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#49 思い出についての愛を語る

温もりを持った記憶たちは、どこにたどり着くのだろう。

『星を掬う』町田その子 p.27

 誰かとの大切な思い出というものを、一粒のキャラメルのように幸せな気持ちで浸りたくなる時がある。もう今となっては、遠い記憶になってしまった思い出たち。甘美で、思わず溺れそうになる。ただ眠ることが惜しくて、星が一面に広がる空を眺めていた時のこと。あの頃の私は、確かに爆発的な瞬発力で、全身全霊で進み続けていた気がする。

*

留まらない影の痕跡

 この時期になると、周辺がバタバタとし始める。ちょうど7月あたりから事業部門に配属された新人に対して、私は研修を行っていた。そのための事前準備に翻弄され、いざ本番を迎えたら迎えたらで有り余る力を振り絞らないと若者たちにエネルギーを吸い取られる。彼らの姿を見ると、ありし自分の姿が重なり合う。

 加えて、1か月前あたりから転職活動も本格的に始めた。本来であればもっと前からずーっと仕事を変えようと思っていたのだが、気が付けば伸ばし伸ばしになっていた。かつて自分の中にあった原動力のようなものは、いったいどこへ消えたのだろうと思っていたが、勝手に火種を消そうとしていたのは自分かもしれない。

 転職活動でだいたい聞かれるのは、わたしが過去何やってきたかということ、どんなことを考えて行動しているかということ、結果として何を得られたかということ。生きれば生きるほど、たくさんの物事が見えてくる。積もり積もった埃のような思い出が頭の中に堆積し、ものによってはその姿形輪郭が失われてしまうものもある。

 忘れたくない思い出を、留めておくにはどうしたらよいのだろう。

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空疎、怠惰、疎遠

 先日、友人に撮影を付き合ってもらった。誰かをきちんと撮影したのは、久しぶりかもしれない。楽しい時間だった。コロナ禍になってから、実をいうとだいぶ写真の楽しさというものから遠ざかってしまった気がするのだけど、久々にその感覚を味わったような気がする。実のところ、私はその人に対して密かに淡い思いを抱いていた。でも、波間の向こうへ捨て去ることに決めた。

 ひどく蒸し暑くてうだるような夏の日。目の前には海が広がっていて。滴り落ちる汗を感じながら、ひたすらシャッターを押していく。その人に、なんで写真を撮るようになったのか訊かれて、ユラユラする頭の中で必死に考えを巡らせる。そういえばわたしは、私がこれまで生きてきた証を何かに残したかったんだ。

 思えば中学生くらいまで遡ると、毎日友人と関係を築くことに四苦八苦していたような気がする。その頃はどちらかというと、自分から誰かに声をかけるような性格でもなく、それと相手との距離感をいつもどうすればよいか悩んでいた。思春期特有のニキビも出たし、目の下にはクマもできた。胸を締め付けられるような夜もあった。

 高校になると日が沈むまでテニスのボールを追いかけることに精力を使い果たし、帰る頃には泥のように眠ったことを思い出す。当時スクールバスで一緒だった子に、初めて「好き」という感情を抱いた日のこと。あれほど仲が良かったのに、今ではその人とは疎遠になってしまっている。今何をしているのだろう。自ら命を絶った友人、身の入らない受験勉強、漠然とした将来に対する不安。

 当時わたしは他の人と比べると、あまり物事を深く考えていなかったような気もする。とにかく毎日のことが手一杯で。自分以外の物事を気にかける余裕がなかった。自分中心に世界が回っているという錯覚に陥っていた。甘すぎて、自分の至らなさに気がつく暇もない。

 大学ではいったい何を考えていたのだろう。その頃が一番濃密な時間を過ごしていたように思うし、いやいや逆に空疎な日々を過ごしていたような気もする。自分なりに意志をもって動いていたような気がするけれど、今思うと考えが浅かった。飲んでは朝を迎え、怠惰な日々を過ごしていた。忘れられないトラウマのような塊が、未だに私の中でで巣食っている。

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温もりを帯びた愛

 忘れたい思い出と、刻み付けたい記憶、心の奥底にしまい込まれて埃をかぶっている記録の引き出し。

 時間が経つにつれて、うつらうつらと自分の中にあるものが薄れていくことを感じるんだ。わたしは過去を振り返ることはあっても、囚われたくないと思っている。ひたすら記憶を文字として刻み付けていく。我が強い人間で、むやみやたらに自分の意思を貫き通そうとした。自分の中で動き続ける姿の見えない声の塊が、今も刻々と生き続ける私の横に立って、欲望のうねりを伴って言葉を発する。

 幾層にも重ねられた思い出によって、自分が自分たる存在を形作っている。ありし日に取り残された、感情のさざなみ。晩年、認知症によって記憶を携えることができなくなった祖母を見たときに、彼女はもはやわたしが知っている彼女ではなくなっていた。あまりにも居た堪れなくなって、目を逸らしたことを思い出す。思い出をなくした彼女は、何か大切なものが肉体から剥がれ落ちてしまったかのようだった。

 かつて祖母がわたしへ降り注いでくれていた温もりの粒を探ろうとする。どうしてわたしはその愛の形を素直に受けることができなかったのだろう。気がついたときには、もうすべてが手遅れだった。花びらが地面に落ちるかのように、ただ風にすべて舞ってしまった。

 後悔しても、後戻りできない過去たち。その全ての道を辿ったときに、ああ人は三つ子の魂百までというけれど、その本質はきっと変わらないのだということに思い至る。

 今日もひぐらしが切ない声で鳴いている。その声の正体を追って、遠い過去に残したものの影を見る。出会った人たちとの思い出の中には、確かに温もりを伴った愛があって、その幻影を今も追い続けている。


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