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日々の気付き。思考のメモ。コーヒー、農業、旅、食 のコト。instagram : da…

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日々の気付き。思考のメモ。コーヒー、農業、旅、食 のコト。instagram : daichi06s

最近の記事

20年後も忘れない思い出〜旅の記録16〜 上海編

社会人になってから初めての一人旅は上海 何で "上海" にしたのかは、特に理由はない ただただ、どこか海外に行きたくなっていた 一人旅の緊張感と楽しさが忘れられなかったのだろう。 旅を決めたのは出発日から1ヶ月前。 とりあえず、有給休暇だけ取っていた。 木、金 と有給休暇を取り土、日と4日間のサラリーマンらしい旅程。 有給休暇を取った時点では、やんわりと香港に行こうかと思って、航空券もチェックしていた。 確かその時は往復3万円くらい。 ただ、そのままの値段かと油断

    • 20年後も忘れない思い出〜旅の記録15〜

      デリーに戻ってきた。 一度来たはずの場所だけど、北インドを横断してから見ると、どこか違って見えるのはなんでなんだろう。 街はさほど変わってないはず。 でも自分のインドへの視点は明らかに変わったはずだ。 たまに、地元にいる時でもそんなことを感じることがある。 例えばランニングをして冷たいシャワーを浴びた後に街に出ると、何か違うものを感じる。 サウナに入った後、自転車で帰る帰路。 何だか新鮮で新しい風に感じる。 長期の旅から帰ってきた時も同じような何かを感じる。 今日は

      • 20年後も忘れない思い出〜旅の記録14〜

        今日も朝早く、いつものチャイ屋でチャイを飲む。 もう3日連続で通っているから顔馴染みだ。 近くの露店の子供達も、ゴムボールでサッカーをした仲。 もう友達だ。 今日でコルカタも最終日 夕方にはニューデリーまで飛行機で帰って、ニューデリーに1泊。その後帰国の予定。 たった2週間の旅だったけど、旅の序盤はすごく一日が長く感じた。今は一日があっという間に過ぎる。 もっと住みたいくらいにも思う。 旅が始まってから5日後くらいに、不安に打ち勝ってからは何かが吹っ切れた。 変な自信

        • 20年後も忘れない思い出〜旅の記録13〜

          今日はマザーテレサの家に行く日だ。 「行ったら何とかなるだろう」と行動する。 マザーテレサの家は宿から15分ほど歩いた所にある。 見たまんま、看板には「Mother Teresa’s house」 と書かれていた。 僕は中に入り、一番初めに見つけた人に声をかけた。 どうやらココのシスターらしい。 あまりの僕の英語力の無さにお互い困惑してしまいシスターは日本人のシスターがいると言ってくれた。 「すごく忙しい人だから会えるかどうか分からないけど、君のこと話してみるよ」

        20年後も忘れない思い出〜旅の記録16〜 上海編

          20年後も忘れない思い出〜旅の記録12〜

          列車がどんどんと減速する。 どうやらコルカタに着いたみたいだ。 2回目のインド列車ということで、1回目よりも余裕があってスムーズに進んだ。 後になって振り返ってみると、スムーズに進みすぎるよりも、トラブル続きの方が充実感があるのはなんでだろう。 その時は大変だけれど、振り返ってみれば大変だった方が良かったと思える。Mなのかな。 駅舎を出ると溢れんばかりのオートリキシャー攻撃。 まともに交渉してくれるドライバーを見つけて、早速宿探しに向かった。 行き先は「サダ

          20年後も忘れない思い出〜旅の記録12〜

          20年後も忘れない思い出〜旅の記録11〜

          キレイなオレンジ色の朝陽が上がる。 バラナシ滞在中は、毎日早起きしてガンジス河に浮かぶ朝陽を見るのがルーティンとなった。 バラナシには短い滞在だったけど、朝のルーティンのおかげで、1日1日を長く感じることができた。 コルカタでも、朝のチャイを飲むために早起きを続けよう。 "早起きは三文の徳" とはよく聞くけれど、三文だけじゃなく、もっと徳のような気がしている。 例えば、他の人よりも2時間早起きするとしよう。 (2時間×30日×12か月=720時間÷24時間=30日)

          20年後も忘れない思い出〜旅の記録11〜

          思考メモ 1

          このノートでは、基本的には旅のことを載せてきた。 でもプロフィールにある通り、日々のメモや思考についてのメモもやるつもりだ。 たまにはそういったノートも残していこうと思う。 今回残したいのは、シンプルに説明できるヒト程内容を理解しているということ。 アインシュタインも言っている通り、『6歳の子供に説明できなければ、理解したとは言えない。』 要するにそんなとこ。 しかし、僕もコーヒーを始めたての時は横文字を多く使ったりとか専門用語を使うのがカッコいいと思って多用してい

          思考メモ 1

          20年後も忘れない思い出〜旅の記録10〜

          「今だ!」 車やオートリキシャーの間をすり抜け道路を渡る。 信号が少なく、そもそも機能していない。 むしろ信号を守る方が珍しい。 慣れてなかった頃は、道路を渡るにも一苦労だった。 僕はいつものように、バラナシの大通りを歩いていた。 こうやってあてもなく歩いて、何か面白そうなモノや場所、人を探すのが大好きだ。 「ゴンっ」 右半身に軽い衝撃が走った。 すぐに右を見ると、オートリキシャーとすごく申し訳なさそうな顔で僕の方を見るドライバー。 「めっちゃ痛いやんけ」 僕は普通

          20年後も忘れない思い出〜旅の記録10〜

          20年後も忘れない思い出〜旅の記録9〜

          朝の6時。 自然と目が覚める。 なぜかこっちに着いてから早起きになった。 インドの朝は早い。 さっと着替えて、街に出て、近くのチャイ屋さんでチャイを飲む。 それからガンジス河の河沿いで"ボーッと"する。 なんでかは分からないけど、そういう時間がとても大切なように思う。 例えば、釣りに行ってボーッとする時間。 サウナで何も考えずにボーッとする時間。 お風呂に浸かりながらボーッと時間。 ランニングしながらボーッと。 列車の車窓から景色を見ながらボーッとする。 この"ボー

          20年後も忘れない思い出〜旅の記録9〜

          20年後も忘れない思い出〜旅の記録8〜

          「カラン」「カンカン」 カウベルの音や鈴の音、バラモン(聖職者)のお経を読み上げる声。 全てが混じり合う空間。 ガンジス河沿い。 これがヒンドゥー教にとって、すごく大事な"お祈りの儀式" プージャだ。 幻想的な灯りに灯され人々は祈りを捧げる。 僕も近くのインド人親子にレクチャーしてもらい、見よう見まねで祈りを捧げる。 ヒンドゥー教の儀式だからといって、堅苦しい訳でもなく、観光客でも参加自由だった。 これが毎晩行われているというので驚きだ。 ガンガーのゲート(河沿

          20年後も忘れない思い出〜旅の記録8〜

          20年後も忘れない思い出〜旅の記録7〜

          暑い熱気で目が覚める 時計を見ると朝の5時を指していた。 夜は冷えるのに昼間は日陰を探しながら歩きたくなる。 昨日しっかりと脱水できなかった洗濯物も、砂埃を含ませて完全に乾いている。喉もカラカラだし想像以上に乾燥しているのだろう。 今日はガンジス河のサンライズを観ると決めていた。 どうやらインドの朝は早いようだ。 街を歩けばチャイを飲みながら、話す人々。 列車で飲んで以来、すっかり朝に飲むチャイの虜だ。 インド人曰く、チャイは生活の一部らしい。朝に1杯、仕事の休

          20年後も忘れない思い出〜旅の記録7〜

          20年後も忘れない思い出〜旅の記録6〜

          「ブー」 「ブー」「ブッブー」 鳴り止まないクラクション。不整備の道路。砂埃と排気ガスの充満する道。目と喉がすぐにやられそうだ。 朝の満員電車並みの人が駅からオートリキシャー(3輪タクシー)乗り場まで乱れた列を成している。 列車から降りるだけでも一苦労だ。 やっと着いたんだと心を落ち着かせる、間も無く。 オートリキシャーの勧誘が溢れるようにやって来る。 「200ルピー」 「ゲストハウスまで連れてくよー」 「宿決めた?」 なぜかバラナシ、コルカタには日本語を流暢に話すイン

          20年後も忘れない思い出〜旅の記録6〜

          20年後も忘れない思い出〜旅の記録5〜

          「チャーイ」 「チャーイ」「チャーイ」 朝の5時。 5分毎にやって来る'爆音目覚まし時計'のようなチャイ売りのおじさんの声が、狭い車両内に鳴り響く。 昨夜は早く寝たためか、驚くほどに目覚めが良く、日の出と共に起きられた。 こんなに規則正しい朝はいつ振りだったかな。 なぜか無性にチャイが飲みたくなった。 人間には、何度も目や耳にしたものを欲しくなるし、脳裏にこびり付く傾向があるらしい。 TVのCM、広告全般は最たるものだ。欲しくなくても、ある種の洗脳で購買意欲が刺激され

          20年後も忘れない思い出〜旅の記録5〜

          20年後も忘れない思い出〜旅の記録4〜

          割り込み、順番抜かし、サッカー試合のゴール前並みのフィジカルコンタクト。 切符を買うにも一苦労だ。でもこんな事でイライラしてては身が持たないし楽しくもない。 僕も負けじとインドスタイルで切符を手に入れた。 だってココはインドなのだから。 街中に牛がいるのは当たり前。 駅の待合室にも牛の親子が誰よりも大きな態度で座っていた。 ニューデリー駅での切符売り場。 ニューデリーからの列車に乗り、次の目的地は "バラナシ" に行くことにした。 列車はインドの通常通り5時間遅れで到着。

          20年後も忘れない思い出〜旅の記録4〜

          20年後も忘れない思い出 〜旅の記録3〜

          じめじめとした熱気、エネルギーに満ち溢れた人々、そして僕のことを見る無数の目。 空港を出た途端から始まる、笑えるくらいに"しつこい"タクシーの客引き。(30mは付いてくる) 遂にインドの玄関口に到着した。 実は日本の友達の親父さんがデリーに単身赴任で住んでいると紹介してもらい、2日間お邪魔させていただくことになっていた。 友達の親父さんの会社の従業員の方が、空港まで迎えに来てくれるということだ。 最初の2日間はのんびりとインドを満喫させていただくとしよう。

          20年後も忘れない思い出 〜旅の記録3〜

          20年後も忘れない思い出 〜旅の記録2〜

          これで資金は8万円になった。2週間のインド旅には十分な資金だと思い余裕綽々で出発日当日を迎えた。 空港でお見送り的なのは小っ恥ずかしかったので、家の玄関でいつも通り「いってくるわ」とだけ言い、家を出た。 平然を装ってたけど、内心は "ワクワク" と "不安" が交互に行き来してた。 45L程の自分の頭より高いバックパックを背負ったら、何だか強く逞しくなった気がするのは自分だけなのかな。 今の自分の荷物と比べると、昔はかなり多くの量の荷物を背負っていたと思う。 荷物の

          20年後も忘れない思い出 〜旅の記録2〜