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妊娠と出産を未経験のまま30代になった

今でこそ笑い話だが、私が中学生の頃に母親がこんな話をした。

「実はお母さんね、体質的に子どもができにくい体だったのよ。だけど結婚する前にそれをお父さんに言わなかったの。」

 
それに対して父は言う。

「実はお父さんも小さい頃に病気になって、もしかしたらその関係で子どもはできないかもしれないって言われていたんだ。だけど、結婚前にお母さんには言えなかった。」

  
 
二人は声を揃えて言う。

「だから(姉を)妊娠した時に、お互いに嬉しい気持ちと共に、よかった、ってなって、その時に初めて“実はね…”って打ち明けたんだよ(笑)」

 
 
お互いに似たもの夫婦ということだろう。

性格も見た目も全く似ていないが
結婚して半年以内に結婚指輪を二人して紛失したところまで同じだ。

  
秘密を抱えながら結婚しても、結婚指輪をなくしても
35年以上仲良く夫婦をやっている。

 
 
 
姉が無事産まれた後、私は第二子として産まれた。
二人目の妊娠もそれはそれは嬉しいことで
望まれた妊娠だったらしい。

私の両親はそういったことを隠さない主義なので
妊娠や出産やその他諸々の話を
よく私に話してくれた。

 
多分姉に対しては「初めての子どもだから嬉しくて」と話しているだろうが
私は次女なので、「最初の妊娠は不安なこともあったけど、二人目だからいくらか勝手が分かっていて余裕だった。体も楽だった。」と、私バージョンで話してくれる。

 
子はコウノトリが運んでくるだとか、授かりものだとか言うが
母は計算的に私と姉を妊娠したらしい。
早生まれを狙っていたようだ。

 
「夏の出産は暑いし蒸れて大変そうだし、早生まれは小さい頃に苦労しても、大人になったら嬉しいものなのよ。同級生より遅く年をとるって嬉しいものよ。」

 
という考えらしい。
…子どもができにくい体とは一体なんだろうか。
打算的だとしか思えない。

 
出産の件は分からないが
なるほど、私も姉も冬生まれだし
確かに姉は身長が女性平均値で、私に至っては165cmだ。
早生まれだろうがなんだろうが、体は大きい。

そして確かに今は
同級生より遅れて年を取ることが非常に非常にありがたい。
小さい頃は誕生日が遅くて嫌だったが
今では母親に感謝している。

「でしょう?母に感謝しなさい。」

とも、母親はどや顔だ。
そこは、「両親に感謝しなさい」ではないあたりが
母親らしい。
母親はよく調子に乗るのだ。

 
 
 
姉よりも私は大きく産まれた。
3500g以上と大きい子だったらしい。

 
姉の出産の時は父親が出張でそばにいなかったらしいし
初産の為、かなり時間がかかったらしいが
私の時は家族が病院にいたし
すんなり産まれたらしい。 

 
祖母が無事に産まれるように拝んでいたり
変な拝み方をして病院の方に止められたらしいことは
私や従姉妹にも語り継がれている。
一体どんな拝み方をしたのだか。
祖母は思い込んだら一直線な行動派だ。

病院の方に迷惑をかけて非常に申し訳ない。

 
母「お姉ちゃんは生まれたての頃はおじいちゃんに似ていてお猿さんみたいな顔だったけど、ともかちゃんは品のいいかわいい顔で、それはもう、それはもう、かわいい赤ちゃんだったのよ。」 

 
私「赤ちゃんの頃は、かわいかったのね。」

 
母「今だってかわいいわよ~ぉ。」

 
 
母はよく、私にそう話す。
生まれたての頃は私の頭は赤くなってしまったらしい。
どうやら力みが足りずに私の頭が圧迫され、真っ赤になってしまったらしい。

  
「お母さんのせいだと思うと、申し訳なくてかわいそうだった。」

 
そうだが、その赤みは1週間後にはとれたらしいし
もちろん私に記憶は全くない。

 
 
 
私の母親は体が小さい。
おそらく、身長順で一番前かその辺りだろう。
そんな母親の身長を私は小学生であっさり超えた。

「こんな小さい母から、よくぞこんなに大きな娘が産まれた。お母さんに似て白い肌、お母さんに似ない高い高い身長。
お母さんは自分が小さいから、大きい娘がほしかった。
かわいいかわいい自慢の娘よ。」

と、母はよく言ってくれた。

 
 
一姫二太郎ではないが、本当は二番目は息子がほしかったらしい。
本家なのだし、もし私が男だったら
跡取り問題もまた展開は違うものだっただろう。

だから、二番目も女の子と分かった時、三人目を産もうとしたが、占い師さんから「あなたは女腹だから、五人女の子を産んで、六人目が男の子。」と言われて諦めたらしい。

女腹とかそんなものがあるかはよく分からないし
よく男や女の産み分けについて話はあるが
本当にそうかはよく分からない。
ただ、確かに私の代の従姉妹は
父方も母方も女の子の比率が非常に高かった。
親戚は助産師だし
色々話を聞いたりもして
そういった背景もあり
母は子どもを二人で諦めたそうだ。

 
全くもって、母の話は打算的でリアリティで夢もロマンもなかった。
その割に、三人目の妊娠計画を占い師に託すあたりが訳分からない。

 
とりあえずは、私と姉が祝福された子どもであることはよく伝わった。
結果的には姉妹仲はめちゃくちゃいいし
三人目の兄弟がいたら
またバランスは違うものだったかもしれない。

 
中学生の頃
私は妊娠や出産は明るい希望に溢れたものだと思っていた。
母は私を「産まなきゃよかった。」とか「こんなはずじゃなかった。」とか
否定することは一度もなかった。
父親も娘を溺愛していたし
祖父母からも私はかわいがられていた。

  
私は生理も始まったし、定期的に生理もキチンと来ていた。
私も20代になったら好きな人と結婚して
子どもを産んで
いつか子どもに
「私はあなたを愛している。あなたを産んでよかった。」とこうして話すと思っていた。

 
そんな未来が当たり前に来ると、思っていた。

 
 
 
 
 
高校生になり、私が仲良くなる子は大抵家庭環境が悪かったり、家族仲が悪かった。

友達が家族…特に母親から存在否定をされることを聞き
私は言葉を失った。

 
友達は私より容姿に恵まれていたし、頭も良く、器用で、性格も良い。 

これ以上を望む?
実の親が?
「できそこない」?

 
私は自分の家庭が恵まれていたことを
つくづく痛感していた。
私は友達と比較したら持っていないものがたくさんあるし
だから異性にもモテはしなかったけど
家族から愛されている故の自信や自己肯定感や幸福度は
友達よりも圧倒的に高かった。 

 
「●●ちゃん、妊娠したから中絶したらしいよ。」

  
「彼氏が避妊を嫌がって、生でエッチをした。それで生理が遅れたら、不機嫌になった。」

 
高校時代にそんな話を聞いた時
私は性や男性との付き合い方のリアルを知っていった。

 
私の思い描いた未来は
私がしっかりしていないと
私がしっかりした男性を選べないと
幻になる可能性が私は分かってきた。

 
「彼女にはしたくないけど、セフレにならない?」と言われたこともあったし
恋人ではない男性に体を求められて逃げ出したことは
私でさえあった。

 
 
女性の中で容姿が劣っている私相手でさえ
男性はオオカミだった。
いや、容姿が劣っているからこそ
体だけの関係を求められたのかもしれない。
雑に扱ってもいいと思われたのかもしれない。

 
私がもっといい女だったら
優しい彼氏ができるのかな。
友達みたいにいい女だったら
私にも彼氏ができるのかな。

 
まだ産まれてから一度も彼氏がいなかった頃
痴漢にあったり
そういって男性から体を求められるたびに
私は自信をなくしていった。
女として魅力はないのだと思っていた。

 
 
そんな時、のちに初彼になる人が「同じ男として情けない。怖い思いをさせてごめん。でも、男をみんながみんな、そうだとは思わないでほしい。」と言ってくれた。

そして、やがて付き合いだした。

 
 
初彼は非常に優しく、誠実だった。

私の名前を呼ぶ声も優しいし、私を見つめる目も優しさで溢れていた。
私が嫌がることはやらなかった。
すぐに手を出したりもしてこなかった。
大切に大切にしてくれているのが伝わり
私は本当に嬉しかった。

 
付き合いだして早々に手は繫いだが
それ以上先の展開になるのは
お互いの付き合いだした年齢としては
遅い方だったと思う。

 
 
初彼と別れてからも何人かと付き合ったし
付き合うまでには至らないが、デートをした人もたくさんいたが
私は恋愛にまつわる男性で、怖い思いや不信感を感じることがたくさんあった。

 
好きと信頼度は違う。

その好きと信頼度の高さが非常に高く、かつ比例していた、恋愛絡みの人は
初彼だけだった。

恋愛絡みのしばりがなく
私が断トツに好きで信頼しているのは
父親だけだ。

 
だから父親と初彼がいたからこそ
私は恋愛をまだ諦めずにいられると思っている。

 
 
 
 
私が結婚に至らない恋愛をしていたり、恋愛不信になっている時に
周りの友達は一人、また一人……と結婚していった。

 
そんな中、初めて友達の結婚式に呼ばれた際
友達が式の手前で流産してしまった。

友達と連名で赤ちゃんグッズを結婚祝いで渡そうと考えていたが
慌てて私達はプレゼントを変更した。

 
私が身近で流産をした人を知ったのは、この時が初めてだった。

 
彼女はその後も死産し、不妊治療を長年していたが授からなかった。
子どもをたくさんほしがっていたが
不妊治療は金銭的な負担や体への負担もあり
現在は行っていない。

 
逆に、同じ仲良しグループの子は夫婦生活をしばらく楽しみたかったが、あっさり妊娠し
悪気はなかったのだろうがそれをポロッとこぼし
女子会は微妙な空気になった。

 
 
高校卒業してからも、定期的にグループで会っていた。
だが、恋人がいない者、恋人がいる者、婚約中の者、婚約破棄した者、結婚したが不妊治療中の者、思ったより早く妊娠してしまった者……が同じ場所に集まり
ガールズトークをして

楽しかったね

だけで終わるわけはなかった。

 
表面的には、争ったり、ケンカはしなかった。
だが、お互いに誰かしらに憧れ、羨み
私達は秘かに傷ついたし、悪気なく傷つけた。

 
毎年集まっていたのに、私達はやがて疎遠になっていった。
仕事や家事や子育てが忙しい、引っ越した……という理由も嘘ではないが 
私達はライフスタイルやライフステージのズレから
仲良く手を繋いで過ごせなくなってしまった。

 
アラサーの女性の友情は難しい。

 
 
やがて、別の友達も二人、不妊治療を始めた。
まだ20代である。

私は驚いた。
年齢が上がるほどに妊娠しにくかったり、出産リスクが上がることは知っていたが
まさか20代で三人も、私の身近な友達が不妊治療を始めると思わなかった。

 
しかも、三人中妊娠したのは一人で
結果的には二人が長年不妊治療をしたが
二人とも流産や死産であった。

 

結婚はしたが、子どもができない体質のため、子どもができない。
そんな知り合いも何人かいた。

 
 
産後うつの話を知ったのもアラサーの頃だ。

妊娠や出産のおめでたいイメージばかり先行し
陰で産後うつの女性が非常に多いことも
場合によってはそれで死を選ぶことも
昔は知らなかった。

 
「産後うつだったんだ。」と私に事後告げた友達は
しっかりしていた人に見えた。
出産祝いを渡したきりで疎遠になっていた頃
友達がそんな状態だとは知らなかった。

女性は結婚や出産で
友達関係が疎遠になりがちだからだ。

 
今では子ども二人のお母さんだが
産後うつを乗り越えるまでに時間がかかり
様々な手助けがあった
と私に教えてくれた。

 
妊娠や出産をしている人も
悩みや辛いことがないわけは、ない。
 
 
 
 
仕事先で関わった方から、20代から8年間不妊治療をして授かった子が、様々な病気や障がいを抱えた、という話も聞いていた。

 
私は仕事で障害者と関わる仕事をしており
例え20代の妊娠であっても
出産することは想像以上に難しく
健常者を出産することは更に更に難しいことを痛感した。

 
健常児を産んでも、生後間もなく何らかの病気等で障害を追うケースも多いと知った私は
24歳くらいで価値観が変わった。

 
男の子が産みたいとか、女の子が産みたいとか考えていた自分が幼く感じた。
五体満足ならば、どちらでもいい気がした。
健康に勝ることはない。

 
主任がよく、「子育ては大変だけど、障害児の子育ては健常児の3倍は大変。」と言っていた。
保護者やベテラン職員は利用者を「昔はもっと大変だった。」とよく言っていた。

私が知っている今のレベルよりもっと大変ならば
それはきっと、3倍は大変だろう。

 
 
障害児だって障害者だって、それはもうかわいい。
仕事で障害者と関わっている私はそれは実感している。
ただ、当事者やその家族以外が「障害は個性。」だと言うのは違和感があった。

 
 
もしも選択できるなら、障害がないならない方がいいに決まっている。

障害は不幸ではない。
だが、不便ではある。

 
障害はきれいごとではない。
当事者とその家族以外が安易に個性と口にすることは
個人的には違和感があった。 

 
 
 
 
 
私が高校生くらいの頃、でき婚という言葉を知った。

結婚前に妊娠したり、妊娠を理由に入籍は順番が違うからと
世間ではあまりいい目では見られなかった。

 
 
だが、アラサーになっても順調に結婚できない娘に母はヤキモキして
「でき婚でもいいから早く結婚して、子ども産みなさい。」と言った。

 
 
もはや、でき婚はそう悪いものじゃなかった。 

妊娠しないと結婚に二の足を踏む男性はたくさんいたし
子どもが欲しくてもできない人もたくさんいるし
アラサーのでき婚はむしろ喜ばしいことにさえなってしまった。

  

 
昭和から平成、平成から令和に時代は変わった。
そして、人々の生き方も変わった。
 
日本は結婚しない人がどんどん増え、子どもを産まない人もどんどん増えた。
私が小学生時代は兄弟は二人か三人が平均的だったが
今は一人っ子の割合も高い。

 
結婚して、子どもが欲しくても産めない人もいるし
様々な事情や価値観から、あえて子どもを産まない人も増えた。

 
 
価値観と世の流れは、変わってしまった。

 
 
学生の頃、大人になったら普通に結婚して、普通に出産できると思っていた。
そんなことはないと思い知った、私と同世代のアラサー女子は
世の中にたくさん溢れていた。

 
暗いニュースが続く。

望まない妊娠の果てに、赤ちゃんを殺したり
子どもを虐待したり、虐待をして殺したり
そんな悲しいニュースが
毎年毎年テレビから流れる。

 
子どもが欲しくて欲しくてたまらない夫婦がたくさんいるのに
事故や病気や何らかで、早くに子どもを亡くした人もたくさんいるのに
世の中は本当に、平等に不公平で理不尽だ。

 
 
姉は結婚して二人の子を出産した。
それは本当に奇跡に思える。

私は妊娠どころか婚約破棄の先に進めないまま
30代になってしまった。

 
 
 
近年、華原朋美さんや浜崎あゆみさんが、未婚の母としてニュースになった。

安藤美姫さんが未婚の母になった際もニュースになったが
今は本当に世の中の流れが変わった。

 
離婚率はどんどん上がり、シングルマザーはもはや珍しくないが
未婚の母という選択も、もはや珍しくなかった。 

 
 
いや、昔からシングルマザーや未婚の母もいたが
世間の見る目は変わってきた。

家族揃っていればいいってもんじゃない

だとか

女性に稼ぎがあればいい

だとか

 
シングルマザーや未婚の母を応援する声が昔より増えた。

 
 
私さえも、かつて結婚する気のない彼氏に子どもをねだったことがあった。
未婚の母だろうと、実家で愛情をかけてみんなで育てれば
それもまた一つの幸せなんじゃないかと
本気で思った。

彼に断られたから、実現はしないで終わった、が。

 
 
別れないで、することだけして、結婚はしないで
かといって未婚の母の選択を許してもくれない。

男というのは本当に身勝手で
無責任な人よ。

 
 
男性全てを否定するわけでは決してないが
私は恋愛や結婚にまつわる男性と関わりを深めると
結局怖い思いや不信感を強めた。

だからこれは、男性のせいじゃない。
私の人格や見る目の問題なのだろう。

 
 
優しく誠実な男性も世の中にはたくさんいるし
仲睦まじい家族は至る所で見掛ける。

離婚率が上がろうがなんだろうが
仲の良い夫婦や家族は世の中にたくさんいるのだ。

 
 
巡り会いや縁や大きな奇跡の先に
幸せな家庭を築いている人はたくさんいる。

羨ましい限りだ。

 
 
 
私は妊娠どころか生理痛が重いし、相手もいないし
もはやこの人生で結婚できただけで上出来だ。

年齢的なことや諸々もあり、妊娠は難しいかもしれない。

でも
せめて、信頼できる人と結婚できたらいいな。  

 

 

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