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MILES DAVISとの出会い〜Dreams Come true~

マイルス・ディビスというジャズ界の巨匠をご存知だろうか?

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マイルス・デューイ・デイヴィス三世(Miles Dewey Davis III、1926年5月26日 - 1991年9月28日)は、アメリカ合衆国出身のジャズトランペット奏者、作曲家、編曲家。アルバム『ウォーキン』『カインド・オブ・ブルー』『ビッチェズ・ブリュー』など多くの作品で知られている。日本には彼を「モダン・ジャズの帝王」[1][2][3][4][5]と呼ぶジャズ・ファンやジャズ評論家もいる。いわゆるジャズの巨人の[注釈 1]一人。クール・ジャズ、ハード・バップ、モード・ジャズ、エレクトリック・ジャズ、クロスオーバー、ヒップホップ・ジャズなど、時代に応じて様々な音楽性を見せ、ジャズ界を牽引した。

https://ja.wikipedia.org/wiki/マイルス・デイヴィス

私がNYに住んでいたときにNYに家族がいない私にとって毎年、年明けに一人で行く場所があった。
マイルスの墓参りだ。
マイルスの墓は私が住んでるブルックリン地区から2時間弱ほどかかるブロンクス地区にあった。大概雪が降るか雪が積もったときに行くのが通例だった。

ウッドローン墓地(ウッドローンぼち、Woodlawn Cemetery)は、アメリカ合衆国ニューヨーク市ブロンクス区にある墓地。1863年創設。日本人では野口英世、高峰譲吉などの医学者や新井領一郎、佐々木指月らの墓がある
https://ja.wikipedia.org/wiki/ウッドローン墓地 _(ニューヨーク市ブロンクス)

マイルスの墓だけでなくそこにはドゥーク・エリントンやマックス・ローチ、ジャッキー・マクレーンやコールマン・ホーキンス、ライオネル・ハンプトン、ミルト・ジャクソンなどの墓も同じエリアにあった。ちょっと離れたところにはサルサの女王、セリカ・クルースなどの墓や野口英夫らもある。

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なぜマイルスという男に興味を持ったか。

以前、記述したように、私はジャズに興味を持ち出したのがハービー・ハンコックとオスカー・ピーターソンのピアノを聴いた時だった。たまたま母が知っていたのがこの二人だったので初めてジャズのCDを買ってもらって聴いたのがこの二人だったのだが、ハービー・ハンコックにハマり彼をディグることによりハービーを育てた音楽の親とでも言えるトランペット奏者”マイルス・ディビス”に行き着くのは自然な流れだった。

もともとファンク狂だった私はファンカデリックやパーラメントらジョージ・クリントン率いるバンドに首ったけでクレイジーだったのだが、マイルスの70年代以降のファンクという音楽の影響を受けたジャズには殊更とにかくはまっていった。
彼の奇抜なファッションセンスを写真やビデオで見るたびに彼のロマンティックで繊細な音と合わせ引き込まれた。
50年代、60年代の王道ジャズを演奏していた若いマイルスにも恋した。
彼を知れば知るほど、彼に首ったけになった。(これ、私の中高生時代の話!)w

私がロンドンで住んでいた際に、アシッドジャズというジャンルの音楽が流行った。ジャズとソウル、ファンク、ヒップホップなど違う文化がコラボした新しい形のものだった。
アメリカではアシッドジャズとは呼ばれず、ファンクジャズやヒップホップジャズと言われたりした。
ロンドンでミュージシャンと生活をする毎日でマイルスを忘れることはなかった。
彼が演奏したジャズクラブやホールに行くたびにドキドキした。
私が大きくなった時には彼が亡くなってしまっていたのが悔やまれた。

彼と一緒に演奏したりレコーディングしたことがある人たちと出会う機会が増えた。
その当時の話を聞くたびに、彼のことをもっと知りたい、どうやったら彼のレガシーを残せるのかを考える毎日だった。
亡くなってしまっている人の音楽を流行らせたり、何かの形として残していくのは至難の技だと思った。
だけど、このまま彼が残していった作品や歴史やレガシーが忘れ去れていくのは寂しいと思っていた。

アシッドジャズという特異な音楽を扱う仕事をするにつれ、マイルスの音楽性や人生論などがそのままなのではないかと思った。

というのも、マイルスという人は同じジャンルの音楽をずっと演奏し続けたのではなく、マイルスというジャズミュージシャンは自分をカテゴリー化されるのを嫌い、その時々に流行った音楽といっしょにコラボをして新しいものを常に作っていた。
そのため、ジャズだけでなくゴスペル、ファンク、ロック、ポップス、ソウル、ヒップホップなんでもいい音楽と思ったものとはコラボした。

Milesは、最後にヒップホップアルバムを製作中に彼は亡くなってしまう。一緒に制作していたヒップホッププロドゥーサーで若手だったイージー・モービーとも縁があって仲良くなり、マイルスのことを教えてもらえた。内部情報も含め本当にマイルスという人のレガシーが残されるべきだとますます思った。

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斬新なヒップ・ホップ・サウンドを取り入れたラスト・レコーディング・アルバム。(1992年作品)ジャズ界の帝王マイルス・デイヴィスが晩年ワーナーに移籍し残したアルバム及びマイルス・チルドレンで現在尚ミュージック・シーンに多大な影響を及ぼすハービー・ハンコックの待望の紙ジャケット全11タイトル。デジタル・リマスタリング。
プロデュース:イージー・モービー
マイルス・デイヴィス(tp,key)、フォーリー(b)、アダム・ホルツマン、ジョーイ・デフランセスコ、ロバート・アーヴィング?、ケイ赤城(key)、マリリン・マズール、ムニュンゴ・ジャクソン(perc)、リック・マーギッツア(ts)、リッキー・ウェルマン(ds)、エリン・デイヴィス(perc)、リチャード・パターソン、ベニー・リートヴェルド(b)他
このアルバムを聴くとマイルスの先見の明は凄いなと思います。
当時ヒップホップがミュージックシーンの中でも注目され、新ジャンルとして台頭しつつある時期で、イージー・モー・ビーも当時はまだそれほど知名度がある訳じゃなかったのですが彼の起用が見事にはまってます。実はイージー・モー・ビーはこの後ヒップホップのプロデューサーとして
Craig Mackの"Flava In Ya Ear( Project: Funk da World に収録)"を大ヒットさせ、売れっ子プロデューサーとなっていくのですが
その才能はこの頃から存分に発揮されてます。
マイルス・デイヴィスがこの最期のスタジオアルバムでも相変わらず追い求めているのは、マイルスならではの音だ。プロデューサー兼ラッパーにイージー・モ・ビーを迎えた本作は、ヒップ・ホップとジャズをクロスオーバーさせたサウンドになっている。クール&ザ・ギャングやジェームス・ブラウンの曲をサンプリングした結果生まれたメロウなグルーブは、アシッド・ジャズに似ていて、かすかにトリップホップ・ジャズも感じさせる。本作は楽しませてくれるが、リリース以来あからさまに批判されてきた。評論家たちは、マイルスのような天才は古典的な曲(ようするに本作とはちがう音楽)でキャリアの幕を引くべきだと期待していたからだ。そして悲しいことに、イージー・モ・ビーのラップは、マイルスのすばらしさを称えてばかりいるリリックによって、“ありきたり”という言葉に新たな意味を加えているだけだ。とは言え、そうした欠点にもかかわらず本作はいまだに、このジャンルの多くのアーティストを打ちのめしている。その理由はなんと言っても、マイルスが最期まですばらしい演奏を聴かせてくれるからだ。本作は名作ではないが、とことん楽しめるアルバムだ。この巨匠が人生の最期の日々に新たなジャンルに挑んだ音に、腰を下ろしてじっくりと耳を傾けようではないか。そして、もし彼が生きていたら、マッシヴ・アタックのようなバンドと共演して彼が鳴らしたかもしれない音に思いをはせよう。(Phil Brett, Amazon.co.uk)

マイルスが寄ってきた

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NYへ移住してからとにかくがむしゃらに動き回っていると、突然ある人から連絡が来た。
「今夜、マイルスの誕生日会がNYであるから来ないか?」
全然知らない人からのいきなりの招待だった。

「どういうことですか?」

「マイルスをイメージしたヘッドフォン発売記念とマイルス誕生日会が一緒に行われるんだ。特別招待された人だけなんだけどグッズを作ってる人やマイルス財団を紹介したいんだ。君の動きや仕事っぷりはよく聞いてるし知ってるよ。誰もが君のことをよく言うんだ。何か一緒にできると思うからとにかく一度会いに来て欲しい」

そういう彼はマイルス財団の一人でマイルスの家族だった。
突然のことで本当にドキドキが止まらなかった。

「そういや、君はヒップホップ関連の人たちともつながりがあるよね。出来るだけ多くのアーティストを呼びたいんだ、だからパーティに招待してくれないか?」

「イージー・モービーとかはもう呼んでますか?」

「いや、彼とは全く連絡とってなくてずっとどうやって連絡とれるか探していたんだ。やっぱりマイルスといえば、モービーだからね、知ってるの?」
「はい、昨日も一緒にいました。彼に連絡とっときますね!」
「そういうこと、それなんだ、俺が求めていたのは!もう既に君は仕事ができるってプルーブしたね。マイルスのことをよく知ってるってことも。じゃ、今晩待ってるから」

それから私は必死だった。著名人を急に集めるのがこんなに難しいとは思わなかった。
とにかく知り合いで、招待できるだけ連絡入れて私は会場へ向かった。
連絡くれた人が直接、会場で出迎えてくれた。
「ありがとう、ありがとう。本当に嬉しいよ、君がここにいてくれて。君がマイルスの墓参りとかしてる写真とかも見てたんだ。なんだか話がたくさんあるよ、だから今日はずっと俺のそばを離れないように。紹介したい人がたくさんいるから」

こうやって私はマイルス財団と知り合い、今でも一緒に仕事をさせてもらっている。
夢をつかんだ。
マイルスが私を正しい道に導いてくれているような気がした。
マイルスの墓参りに行っててよかったと本当に思う毎日。そしてNYにいる時は毎年恒例のようにマイルスに挨拶しに行った。
その後の詳細はまた後日アップデートするのでお楽しみに!

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(Easy MoBee&Vince from Miles Davis Estate and Rica)

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映画『Miles Ahead』のNYプレミア上映について私の記事や写真が掲載された雑誌”ジャズ・ジャパン”を持ちながらマイルス財団のビンスと。

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NYでマイルスが住んでいた家がある道がマイルス通りと名付けられた。その時の記念イベントに招待された際の写真!(BigJeffとふみちゃんと一緒)

クールの誕生

今回、老舗ジャズ雑誌『ジャズ・ジャパン Vol 121』ではマイルス・ディビスのドキュメンタリー映画『クールの誕生』が9月4日から日本の映画館で開封されるに際し、私がマイルス財団メンバー(マイルスの息子と甥)とスタンリー監督にインタビューした記事が掲載されてます。

好評発売中です!
どうぞお手にとってご覧ください。

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コロナ禍の中、映画館に行くのも億劫になるでしょうが日本語字幕がついた映画がやっと満を期してユニバーサル配給で行われます。

ユニバーサル ミュージック合同会社(所在地:東京都渋谷区、社長兼最高経営責任者:藤倉 尚、以下 ユニバーサルミュージック)は、ロックやヒップホップにも影響を及ぼしたトランペット奏者、マイルス・デイヴィスの素顔に迫るドキュメンタリー映画『マイルス・デイヴィス クールの誕生 (原題:MILES DAVIS: BIRTH OF THE COOL』(監督:スタンリー・ネルソン)を映像配給ブランドEAST WORLD ENTERTAINMENTにて9月4日(金)より日本国内でも順次公開いたします。


是非ともご覧くださいませ!
この映画、とにかく今の時代を反映もしているのでアメリカ文化やアメリカ史を知るにはとにかく興味深いと思います。
どうやって彼らが音楽を通して波乱万丈な人生を生き延びてきたのか、アメリカでの黒人人種差別の流れや歴史も含め知れますよ。 #BLM #BlackLivesMatter

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