見出し画像

介護疲れで悲鳴をあげた心と身体

発症8年後に舅(4年前に他界)が「前頭側頭型認知症」だとわかった


3番目の病院でMRIを撮ってもらい、
脳の前頭葉と側頭葉の委縮が原因の認知症だと、やっと診断が下りました。前の二つの病院で「うつ」と診断されていたのですが、私には何か違和感がありました。

「認知症」というと、その多くは「アルツハイマー型認知症」で、
舅のような「前頭側頭型認知症」は、認知症患者全体のわずか7%だそうです。記憶力は衰えておらず、初めのうちは受け答えもハッキリしています。方向感覚は私よりも確かです(笑)ですので、周囲の方々からは

「おじいさん、しっかりされているじゃないですか!」という言葉をかけられました。


大好きだった舅はとても温厚で思いやりがあった

それが全く別の人格になっていったのです。

初めは小さなことでもすぐに怒り出すようになりました。
やがて、こだわりが異常に強くなっていきました。

ご飯の時間は、朝6:30、昼12:00、晩18:00。
この時間に1分でも遅れると、舅は我慢ができずに怒り出します。
手当たり次第に物を投げつけられたことも何度かありました。

画像1

朝はまずバナナとヨーグルトを食べなければ落ち着きません。
そして理解できないのは、舅は3食とも「シュウマイ」と「コロッケ」が絶対に食べたいのです。

栄養のことを考えて別の献立にすると「シュウマイとコロッケがない!」と言って異常になりました。


こだわりが異常に強くなる前頭側頭型認知症


衣服にもこだわりがあり、下着も靴下も服も全て、
「これじゃないとダメ!」という物がありました。お風呂からあがっても、また同じ物を着たがります。

シャツは首の周りが黒くなっていました。

私は舅が風呂に入ったら、すぐに下着や靴下を洗濯しました。
すると、風呂からあがってきた舅はパニックになってしまいます。


洗濯物が乾くまで他の物を着ていますが、全く落ち着きません。
「あれが着たいのに!!あれじゃないとダメや~!着替えさせてくれ~!」

何時間でも大声で訴え続けます🤣


しかたなく、乾いたら即着替えさせます。また同じ物に。

私が後ろから舅を「羽交い絞め」にして、無理やり服を脱がして洗濯機に放り込んだこともありました。


またある時、一眼レフカメラが欲しくなった舅に、私が
「もうすぐお誕生日だからプレゼントするね」
と言いました。すると大変なことに!

私が買ってあげて手にするまで、舅はず〜っと言い続けました。
「いつカメラ買うてくれるんや?」
そう言いながら、夜中の2時でもお構いなしに部屋をノックして入ってきました。

これはまだ一部です。「こだわり」は数限りなくありました。


気づくと、私の心身が悲鳴をあげていた


今から考えると、なんでもっと早く対策を考えなかったのかと、当時の自分自身が不思議です。

私自身の精神が麻痺していたのか、意地になっていたのか?
私も舅に負けないくらいに心が異常になっていきました……

片方だけ耳が聞こえなくなったり、目が見えなくなったり(片目真っ暗!)と、完全に身体から黄色信号が出ていました。
あちこちの病院で検査を受けましたが、いつも
「異常ありませんね。心療内科に行かれたらどうですか?」と言われていました。

その頃には感情のコントロールができなくなっていました。急に号泣してしまったり、抑えられず家族を激怒したり…

それでも
「私は大丈夫。」
「家族の世話は私にしか出来ない!」

そう強く思い込んでいる私には、
私を心配している家族の言葉は、一切耳に入りませんでした。



この記事が参加している募集

#とは

57,772件

#スキしてみて

526,418件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?