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ドヤ顔でフグリに例えたら

大学四年生、就活生の頃の話だ。

ここで働きたい!と強く思う企業はなく、医療・福祉・教育の分野の企業と、事務職を片っ端から受けていた。
 
 
就活はなかなかに難航した。
どうやらうちの地元は、地元大学のコネが非常に強いらしい。
また、一部の企業や職種によっては、容姿の良し悪しが採用に有利になっていた場合もあったようだ。

実際、筆記試験の時に後ろで企業の方が、「形だけの試験。」と言っているのを聞いてしまったことがある。
私は他県の大学に通っていた。
偏差値は地元大学より高いが、そんなことは有利になるどころか、むしろ他県の大学で余所者と、不利にさえなっていた。
自宅から、他県の大学に通う人はあまり歓迎されていなかった。

閉鎖的な田舎ならではの世界、社会の理不尽さを何度か感じた。

 
 
そんな中、私は自分が中学生時代に通っていた塾も求人が出ていたので受けた。
履歴書、筆記試験をクリアし、最終試験・面接まで行くことができた。

 
最終試験は学科試験(国語以外の4教科)、模擬授業、集団面接。
全てが一日で行われた。なかなかに長期戦だ。

模擬授業は、その場で数学と英語の某分野について書かれた紙を渡され、5分以内で頭に入れ、要点をまとめた授業を黒板を使って10分以内で行うというものだった。
模擬授業を行う順番はランダムで、生徒役は周りの就活生だった。

 
私は大学一年生の時から家庭教師のバイトはしていたが、教職課程は履修していなかったし、塾でのアルバイト経験はまだなかった。
家庭教師で勉強を教える際は、黒板は使わない。
だから黒板を使って授業を行うのは初めてだった。
なんなら、黒板に触ることさえ久しぶりだ。
大学の講義は、黒板に生徒が何かを書くことはしなかった。

 
そんな状態だったが、私は数学と英語、どちらも時間内で授業を終えることができた。
終わった瞬間、達成感を確かに感じた。手応えも。
伝えようと思っていた要点は抑えたし、カラーチョークを使って強調できたりもした。
なんせ元塾生だ。
生徒側としてなら、塾ならではの授業を何度も受けていた。

制限時間内に授業が終わらなかったり、声や文字が小さかったりした方もいたので
どうやら会場にいる人皆が皆、塾バイトをしていたり、教職課程履修しているわけではなさそうだな、とホッとした。

 
 
最後は集団面接だった。

面接官一人に対して、就活生が五人。
面接官の方は女性で、就活生は男性三人、女性二人だった。
 
 
面接室は狭く、六人の間隔はあまり空いていなかった。
今まで何度か面接は受けてきたが、こんなに狭い空間は初めてだった。

ドキドキしながら、面接官の第一声を待つ。

「まずは皆さん、学科試験、模擬授業お疲れ様でした。
最初に言いたいことがあります。
Aさん、Bさん、あなた達、学科試験の成績がいまいちよ。塾講師目指している人がまさか、文系教師だから文系だけできていればいい、理系教師だから理系だけできればいい、なんて思ってないでしょうね!」

……全員がビクッとした後、背筋が凍り付いた、気がした。

 
これはまさか、噂の抑圧面接か?
 
 
 
学科試験の点数が何点だったかは発表されていない。
だから私が何点か、平均点が何点か、そしてAさんとBさんが何点だったかは知らない。
とりあえずはこの会話から察するに、私は平均点はクリアしていたのだろうと思った。
あぁよかった。難易度が高くて、分からない問題や自信がない問題もあったからだ。
得意科目の国語を封じられた4科目の試験内容を見た時は笑えてきた。
国語はできて当たり前、という猛者が受けに来ているのか。面白い。

まぁいい。
どうせ家庭教師アルバイト採用条件も、“5教科全学年対応できる”だった。
実際5教科中学一年~三年まで担当していた。

そっちがその気なら、こっちもこの気だ。
そう思っていた。

 
本来は最終試験前に勉強しようとしたが、気力がなく、結局当日にパラパラと参考書を見ただけで終わった。

なんせ当時はエントリーシートや履歴書(うちの大学指定は文書量が多いことで有名だ)の準備、卒業研究、一般教養やSEの勉強(公務員試験も受けていた)、バイトと、日々睡眠不足だった。
この間に容赦なく、企業説明会や面接や入社試験が入る。

今日は長時間に渡る最終試験日だったので、適度な睡眠とご飯を第一にした。

 
  
さて、第一声から噛まされた私達はシーンと静まり返り、作り笑顔がぎこちなさを見せた。
Aさん、Bさんは「すみません。」等と謝り、私含め名指しされなかった三人は身構えた。

次の話では自分が攻撃されるかもしれない。

私は恐れながらも、グッと気合を入れた。
こちらの反応を面接官は見ているはずだ。

 
 
その後、面接は進んでいった。
面接官の人が何かしら質問し、指定された人から答えた。
右から順に、左から順に、真ん中から、ランダムで、と
質問ごとに、最初に指定される人は違う。
私は右から二番目に座っていた。

ひ、ひぃぃぃ。

全く気が抜けない。
まして最初に先制攻撃をくらっている。
私は頭をフル回転させつつ、笑みを忘れないように意識した。
きっと、面接中、私は極めてぎこちない作り笑顔だったと思う。

 
 
そんな中、面接はあと少しで終わりを迎えようとしていた時に、こう聞かれた。

「自分を植物に例えたら何の花ですか。」
「また、その植物にした理由を答えつつ、その植物の良さを、採用されたらどのように活かせるか、簡単にまとめてください。」

……なんですと?

 
自分を花に例えるくらいならまだしも、それをどう活かせるかも絡めて表現しなければいけない。 
面接向きの回答をしなければいけない。
なんてひねった問題を出してくるんだ。
 

…と、面接管の人の話を聞きながら、頭の中がぐるぐるしている時に、面接官が非情にも告げた。

 
「まずは、真咲さんから、どうぞ。」

 

まさかの、私からかよ( ̄□ ̄;)!! 

 
しまった…なんてこった……… 
よりによってなんでこの質問で私からなのか。
今までの質問で一番冷や汗かいた問題がこれなのに、ははん、さては私の微妙にひきつった表情で、この小娘から攻めようと思ったな。
くぅ…Sめ。

Sめ、Sめ、Sめ。

なんだよもう。
私がドMだって知ってのこの対応かい?
ふふん…あいにくだな。私は勝ち気な美人が好きなんだよ。
勝ち気な美人の先生が担当すると成績上がるタイプなんだよ。

さぁ見るがいい。
会心の一撃を!

 
質問を振られてから、私はひねり出した答えを話した。
多分、15秒経っていないくらいで答えたと思う。

 

私「…私を花に例えたら、オオイヌノフグリです!(キッパリ)」

面接官「なぁに?それ?」

 
しまった( ̄□ ̄;)!!
面接官が、オオイヌノフグリ知らない!
早々にしくじった!
ポピュラーだと思ったが……ええい、ままよ!!

 
私「オオイヌノフグリというのは、道端に咲いている、緑の葉っぱの中にいくつかの小さな青い花が咲いている雑草です(ドヤ顔)。」

面接官「あぁ。」

 
伝わった!よし!
ここからが勝負だ!!

 
私「オオイヌノフグリは、花屋には並ばない、目立たない花です。雑草の中でも小さな花で、地べたに咲きます。色々な人に踏まれます。だけど平べったい花なので、潰れません。
どんな逆行にも負けない強さや柔軟さがあります。私はその力を御社で活かしたいと思います。」

 
面接官「はい、結構。次、Aさん。」

A「私は雑草です。」

B「私は向日葵です。」

C「私はタンポポです。」

D「私はタンポポです。」

 
ヤバい……みんな、ポピュラーどころで攻めてきた。
誰もオオイヌノフグリを回答した人はいない。
かぶらないのを良しとするか、マイナスと見るか。

 
その後、二、三質問があり、集団面接は終わりを告げた。

ヒールで帰る足取りはとても重く、疲れた。
  
 
 
 
自宅に帰った後、姉に面接の話をした。

姉「お前、面接でオオイヌノフグリなんて言ったの!?」

 
私「かわいくて好きだし、面接では雑草を答えるのがポピュラーだしねぇ。タンポポや向日葵って柄じゃないし、ペンペン草かオオイヌノフグリか迷った時、ペンペン草だと、咄嗟にいい理由が思い浮かばなかったんだよ。」

 
姉「いや、私もオオイヌノフグリは好きだよ。好きだけどさぁ…………お前、意味分かってるの?フグリ。」
 

私「ん?」
 
 
姉「やっぱり。お前、知らないで面接で言ったんだろ。フグリはなぁ…金玉だぞ。」

 
私「はぁ!?!?!?」
 
 
姉「オオイヌノフグリは、つまり大犬のフグリ。犬の金玉。調べてみろよ?」

 

確かにグーグル検索すると、そのような意味合いが載っていた。

道端に咲いているオオイヌノフグリに何度癒やされたか分からない。
あぁ考えたこともなかった。
そんな意味があるなんて考えたことがなかった。
そもそも犬のフグリを、私は見たことがない。
だから似ていると感じるも何も、連想さえできない。

だけどこれからはオオイヌノフグリを見たら、逆に連想してしまう。
この花の形がつまりその、アレなんだ、と。

 
私はオオイヌノフグリの意味を知らずにドヤ顔して、面接故に自信たっぷりで笑顔で「私はオオイヌノフグリです!」なんて言ったというのか。

自分を金玉に似てると話したのか。
踏まれても潰れないとか、なんたる痛い話をしたというのか。

 
いくら知らなかったとは言え、なんという恥。

終わった…… 
 
 
私は採用結果を見る前に、未来が分かってしまった。
そして後に、不採用の連絡が入った。

 

 
 
 
その後、私は別の塾で無事内定がとれ、就活は一旦終了となった。
福祉の就職活動は秋以降で、他分野の就活は夏前には終わっていた。 

 
 
採用条件が「塾でアルバイトをすること」だった為、私は夏期講習補習や中学受験生、高校受験生の授業を担当した。

よりによって、レベルが高く、様々な中学校生徒が集まる地区の塾に配属となったが
家庭教師と同じく、誰かに勉強を教えることはやりがいがあったし、好きだった。
生徒もかわいかった。

 
そうして塾でバイトをしつつ、11月以降から福祉の就職活動を開始した。
たまたま初めて面接を受けた施設がブラック施設だったらしく、「福祉の勉強もしたことがない人が面接を受けるなんて、福祉を舐めすぎじゃないのか」的なことをこっぴどく言われることになった。

そして逆にその面接がきっかけで、私は大学卒業後に福祉の専門学校に入り直す決意が固まった。

 
 
卒業論文を提出し、卒業論文発表をした後、私は専門学校をいくつか見学した。
専門学校で入試を受け、合格を確認した私は、すぐさま内定を蹴った。
大学四年生の二月末のことだった。

卒業式直前、ギリギリに卒業後の進路が決まったのである。

 
 
内定先の塾はいい塾だった。
高校のクラスメートとも再会したし、同期の皆と研修したり、集まったりと、充実していた。
ただ、引っ掛かりはあった。

 
 
就職課の方に内定を伝えた時

「若い時はいいし、バイトならいいけど、社会人で塾講師だと、夜中心の生活になって体壊すよ。友達は日勤の人が多いだろうから会えなくなるし、恋愛もネックになるよ。」

と言われた。
私はそれを聞いた時に確かに、と思った。
体力がある方ではなかったし、福祉の世界への憧れもどこかで捨てきれなかった。

周りが次々と内定をもらっていく中、福祉の業界だけ就職活動がやけに遅いから、焦っていたというのはある。

 
内定がとりあえずほしかった。
みんなと同じように内定をもらって、まずは安心したかった。

そういった気持ちが、本音だった。

 
 
二月末での内定辞退に本社から怒られることを覚悟していたが、何もお咎めはなかった。
ギリギリに内定辞退をしてしまい、振り回した結果になってしまい、本当に今でも申し訳ない。
本当にいい塾だった。優しかった。

同期の人達には寂しがられたし、「一旦就職してから、決意が揺るがなかったら福祉の道もいいんじゃないか?」という意見も何人かから言われたが
私は首を振った。

私は障がい福祉の道に行きたい。

その決意は固かった。
私は頑固者で、心が決まり、一度こうと決めたら曲げられない。

 
 
塾での教え子も無事全員第一志望に合格し、私はそれを見届けてから、バイトを辞めた。
それからはもう、その塾とは何も関わりはない。
 
 
街では、私が内定辞退をした塾も、最終面接で落ちた塾もまだ運営している。
中学生や高校生が制服や私服で塾に通う姿を見ることがある。
私は心の中で思う。

今ここで働く先生は
私と同期の人や私と一緒に面接を受けた誰かかもしれない。




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