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#52 無価値についての愛を語る

 気がつけば、夏休みを取り損ねていた。

 今年の夏は奇妙である。毎年お盆休みなるものがあって、私は他の人が休むタイミングを見計らい、しばしの暇をいただく。流行病が落ち着くタイミングを見計らって旅に出る。一人旅をすると、不思議と自分の欠けていたものが満たされていくような感覚に陥る。

 ところが今回はどうだろうか。なぜか私が休もうとする心情を慮るように、カリカリカリカリと仕事のスケジュールが刻まれていく。おろ、おかしいですなこれはと思っているうちが華で、気がつけば馬車馬のように働いている。

 仕方がないので近くのスーパーで安くなっていた「夏の誘惑」という名の琥珀炭酸焼酎をあおる。チリチリ、シュワシュワという音が弾ける。窓を開けると、虫の声が重なる。

 あゝ、悲しいかな。夏からお誘いを受けているにもかかわらず、ひらりと身を翻さなければならない自分が情けない。私もロックでハジけたいよう。何をしたら良いかわからなかったので、ひたすら漫画を読み耽る。最近の私の推しは、断然『ダンスダンスダンスール』。

 友人に教えてもらって初めて知ったのだけど、『溺れるナイフ』の原作者だったのか。道理で漫画の絵が鬼気迫っているわけだ。若さとは、罪だ。何にでもなれる。なんでもできる。私もほとばしる愛を叫びたい。

 あまりのナイフの切れ味の良さにうっかり指を切ってしまった。赤い液体がトロリと流れる先をじっと見つめ、弾ける姿を思い浮かべる。

*

 時が経つにつれて、自分自身の周りには少しずつ持っていることの意味を見出せなくなったものが積もり積もっていく。

 子供の頃によく集めた綺麗なビー玉だとか、お菓子のくじでもらった景品だとか、聴くための機械を失ったMDだとか。それらのものはかつて私が熱狂したものだったけれど、移ろいゆく季節の中でその存在の意味がわからなくなったものばかりだった。

 何が私にとって価値があるものなのだろう。自分の興味はまるで風が吹くかのように移ろいゆく。その度に愛と情熱の対象についても、変わっていく。何かを変えようとして全力で力を注いだ日のことを思い出す。変わるものは自然と変わっていくし、自分の影響力なんてちっぽけなものだった。

 自分の力でそれを価値あるものに変えられると考えることは、ただの欺瞞とエゴなのだろうか。

*

 ぐるぐるぐるぐる回るメリーゴーランドを見て、ほんの少し気持ちが悪くなった。後悔の念が浮かぶ。後輩たちとついついペースを考えずに飲んで、気がつけば足取りがフラフラとしていた。勇ましい馬に蹴飛ばされる夢を見る。

 自分より歳が下の子たちを見て、彼らがもがき苦しみながら前に進んでいる姿の眩しさに思わず目を瞑る。自分自身も触発されたような気持ちになってくる。怠惰が泡となってパチパチとはじけて、何もかもを忘れてしまいそうになる。帯びたる近未来の姿を。

 今日ふと駐車場を通ったら、雨が降っていないのにバンパーの動いている車があって、中で気だるそうに一人の男性が淡い光を帯びた携帯をぎゅっと握っていた。おかしな光景だった。電車の中では突如入ってきたバッタに驚いた男性が全力で腕を振り払う光景を見て、思わずクスリと笑う。

 何を焦っていたのか、20代の頃は自分に価値があるものとそうでないものを意識的に見出そうとしていた。

 なんだよ、そんなことしてなんの意味があるのだということを考える場面が多くなって、その度におざなりにことを進めてしまおうとする自分がいた。たいていそういう時には手痛い失敗をする。うまく生きることのできない自分の不器用さに心底うんざりしていたのさ。

*

「価値がないということは、必要とされていないということではないよ。きっとね」とその人は言った。

 価値がない、価値がないと思って切り捨ててしまったものがどれだけあることか。世間一般的に見ても。でも今だからこそ考えることは、価値がないように見えるものほど私自身の礎を築いていることに気がついて愕然とする。

 写真を撮っていた時もその時は楽しいと思っていたけれど、特に生きていく上では必要ないものかもしれないし、音楽もアートも例えなくなったとしても多分うまく生きていくことができるかもしれない。

 生活上ではもしかすると価値がないものの集合体。時は経ち、失われたものの大きさを知る。やがてしんどくなる時が来る。自分を支えているものの正体を知る時がくる。

 文明が発達して、より効率的なものが重視される時代へと変わっていく。大事なことを忘れている気がする。頭の中で何かが蒸発していくような感覚を覚える。生活する最中で価値があるものだけを追い求めて行った結果、大事な何かがポロポロと崩れていく。

*

 あ、スイカの種って今食べることができるんだ。いちいち黒い粒の種を選り分ける必要がないんだね、こりゃ便利な時代だ、と思った。改良に改良を重ねて、より暮らしやすさと便宜性を求めるようになっていく。一方で失われるものもある。よく友人とスイカの種を飛ばして競ってたっけ。あれは良い思い出だった、ということにはたと気がついてしまう。

 価値ばかり求めてしまうと、景色は色褪せていく。無価値なものほど、本当は自分にとってはなくてはならない余白であったことに気がつくのだ。二日酔いでグラグラする頭、アレェ昨日は無価値な日々を過ごしてしまったな、だって何も覚えてないんだもの。

*

 そうした日々を思い出すたびに、愛おしい気持ちが芽生えるのはなぜだろう。苦しかった。足をバタバタさせて抵抗していた。自分が自分でなくなってしまうようで。私がこの世界で無価値なものと認識されて、ぽいと捨てられてしまうことを恐れていた。

 季節は巡りゆくものなのね、いつの間にか虫たちの声はより上品になっていて、あれほどやかましいと思っていた音の塊も落ち着き払っていく。それが少し勿体ないなと思った。

 きっとその当時は価値がないと思ってしまったとしても、物事の本当の価値は流れゆく日々の中で、意味合いが変わっていくのだろうか。感情と若さと興味の度合いは、毎日そっくり細胞が入れ替わるたびに、目まぐるしく姿形を変えていく。

 なんだよ、あるじゃないか、愛が。

 忙しなく回り続けるメリーゴーランド。途中で優美な馬に乗った少年と目があった。将来的にはメリーゴーランドに乗った記憶も無価値になるかもしれないけれど、それがきっと知らず知らずのうちに積もり積もって、彼にとっての愛に変わっているのかもしれない。

 無価値と思えるものほど、自分にとっては大切なものだった。その大切な事実だけを胸にして、私は今日も生きていく。


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