守るよう強いる全ての周囲の反対を押し切り、一定のことには目を瞑り、できることを徹底的に伸ばした。人の「できる」を構成する殆どは自信だ。結局は何か飛び抜けてできることや、苦手だったことを何個かできるようにしてしまえば、順番的にすごく手前にできてなければいけない筈のできないことも、気づけばクリアしてしまうのだ。

ここまでの教育をしてしまうと、自信が無い民族日本人の中では自信過剰のナルシストの粋にしか見えない存在へとなっていく。

それでやって本人にやってくる苦情も多々ある。しかし私は見えている。将来の彼女がどんな姿になるか、見えているのだ。前に述べた通り、できることが増えれば自然と治っていくもの。彼女(私もだが)に余計な圧力をかけると、その損失時間は永久になってしまう。ある意味正当なものでも、私は徹底的に跳ね除け、ある意味過剰なまでに理論的に彼女の状況を説明した。やりすぎだった点は多々あると反省する面も多くあるが、現在も後悔はしていない。

私の大方の予想通り、彼女は中学生になって大きく咲き誇った。小学校から伸び始めていた絵の能力が爆発した。いつの間にかベジエで絵も書いていた。所属する放送部ではNHK放送コンクールにて朗読部門で県のトップに輝いた。DJ Mixのマネごとみたいなことを学校史上はじめてやって賛否両論ありつつ、本来声なんて来ないものに直接的な反応が来る。苦手だった体育も、文化部なのに何故か長距離走・短距離走ともにトップ3に入るようになった。当然妻もコロっと態度を変え、一切虐待が無くなり、笑顔が増え、長女とはいつの間にか友達のような関係になっている。男子ばかりだがアホみたいに友達ができた。何故か同性が殆どだが複数回告白もされている。毎日うちに多数の友達を連れ込んでいる。

彼女を中心に世界が回っているというのもあながち間違いではない。男女関係なく混じり合って輪を作り、山に竹を取りに行ったり、ものづくりをしたり、街を駆け回ったり、映画を観に行ったりする。彼女と関わった子どもたちは、誰かの家で無言のままNintendo Switchでそれぞれのゲームをする生活を捨てた。笑うようになった。表現の幅がどんどん広がった。暴力を振るわなくなった。振るわない努力をするようになった。

いつの間にか私が関わらなくとも、彼女と新しい世代の世界が勝手に積み上がっていくようになっていた。

彼女は正しく天才で、私は到底敵うことができない。


それでも彼女に課題がないわけではない。

私の関わり方に問題が無いわけがない。


彼女も私も敏感で、職人肌でいろいろなことに細かく、自他ともに許せないような人だ。いや、自他ともに許せないのは、正当な教育を受けてきていない私の方だ。彼女は人々の優しさや世界の広さを知るチャンス、ピンチをチャンスに変える機会がいっぱいあった。だから、どれだけ出発点が同じでも見える世界は私とぜんぜん違う。

1年ほど前、私が精神的に疲れた時にポツリと静かにつぶやいた一言を、彼女だけはこの世の終わりのように感じた結果、学校を通じて虐待の疑いで児童相談所に通報され、私は警察に任意同行され、精神科病院に任意入院することとなった。

もちろん精神科医のような専門家かすれば何も起きていた無いのは明らかだったので最低営業日で退院したし、児童相談所もハナから何も無いのを知って出動していた。

虐待の疑いはすぐ晴れ、長女もすぐ状況を理解たが、今後どんどん改善されていく彼女はともかく、敏感な私のような人達を扱うのは本当に難しい。

未だに私は怯えるものが多く、人の一言一字一句が許せない。

得することもあるが、損することの方が多い。

私はついこの間、日頃からの「石橋を叩き叩き壊す」癖が暴走し、大切な人の人生をぶっ壊した。

きっとこれを読んでいるあなたの側にもこんなやり取りがあると思う。そんな瞬間が必ず訪れていると思う。

私は自分自身がやってきた、尊く、効果を上げてきた積み重ねを否定するようなことをしてはいけない。

アンバランスでできることとできないことの差はあるけど、人の何十倍もの世界が見えている、描けている、将来有望な人の細かいことを気にしてはいけない。

それは何かが伸びていけば自然と改善されていくものなのだから。

順番を気にしてはいけない。

それは大人であっても、歳上であっても同じだ。

その人の広い世界を完成図を拾い上げ、待ってあげる、一緒に走らないと、足りないものだらけの社会のピースなんて埋まらないんだから。



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