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介護福祉士への道~実技試験免除~

「資格はあるに越したことはないわ。」

母は口癖のように言っていた。

私はそんな母の娘だ。
小さい頃から習い事をしたり、片っ端から資格を取得していった。
お蔭様で履歴書資格欄には書き切れないほどズラリと書くことができる。

  
私の母親は母親で有言実行だ。
色々な資格を持っていた。
有名な資格で言えば
幼稚園教諭、保育士に加えて
ヘルパーや調理師、危険物取扱の資格を持っている。
もはやなんでも屋だ。

 
 
私が一番誇り高く、なかなかとれないレアな資格として気に入っていたのは認定心理士である。
こちらは心理系の大学を卒業し、かつ指定科目を履修していないと資格取得はできない。
大卒 + 心理系の大学全てが取得できるというわけではない故
社会人になってから取得しにくい資格でもある。

心理学系の資格なら、臨床心理士の次に力がある資格と言ってもいい。

 
ただし、国家資格ではない。

 
 
位だけで言えば、そろばん初段が一番高い。
だが、上には上がいる。
事実、銀行の採用試験に臨んだ時に「初段でその程度ですか。」と面と向かって言われた。

  
やはり、強みとは言えない。

 
 
 
家族はみんな国家資格を持っていた。
いとこも国家資格を持っていた。
姉やいとこは私より優秀で、私は負けん気が強かった。

私も国家資格が欲しいと強く願っていた。
福祉の専門学校に入った時から
目指すは社会福祉士だし
ゆくゆくはW福祉士(社会福祉士と介護福祉士)取得が夢だった。

 
「ケアマネジャーはとらないの?」

 
家族から言われる。
有名な資格であるケアマネは高齢者福祉の世界では大活躍だが
障がい者福祉分野ではケアマネは必要ない。
サービス管理責任者と相談支援専門員の資格を持つ方が
似た業務を行うからだ。

ちなみに、ケアマネは国家資格だが、サビ管も相談員も国家資格ではない。

 
 
 
 
社会福祉科の専門学校を卒業した私は
当初、実務経験を積んで社会福祉士を受験しようと思っていた。
だが、社会福祉士は合格率がすこぶる低い。
30パーセント以下だ。
更に、配属先の仕事は社会福祉士が必須ではないどころか
介護福祉士の方があると便利だった。
介護福祉士は合格率が60~70パーセント。

 
先にとるなら、介護福祉士じゃないか。

 
そんなことをぼんやり考えていた。  
だが、施設に入職した頃はとにかく仕事でいっぱいいっぱいで
その合間には彼氏や友達と遊んだり
趣味に没頭した。 
そうこうしている間に同棲や婚約の話になり

私は一旦結婚をしてから、資格取得をするべきじゃないか?
優先すべきは彼氏との未来じゃないか?

 
と、考えていた。

 
  
だが、26歳で婚約破棄となる。
 
  
 
 
その後、すぐに婚活を始めて仕事と婚活の両立で忙しくなり
いよいよ資格取得どころではなくなったところで
私は相談所で出会った、結婚を考えた人とさよならをした。

 
そんな空っぽに近いアラサーの私に、施設長はたまたま声をかけた。

 
「もう働き出して5年だし、介護福祉士受験してほしいわ。」

 
 
そう…ちょうど、相談所の契約が終わった頃、私は5年勤めた頃だった。

実務経験5年。

 
介護福祉士取得ルートは人によって異なるが、私の場合は受験資格が実務経験5年だった。

 
 
……神様は、私に婚活に現を抜かしていないで
資格を取れと申しているのですね。
 
 
彼氏と別れてから一ヶ月もしない内に施設長から受験をススメられた私は、涙ながらに思った。
恋愛ではなく、仕事に生きろ、と神様から告げられたような気分だった。

  
「介護福祉士、受験します。」 

 
施設長にそう宣言したのは、28歳の2月末のことだった。

 
 
これは数年前の、介護福祉士受験生の頃の話だ。

 
 
 
 
 
介護福祉士の受験は毎年1月末と決まっていて
学科試験と実技試験がある。
学科試験に受かった人が実技試験を受けられるので
まず学科試験を突破しないと話にならない。

 
思い立ったら吉日だ。
私は施設長に受験宣言をしたその日のうちにユーキャンを申し込んだ。

 
学科の科目数は多い。
福祉の専門学校に通っていて、実務経験5年だからといって
試験が楽勝ということはない。
なんせ私は社会福祉科卒業の上、障がい福祉屋だ。
学んでいない学科も多いし、試験内容はほとんどが高齢者福祉分野だった。
私は不利であった。

 
ユーキャンのテキストが届いてから、必ず毎日勉強をした。
テキストを読み、ノートに要約し、問題を解くを繰り返した。

 
DSのソフトに介護福祉士受験対策のものがあると知り
そちらも購入した。
また、本屋で介護福祉士受験用の専門用語集を購入した。

それらはベッドのわきに起き、寝る前にDSをやり、専門用語集を2ページだけ読むようにした。
毎日コツコツやる為には、無理のないペースが必要だ。

 
 
私は同僚に隠れて受験するつもりだった。
落ちたら格好悪いし
婚約破棄した私が資格取得に燃えているのは惨めな気がしたからだ。
結婚を捨てた女とみなされそうで嫌だった。

 
「ともかさんは今度、介護福祉士受験するのよ~!ともかさんはあの有名大卒業で頭がいいんだから一発合格に決まってるわ!!
だってパートさんは家事と仕事を両立して50代で一発合格したのだもの!ともかさんなら楽勝よ!!」 

 
……私が黙っているからと言って、上が黙っているとは限らない。
悪気はないのだろうが、私の介護福祉士受験は瞬く間に広がり
上だけでなく、周りの職員もプレッシャーをかけてきた。

 
 
私の職場は中規模施設であったが、介護福祉士を取得している人はわずか二名。二名である。
上司は持っていなかった。
にも関わらず

「ともかさんなら受かるに決まっている!」

と周りから言われるほどに
私は後に退けなくなった。

 
 
実際、仕事と受験勉強の両立は大変だった。
婚約破棄にさえならなければ…と悔しくなったり
仕事で疲れながらも問題を解き、間違いだらけであったりすると
一人泣けてきたことはたくさんあった。

 
それでも、一日たりとも勉強は休まなかった。
必ず少しでも勉強をした。
私は負けん気が強かったのだ。

 
 
 
そんな中、確か6月くらいだろうか。
実技試験免除講習を受けた。

 
実技試験免除講習とはその名の通り、この講習を受けて合格さえすれば、介護福祉士本試験で実技試験が免除となる。
ユーキャンやネットで過去の介護福祉士の実技試験内容を見たら、開いた口が塞がらなかった。
難易度が高すぎるのだ。
だから、実質、介護福祉士受験者はほとんどの人がこちらの実技試験免除講習を受ける。
一度受かれば、三年間有効なのだ。
数万円で実技試験免除はありがたい。

 
 
実技試験免除講習は各地の福祉系大学や専門学校等で行われており
日にちや料金は場所によって異なる。

私は仕事と両立しやすかったし、日時や場所や金額の都合がよかったので  
かつて通っていた専門学校に申し込んだ。

 
私は卒業以来、初めて専門学校に行った。
もう二度とあんなところに行くもんかと思った専門学校だ。
こんな形で帰ってくるとは思わなかった。
講習に、かつてのクラスメートは一人しかいなかったのでホッとした。
教室は様々な年代の男女がたくさん溢れていて、全員が同じ目的だと思うと嬉しくなった。
私は2~6月まで、ずっと一人で勉強していたからだ。

 
実技試験免除講習は日曜日に数日間に渡って行われた。
座学と実技練習で一日ビッシリ授業であり、宿題もしっかり出る。
私は月半分が週6勤務だったので、6月は仕事と講習で土日の予定が全て埋まったと言っても過言ではなかった。

 
「ねぇねぇ、あなた、なんて名前?一緒にお弁当食べませんか?」

 
実技試験免除講習初日、私は前の席の人に声をかけられた。
私の前の席の女性Aさんは以前障がい者施設に勤めていて現在は高齢者施設に勤めている、私より10歳以上年上のシングルマザーの方だった。 
喜怒哀楽がハッキリした、根が明るい人だった。 
うん、高齢者施設現場向きだろう。
(※私の独断と偏見だが、女性で根明の人は高齢者分野で働きがちであり、内向的な人は障害者分野で働く傾向が見られた。)

 
「私も一緒に食べていいですか?」
 
その女性の隣の男性Bさんが、私達女性の様子を見て話しかけてきた。
彼は高齢者施設にずっと勤めている人らしく、私より5歳以上離れていた。 
こちらの方はドッシリと落ち着いていて、誠実そうな「いかにも福祉職で働いています。」といった方だった。
同業者は匂いや雰囲気である程度分かる。

 
 
私達三人はあっという間に打ち解けた。
三人とも年は違うし、タイプも違う。
働く事業も違うし、三人ともバラバラの県在中であったが
それでも和気藹々と仲良くなった。
連絡先を交換し、仕事や受験勉強やプライベートの話で盛り上がり
お互いに支え合った。

 
講習初日からここまで盛り上がっているグループは私達だけで
私は彼等と座席が近くてよかったと思った。
人の縁というものがありがたかった。

 
 
実技講習は8人ぐらいのグループごとに行われた。

学校から指定されたグループは
AさんとBさんは同じグループだったが
私は隣の方や後ろの席の人達とのグループで
実技講習自体はAさんやBさんと別れた。

「ともかさんも一緒だったらよかったのに~!」

 
と、Aさんが嘆き

「実技講習終わった後、お互いにまた情報交換しましょう。お互いに頑張りましょうね。」 

 
と、Bさんが微笑んだ。

 
 
二人とも、いい人だ。

 
  
 
座学の教室と実技講習の教室は異なる。
移動教室である。 

実技講習は12パターンの事例があり、1つずつ先生二人組が模範支援をする。

 
 
教習所と同じだ。
実際の運転より模範支援は丁寧な言葉掛けや動作が求められる。

 
しかも、事例によって片麻痺等の設定があるが
実際は演技なので、設定を忘れてはいけない。
その上、道具や環境等も設定であり(例えば入浴支援事例の場合、実際にお湯は出さない)
そこあたりも、あたかもあるような振りをして
私達生徒は支援をしなければいけなかった。

 
 
実際の仕事ならば、担当利用者の情報は分かっているし、入浴支援なら入浴支援でお風呂場で行う。
だが、今回はいきなりバババ…と、早口で利用者設定の方の情報を与えられ(見た目と情報が異なるので、困惑する)
それを把握し
指令に従って介護をしなければいけない。
 
 
先生による見本はたった一回のみで
後は各グループごとに演習。
各グループに分かれたら、ランダムで指名され、指名された人からみんなの見ている前で
利用者役と介助者役に別れて演習を行った。

  
見本演習は早い。
前もってテキストを読んでいても、テキストに書いていない動きや声かけが入り
私達生徒は頭の中がこんがらがった。
私は先生が言うことをひたすらにメモし、ポイントをガンガン書き出した。

 
実技講習最終日が実技試験であり
演習12パターンのうち、どれか1パターンだけ披露となる。
制限以内で行い、また、減点方式である。

 
だが、先生による見本はたった一回のみ。
自分が介助者役としてやるのは、その直後の一回のみである。
私はいつ何を言うべきか、いつどの動作をやるべきかをひたすらに書き込んだ。
内容が複雑だ。
写真撮影は不可。
見ただけでは記憶から抜ける。
テキストに注意点を書き込んで、あとはひたすらに練習しかないと思った。

12パターン全てが、高齢者支援の演習だった。
学科も実技もつくづく
高齢者福祉に特化した内容なのだと痛感した。

 
1パターンで演習は15分くらいかかるため
実技演習を行うだけでドッと疲れた。
まだ20代の私でさえこんな状態だったので
年配の方々はことごとく実技に苦戦した。
大半の方が高齢者施設勤務だったが
それほどに実技講習は難易度が高かった。

 

私はメモ作戦が功を奏し 
実技講習はまだ上手くいった方だった。
障害福祉屋の私が、高齢福祉屋の人達のレベルに追いつけたのはありがたかった。
それをきっかけに、グループの人達とも話す機会が増えた。

 
専門学校時代は能面のような顔をしていたし
あそこは古傷をえぐるようで嫌だったが
講習期間中、私は思いがけず、新しい思い出に上書きをした気分だった。

私に嫌がらせをしたクラスメートはいなかったし
私に色々言ってきた教員は見掛けたが、必要以上に関わらなくて済んだのでホッとした。
この教室にいる人は一人以外、私の専門学校時代を知らないのだ。
その一人にしたって、数年ぶりに再会しても挨拶さえしない仲だ。
もはや知人以下の他人である。

 
楽しかった。
同じ道で働く人達と福祉の勉強を更に学び
資格取得に向かって頑張るのは
大変だけど、楽しかった。

 
 
  
さて、講習以外の日は実技試験に向けて練習をしなければいけない。
難点なのは自宅ではできないということだ。
演習は広さが必要となり、また車椅子やベッド等道具も必要となった。

施設しかない。

 
そう思った私は上から許可をもらい、利用者が帰った後に同僚に協力してもらい、私は全演習を練習した。
同僚は同僚で、やがて介護福祉士を取得したかったし、仕事の上で支援を見直すことから
お互いに勉強になった。
だが

「ともかさんは男性職員がお好きなようね。」

 
数日間仕事後に練習し、事務室に入った瞬間
私は事務室でみんながいる前で公開処刑をされた。
男性職員に練習相手になってもらっていたことが上には気に入らなかったらしい。
私に同期はいない。
だが、私の次の年に入った男性職員二人とは一緒に仕事をすることも多く
ほとんどが同期のようなものだった。
正職員だけに限定すれば、仲がよかったのは自然と男性職員になってしまう。
一番仲の良い女性正職員は勤務時間が異なり
私が練習したかった時間にはもう退勤していた。

正職員はほとんどが男性で
女性正職員は嫌味をかます上と主任しかいない。

 
実技演習は、利用者が帰った後にサービス残業を頼むことになる。
正職員しか練習相手はいないのだ。
 
 
上は古い考えの人間だった。
独身の男女で仕事をしていると、「男をたぶらかして。」と散々言ってきた。
率先して手伝ってくれた男性職員は怒られない。
事なかれ主義の上司も怒られない。
「手伝わせたお前が悪い。」と私はいつも怒られた。

 
結婚に夢が持てなくなったのはこの辺りの兼ね合いもある。
上と主任は嫁姑関係のごとく、言い争いがひどかったし
私は私で、その板挟みになったり
二人どちらかとやはり嫁姑関係のような関係で
散々いびられて、怒られた。

独身の女性正職員として、いつも立場がなかった。

  
 
10年以上働いている人達は介護福祉士を持っていなくても怒られず
仕事と勉強を両立しようと、練習に燃えれば嫌味を言われ
私って一体なんなんだろう。

 
帰り道の車の中で私はひたすらに泣いた。
実技演習練習は、それ以降禁止にされた。

 
 
 
 
実技試験免除試験当日、試験内容が発表されてすぐに試験が行われた。
介護福祉士の実技免除講習を受けた職員が過去に受けた内容であり
私もなんとなくそれが来そうな気がして
念入りに練習していたものだった。

 
よっしゃ!あれならラッキーだ!!

 
私は頭の中で何をやるか言うかイメトレした。
試験会場に受験者は一人ずつ呼ばれる。残りは廊下で待機。私語厳禁だ。

 
実技試験が終わった人が出て行き、新たな受験者が部屋に入る。
私は真ん中くらいの順番で、顔が死んでいた人達をたくさん見送ってから、気を引き締めて試験会場に入った。

 
氏名と受験番号を伝えてから、演習に入る。
複数人の鋭い視線が刺さる。
だがまだよい。内容が分かっているのだからよい。

 
介護福祉士の実技試験は、まさに内容が全く分からず
毎年様々な事例で課題が出た。
試験監督が三人ジッと見てくる中、あまりにも難関で、中には倒れてしまう受験者もいるという噂だ。

 
私はあと10秒で終わるというところで時間切れになった。
手順が分かっていただけに悔しかったが、そこまででミスはない自信があった。
100点ではなくていい。
合格さえすればいい。

 
試験後、私は晴れ晴れとした気分だった。

 
 
 
全員の実技試験免除終了後、私達は教室で待機をしていた。
ここでは私語OKだったので、私はAさんやBさんと試験について話した。
周りはガヤガヤしている。
あれをミスした、やり忘れた、言い忘れたと
みんなが自己反省大会だ。

 
 
そんな中、先生が実技試験免除の資格証を持って教室に入ってきた。
教室内がピリッと緊張に包まれる。
 
名前を呼ばれた方は資格証をもらい、そのまま教室から立ち去るように言われた。
名前を呼ばれなかった人1/3は追試になるとのことだった。
そう、実技試験免除は追試制度がある。
だからお金さえ払えば、三年間有効で介護福祉士の国家試験で実技試験免除となる。
絶対に受けた方が徳だ。

 
合格の自信はあったが、いざ名前を呼ばれて資格証を受け取った時
私は確かな喜びを感じた。
苦労が全て報われた気がした。

 
 
階段を降りた先にはBさんが待っていた。
「ともかさんも合格したんだね。」とBさんが微笑む。
「Bさんも、おめでとうございます。」私も微笑む。

 
実技試験免除講習を無事終了した記念に、三人でご飯を食べる約束をしていた。
待ち合わせ場所は玄関だった。

二人でAさんを待った。
次々に人が階段から降りてくるが、Aさんは来ない。

……どうやら落ちたようだ、と二人で察した。
確かに自信はなさそうだった。

 
 
ポツリ、ポツリと時間差で人が降りてきた。 
Aさんはまだ来なかった。
なかなか来なかった。
話によると、Aさんは何回か追試を受けたらしい。

 
 
「二人とも、待たせてごめん!私、本当バカでやんなっちゃう!!」

とAさんは走りながらやってきて、私達に謝った。
私とBさんは首を振った。
私もBさんも独身であった為
Aさんはシンママだし、家事育児と仕事と受験勉強が相当大変なことは
私達も察していた。

私「受かればいいんですよ!」

 
B「そうそう。三人無事合格を記念して、今からご飯を食べに行きましょう!」

 
A「二人とも優しすぎる(泣)」

 
  
私達は三人で外食に出掛けた。
これでいよいよ、1月の学科に向けての試験対策となる。
お互いに合格を喜びつつ、試験対策を頑張りましょうと話し合ったところで
私達は別れた。

ドッと疲れた一ヶ月間であった。

 
 
 
 
 
次の日朝、実技試験免除合格を上に報告すると、「男と練習したかいがあったわね。」と朝から嫌味をかまされたが、グッと堪えた。

 
「私の配慮不足と力不足で皆さんにご迷惑をおかけ致しました。施設で練習させていただいたおかげで、無事合格できました。ありがとうございました。」

 
そう言って頭を下げ、報告が済んだら私はサッサと朝の掃除に取りかかった。
掃除はいい。
やればやるほどキレイになっていく。 
心のモヤモヤも少し、スッキリする。

 
気にしない、気にしない。
相手のレベルに合わせてはいけない。

 
 
きっと今遠くで
AさんやBさんも、仕事を頑張っているのだろう。
頑張っているのは私だけじゃない。

私も、頑張る。

 
 
私は空を見上げた。 

これからがいよいよ、介護福祉士受験勉強が本格的にスタートになると思った。

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