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#84 サーカスについての愛を語る

 美しく繊細なメロディーと共に、人々が宙に舞っている。

 サーカスは、昔から行きたいと切に願っていた場所だった。幼い頃より不思議と頭の中にきちんとしたイメージを伴って、思い浮かべては恍惚とした気持ちになり、周りの観客席に座るたくさんの大人たちと共に拍手を送る。類を見ないほどのエンターテイメント性にあふれていて、そして見る人たちにその努力の結晶というべきものを見せないだけの努力を彼らはしていて、私たちは日常の世界からズルズルと、夢の世界へと送り込まれていく。

 友人のスケさんが、ある時シルク・ドゥ・ソレイユを見に行こうと言ったのがきっかけだった。今年の始まりに、これまで自分たちがしなかったことをたくさんする年にしようと互いに誓いのようなものを立て合い、その中の一つだった。名前だけは聞いたことあったが、実はその具体的な活動内容を私は知らなかった。実際に調べてみると、カナダのケベック州に拠点を置くエンターテイメント集団らしい。日本語での直訳は「太陽のサーカス」。日本だと数年ぶりの公演らしい。アレグリアという名前でも知られているその団体は、私の心に確かな温かい日差しをもたらした。

 いざ当日を迎え、イベントが開催されるお台場まで足を運ぶと、そこで待ち構えていたのは傍目からすると、少しチープにも感じられるテントだった。昔、私がかつて思い描いていたサーカスそのものだった。ワクワクしながらチケットを握りしめてテントの中に入ると、私の中のそうしたイメージは良い意味で裏切られ、たくさんの人たちがひしめき合っていた。まずとにかく最初に感じたのは、チュロスの匂いだった。

 私たちはその場の雰囲気をあまりにも楽しみすぎて、1時間前にたどり着いたにも関わらずグッズ販売のスペースや飲食物の模擬店をうろうろしていたらあっという間に公演時間となってしまった。

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 思えば、私が慣れ親しんできた文芸作品の中にも折に触れてサーカスについて触れる機会があった。中でも今も印象に残っているのが、小川糸さんの『サーカスの夜に』という作品。両親の離婚をきっかけにして孤独の身となった少年が、ある時サーカスの一団と出会うことによってその道を極めていくという物語。

 一見、サーカスの団員たちは自由そうに見える。でも、彼らはそれぞれ自由とないまぜになった苦しさと責任を内包していて、それはともすると行きやすいように見えて世渡りするには不器用な世界だった。煌びやかに見えても、みんな孤独と闇を一定抱えて生きている。

 あとは、知る人ぞ知る『グレーテスト・ショーマン』。かつては人の目に晒されることで苦しみながら生きていた人たちに、光を浴びせ、そして彼らは自分たちが生きることに少しずつ誇りを感じるようになっていく。中盤から闇の部分が少しずつ見え隠れするようになったけれど、あれは最後まで余韻の残る映画だった。(ちなみにどちらかというとサーカスというよりは、見世物小屋というテイストの方が大きい作品である)

 それと今でも私自身の思い出とも深く結びついている『恋人たちのパレード』。これはどちらかというと、動物たちが出てくる演目が中心になっていた。最近は動物愛護の観点からか、あまりサーカスで動物が出てくるイメージがない。全体的にロマンス要素が強い映画で、確か当時付き合っていた恋人と見に行った覚えがある。とにかく映像に引き込まれたっけな。

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 いまは遥か彼方に追いやられた記憶と共に、再び私は「シルクドゥソレイユ」の演目に目を凝らす。改めて最後見た時に感じたのは、これはもう、大人向けのディズニーランドだ! ということだった。演芸の中ではきちんとしたストーリーがあって、それは時には私たちのわからない言葉で演者たちは会話をして進んでいくのだけど、言葉がわからなくてもなんとなく彼らが意図していることがわかってしまう。

 本当にもう、最初から最後までずっと集中しっぱなしで、あまりにも集中しすぎたためか途中から若干頭が痛くなってしまったというのはあるのだが。サーカスに出てくる人たちは、この人たち本当に人間なのか!? と疑ってしまいたくなるくらいに普通の人間の限界を超えたトリッキーで、ある種幻想的な動きをしていて、思わずため息が漏れてしまった。

 宙返りを何度もしたり、火傷しそうな炎を軽々と扱って見せたり、フラフープ、トランポリン、ポールなどさまざまな道具を用いたさまざまな人間曲芸が行われていく。彼らは当然ながらプロフェッショナルとしてここにいるわけで、それがごくごく自然な動作で進んでいく。その極致に至るまで、彼らはどれほどの血の滲む思いで特訓を重ねてきたのだろう、と想像せずにはいられない。時には激しく、時には静かに、時にはとびっきりのユーモアを織り交ぜながら動と静をうまく使い分けることによって、見るものを飽きさせない。

 周りを見渡すと歓声を上げている子どもたちもいて、彼らにとってもきっと忘れられない時間になるであろうことは想像に難くない。みんな、ハッと思い出したようなタイミングで大仰に拍手を重ね、それが霰となって空から地上へと降っていく。途中インターバルが15分ほどあったのだが、みな興奮を隠しきれない様子で自分たちがどれに感動したかを言い合っている。その瞬間はもう、子どもも、大人も、老人ものべつまくなく一人の人間として、その心沸き立つ躍動感を共有しており、その熱気を浴びて、私も少し体が火照った。

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 最後だけは撮影OKとのことで私は思い出として残すために、パシャパシャとシャッターを切った。でも、きっとこの瞬間のこの感動は、写真に全て収め切ることができないということも半ば自動的に認識してもいる。でも、撮らずにはいられなかった。そして、ほんの少し涙した。何に対して涙が出たのかはわからない。賞賛なのか、名残惜しさなのか、悔しさなのか。またいつか、きっとこの場所に戻ってくると思った。私はその時間違いなくきちんと魔法にかけられていて、きちんとここではない非現実の世界に足を踏み入れたのである。観終わった時にどっと疲れが押し寄せてきたけれど、それは心地よい疲れだった。

 彼ら彼女たちは、みな美しかった。もちろん苦しいこともあるだろうし、時には失敗することもあるだろう(実際、最後の演目で失敗した場面を目撃した)。でも、それによって決して夢から引き戻されることはないのだ。興奮して明日もこれで生きていける気がするわ、ってみんなで言い合うんだ。すごいな、人に生きる希望を与える人たちって。これこそが、仕事のあるべき姿なんだろうと思う。私自身、曲がりなりにも物語を創りたいと思う立場にあって、自分が紡いだものが決して独りよがりになることなく、たとえばこの世界で生きることに苦しんでいることや現実ときちんと向き合いたくないと思っている人たちに対して、日差しを灯すことがしたい。

 そうやって、まだ見たことも会ったこともない人たちに対して、物語によって愛を灯し続けて、その先に自分自身の存在意義みたいなものを抱けたらな、それって最高だよな、と帰り際にアレグリーア〜! と鼻歌を口ずさみながら密かに思った。


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