初投稿/「正欲」にみる対話のカギ。みんな違って、みんな同じなのでは?
はじめまして、オマメです。
都内で臨床心理士をやっています。
朝井リョウさんの「正欲」を読み、導入から最後まで、夢中で楽しませていただきました。
煽り文句の、ピリリと胡椒が効いていそうなこの感じ。朝井さんぽい!と思うと同時に、直観的に共感できそうな期待が湧きました。
(▼まだの方は、是非まず原著を…!)
読後感を一言でいうと…、
こういうのを待ってました!!
の、極みでした。
自分では手の届かなかった難痒い(むずがゆい)部分を、ズバッと切って貰った感じ。
気もちぃ〜!
スカッとジャパンみたい。
カタルシスってこういうことだよな…と、
朝井リョウさんの言語化に感謝しています。
"みんな違ってみんないい"
"男だ女だなんてもう古い"
"多様性を認め合っていきましょう"
これらの台詞を、世の中が大合唱し始めたことへの小さな違和感。
私としては、個々人が持つややこしい葛藤を「まっ、結局、人それぞれだよね!」と雑に収めてしまうリスクを感じていました。
多様性という概念は、時に、必要な議論から逃げる免罪符にも利用されやしないでしょうか。
「正欲」は、そんな"多様性"の穴や裏側に、スポットライトを当てた作品だったと思います。
もう一度言わせてください。
こういうのを待ってたんです!!
さて、本書「正欲」では、同職の東畑開人さんが解説を担当されていました。
個人的に東畑さんも大好きなので、楽しみに、読ませていただいたのですが…。
東畑さん、ビビりすぎ…?
朝井リョウさんにビビりすぎ、では…?
自意識過剰な者同士が対面した時の独特な緊張が感じられ、読んでるこっちも緊張しました。
二人の間になにかあったんですか…?(多分寧ろ逆で、まだ御二人があまりお話されてないからじゃないかな…と推察している。)
引け腰で言い逃げしていく感じは、東畑さんの人間くささが感じられて好きなのですが…。
つまり、メタ認知を持つプロの心理士をガチガチに緊張させるくらい、この本がクリティカルということではないでしょうか。
当たり前だった常識を疑い始めた人々を疑い、そんな自分がどう見られるかまで考えている。
そんな、入れ子構造のような批判的思考を、
ふんだんに使った作品かと思いました。
さて!前置きが長くなりましたが、個人的に「正欲」の中で最も響いたところを書かせていただきます。
(※ここから先はネタバレを含みますので、未読の方はご自身の判断でお願いします。)
それはズバリ、「結局、みんな同じかもよ?」
という可能性が描かれていたところです。
作中では、水の特異的な部分に性的興奮を覚える2人(佐々木佳道と桐生夏月)が、奇跡的に同じ解像度の不安を共有できたことから繋がりを持ちます。
同志を得た心強さから、さらに外部の同志達と繋がろうとし、安全な"網"を敷こうとした結果、意図せず犯罪に巻き込まれてしまう…という構図です。
これは一見、本物の隠れたマイノリティは、社会に理解される機会すら持たずに社会的に抹消される、という、残酷な結末にも思えます。
しかし、私としては、この展開とパラレルに、2人の中学の同級生であった西山修の死が描かれているように感じました。
西山修は、所謂、マジョリティ男性の象徴のような人間です。
彼は彼の同志(似たような性欲を持つ人々)"である仲間達とBBQで飲酒した後、囃し立てられながら川に飛び込み、溺死してしまいます。
作中の後半では、修(≒マジョリティ男性達)も、はじめは異性に性的な興奮を抱き始めたことに不安を感じ、"これって異常じゃないよな?"と、確認できる同志を求めたのではないか、と考察されています。
また、修は川に飛び込む直前に本当は不安を感じていたかもしれないが、沢山繋がった同志達が目下で“網"となり、必要な不安を打ち消して飛び込んでしまったのではないか…という描写もありました。
つまり、マジョリティもマイノリティも(どんな人でも)、その対象は違えど、何かに強く性的な衝動を抱くのは不安なことで、自分と同じような人を探したくなる。
そうして同じ不安を抱える他者と繋がれると、安心感が得られるけれど、同志がさらに増えて繋がりの"網"になってしまうと、網に絡め取られ、危険な中へ飛び込まされてしまうリスクも増えるんだ…と。
そんなメッセージのように思えました。
私も、自分と同じ解像度の捻くれ者と繋がりたい気持ちはあるけれど、集団になっちゃうほど沢山の理解者は要らないし、集団になると怖いな…と思います。
そう思ってるから、そう読んでしまったのかもしれません。
また、ここからは個人的な読み解きが進みますが、"マイノリティもマジョリティも、結局個体でみれば原理は同じ。…ってところに、対話の鍵がある、かも…?"という希望がひとさじ、作中に描かれているように感じました。
本作では、いうなれば、
①世間的マジョリティ
②世間的マイノリティ(世間に許容される範囲のマイノリティ)
③本物の隠れたマイノリティ(世間に許容されないマイノリティ)」
これら3種の人間が描かれていると思います。
①にあたるのが修、③にあたるのが佳道や夏月ですが、もう1人、②にあたりそうな人間に"神戸八重子"というキャラクターがいます。
八重子は、実家の兄が妹モノのAVを観ていたことにショックを受け、男性が持つ対異性の性衝動が怖くなってしまった女の子です。
闇のありそうなイケメンに勝手に共感したがって心に押し入ろうとする感じなど、かなり共感性羞恥なのですが、八重子は作中で唯一、③の人間との対話を直接試みています。
後半に出てくる、この対話シーンが、アツかった!!面白かった…!
「八重子の対話チャレンジ」と名付けたい。
朝井リョウさんが一番叫びたかったところは、あの対話シーンに凝縮されていたのではないかとも思いました。(詳しくは、ぜひ原著を…!)
どんな試みだったかというと、
八重子側は、"たとえアナタが社会的に許されないマイノリティだとしても、"話したところで理解されやしないから"と、初めからシャッターを下ろさないで、教えて欲しいんだ"、と。
"倫理的にアウトだとしたって、私たちは話す事からしか始まらないじゃないか"と、そういうことを主張しています。
そんな想いを相手に伝えていく中で、③の人々との対話の扉が、開かれそうで、開かれない!けど、入り口の鍵くらいは開いたのか……??というところで、物語は終わっています。
(同じく、ステータスに拘らない若手検事の越川も、③の人々との対話を開けそうな予感だけ残してくれてると感じます。)
八重子の対話チャレンジ(と呼びます)からは、
"理解したい人"が外から勝手に近づいてきても対話はできないけれど、互いに"理解されたい者"同士、平等な立場として共鳴できた時のみ、はじめて対話の入口の鍵が開く…
ということが描かれていると思いました。
そんなところが、よかったなぁ!!
口では"多様性を尊重しよう"と言いながら、実際は本当に異端のマイノリティを受け容れようとしない人々がいる。
でも、お互い、根本の原理は一緒なんじゃないの?
それがたまたま"水"だったり、"異性"だったり…他のものだったりもするでしょう。
特異的な不安を共有できる人と出会える世界にたまたま生まれていたとして、場所が違えば、自分だって孤独になっていたかも分からない。
結局、みんな違って、みんな同じなんじゃないだろうか。
私は、そんな風に読みました。
みんな違ってみんないい…のか?の、視点をお持ちの方ならば、是非、一読されることをお勧めします。
以上、初投稿でした。
長くなりましたが、最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
記事に対する感想や御意見などあれば、ぜひ、リアクションをお寄せください!
また情熱が湧いた時にお会いします。
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