遊びって、大事じゃね?~AI時代の教育のあり方を考える~Part 8(全10回以上連載予定)
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忙しい向けの要約が目次の最後についているので、忙しい人はそこだけみてください!
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やあ、皆さん。大層お待たせいたしました!
今回からは挨拶をカットします。(長いから)
この連載の経緯が気になる方は、こちら、以下のリンクからどうぞ。
さて、今回はパート8です、ついに第二部に入ります!
第二部『遊び心のある人生を生きる』の、
第四章『親なら遊ばせよう』に入っていきます!
で、またこれが59ページもあるわけですよ。
なので、前後編にわけます!
(ちなみに、仕事とプライベートで忙しいこと、ここ数週間微熱が下がらず、体調がよろしくなかったことで、更新のペースが遅くなりました。すみませんね。)
第四章『親なら遊ばせよう』
さてこれまで、遊びのすばらしさに触れてきましたよね。
もうね、言うことなく遊びが重要であると感じてくださっていると思います。
この章は特に、教育に関わる人、あるいは親御さんが、
「うわ~まじわかるわこれ・・・(絶望)」
ってなる内容満載なんですよ。
さて、博士は、今の遊びの状況についてこう述べている。
というのも、博士たちの世代では、野原や森を自由に探検した経験があって、正直ハチャメチャで危なっかしい遊びや活動していたが、今の子どもたちは、ほとんどの時間を、テレビゲームや、”安全”な種々の活動に費やしているのを心配されてるよね~、と。
(安全なものでいうと、サッカークラブとか、そういうやつ、大人が管理しているやつ全般らしい。)
そして、ある意味で、今の子どもたちは昔よりも恵まれている人生観を送れるかもしれないけれど、
という感じなんです。
この章では、子どもに見られる遊びの足跡をたどりながら、今の、人間の遊びがどう役立っているのかを中心に、
博士が遊びと出会った、例の事件の詳細をだしつつ、やんわりと、
「そこに、遊びはあるんか?」
と、真央さん(浅田ではないほう)のように伝えてくれます。
ではまず、遊びの足跡から。
(教育業界にいる人や親なら当たり前かもしれません。ですが、今一度見てほしいです。)
遊びの足跡
なんかもうね、胎児のころから遊びは大切らしいんですよ。
胎動も、遊びのプログラムによるもので、手足と脳をうまくつなぐものなのだと、博士は説明してくれています。
生まれ出た後は、それこそ様々な遊びをしていくわけです。
その最初の代表的なステップに、調律現象というのがあるらしい。
例えば、
子どもが笑顔になると、母もなんか溢れる喜び(遊びって心が喜ぶ状態でしたよね、おさらいです)で、目を見つめながら笑いあっちゃう的なやつなんですけど、
これ中々面白い現象でして、
脳波が同期して、一種の「精神融合」
みたいな状態になっているそうです。
なによりも重要なのは、この調律現象が乏しく育つと、
子どもは情緒的に極端に脆く、常軌を逸した振る舞いになる傾向があるそうです。
はい、こんな感じで、もう生まれた後から、色々な遊びを通して、
子どもたちは様々なことを育んでいきます。
要約(今回は要約らしいことをします。笑)すると下みたいな感じ
【遊びのおおまかな分類とご紹介】
身体と動きを使った遊び:
身をよじったり、手をぶらぶらしたり、色んなものをかじったり、スプーンをベロベロしたりとか。
(皆さんも見かけたら即マナーがどうとか脳死反射で注意せずに、一旦遊ばせてあげようね)
かなり原初的な遊びのスタイルのため、中々遊びを思い出せない人には、体の動きを伴うワークからはいるらしいよブラウン博士は。
物を使った遊び:
スプーンでもおしゃぶりでも食べ物でも。もちろんおもちゃが代表例。生後15ヶ月を過ぎると、好みのおもちゃに強い個性がでてくるらしい。これらでの遊びが、あらゆる種類の問題を理解し解決するのに繋がるそうよ。
想像力を使った遊び:
2歳ころから断片的にお話を作るという形で、この遊びの兆候が表れるそう。そこから、話を紡いだりして夢中になっていく。この想像力は、感情面でのレジリエンスや、創造性、他人への共感能力や他社への信頼をする力に関わってくることが立証されているらしいよ。
社会性のある遊び:
人間は社会生活を営む動物であり、遊びは社会的能力というエンジンのガソリンになりやす。(遊びがないと社会性なくなるよね確かにって思う)
共通の道具、例えばクレヨンとか絵の具とかを使って隣同士で遊ぶとか、4~6歳ころには協同で遊びを作り上げたり、取っ組み合いごっこや追いかけっこをしたりとか、誕生日のパーティーとかがあたります。
ちなみに、大人になると遊ぶのに大義名分がほしくなって、祭りとかそういう儀式とお祝いが、大人にとってはいい遊びなのかな・・・?
語りとお話による遊び:
ストーリーを自分で語ったり、お話を聞いたりするようなものです。脳の中でも支配的な左半球の、極めて重要な働きになっているのが、どうして物事はそうなっているのかについて、絶えず話を作りだしていくことらしいです。私たちもお話から元気をもらうことがあるし、善悪を判断するときも、商品を買う時も、そのストーリーは判断の基準になりますよね。
変容と統合を伴う遊びと創造的な遊び:
遊びが、新しい自己、世界となお一層調和する存在への入り口になる。つまるところ、新しい行動や思考を試すことだから、既成のパターンから私たちを解き放ってくれる。年齢に関係なく、例えば空想ごっこに興じるときは、日常生活という現実を変え、その過程で、新しい考え方や新しい自分のあり方を、育てています。
まあ無論空想なので表面上は心読めませんから、
こういう遊びは、なかなか周りの人に気づかれないことが多いですよね。
はい、まあ当たり前かもしれませんが、
日頃私たちが子どもをマナーが悪いとか、遊びはもうやめなさいと叱ったり、部下や同僚、時には先輩に、真面目にやってくださいよと注意したりするその行動を今一度見直す機会になるといいっすね。
だってそれ、
遊んでる=脳が活性化する=新しい何かが生まれる瞬間
かもしれませんから。
この章は、「親なら遊ばせよう」です。
元の本だと、「parenthood is child's play」ってタイトルなんですねこの章は。
はいつまり、親であることはそんな難しいことじゃないよと、
要は、親であることは遊ばせること。子どもは自然に遊ぶので、子どもをできる限り子どものままでいさせてあげることだよ。と言いたいのではないかと思うわけです。
もちろん、以前触れたように、安全な環境で生きているということが前提になるので、親はそこに注力するだけでいいのかなとも思います。
そして、よく最近はアート思考なんて言葉も、聞くことがあるかと思います。
アート思考は、既成概念に囚われずに、自由な発想をすることだと解釈してるんですが、これできる人いますよね。何も教わらなくても。
そう、子どもたちです。彼らは既成概念に囚われずに、自由な発想で遊びますよね?
繰り返しますね。
要は、親であることは遊ばせること。子どもは自然に遊ぶので、子どもをできる限り子どものままでいさせてあげることだよ。と言いたいのではないかと思うわけです。ブラウン博士は。
はい。もうここ伝わればこの章はもういい。
(マイクを床にドロップしてステージを去る)
(去ったあと何事もなかったかのように戻る)
とか言いつつ、博士は次に、チャールズ・ホイットマンの話を持ち出します。
そうです、博士が初めて遊びに関する研究で手がけることになった、あの事件の話です。
チャールズ・ホイットマンの人生と死
はい。この事件は、中々重くて苦くてもどかしい的な事件です。
この時博士は、とある精神医学科の教授だったのですが、この事件のすぐ後に、当時のテキサス州知事の要請により、この事件の調査をすることになります。
(事件に興味があって、英語ができる人は、この資料を読むとこの事件の話題の時にマウント取れるよ多分)
この当時のテキサス州知事、実はあのケネディ大統領暗殺事件の時に銃で撃たれていた知事でして、第二のオズワルドやホイットマンがあちこちに潜んでいるのではないか、それを見つけるにはどうすればいいのかをとにかくはっきりさせろという、割と無茶な要求を博士を含めた調査チームにしたそうです。(パワー!!!!(ハラスメント))
当初研究チームの誰もが、このチャールズ・ホイットマンを、
狂気で精神が錯乱した偏執症の躁病患者の仕業だと予測していたらしい。
しかし、ホイットマンの身元を調べていくと、衝撃的でした。
なぜなら、
彼は愛すべき夫であり息子であり、
元海兵隊員でボーイスカウト史上最年少でイーグルスカウト(ボーイスカウトの最高ランクみたいな感じ)に昇進した人物であったのです。
つまり、出木杉君なわけです、
秀才くんであってくそハイスペックなわけですよ。
表面上は。
その後に、
この事件の特別委員会のみんなで顔を合わせて、見解を共有しあったらしいです。
本当に色んな分野のエキスパートがいたそう。
毒物学・神経学・神経病理学・筆跡学・社会学・精神医学・警察などなど
まあここまで色んな分野の人がいたら、そりゃ見解も一致しないと思うのですが、なんと満場一致しました。
さらにですよ
チャールズの生涯をさらに徹底的に調査すると、もっと驚くべき原因が明らかになりました。
それこそ、チャールズの人生に関わったすべての人に聞き取り調査をしたそうなのですが、
「生涯を通して遊びが欠落していた。」
ということが明らかになったらしいよ。
先に、遊びの足跡で紹介したような種類の遊びは、彼はほとんどすることができなかった。
普通にしていれば湧き出てくるような遊び心を優先できる選択肢など、彼の人生にはなかったのです。
チャールズの家は、支配と恐怖に包まれていて、一般的な遊びのパターンが生まれてくる環境ではありませんでした。
チャールズは他の子どもたちと外で遊ぶことが許されませんでした。
その代わり、ピアノの練習みたいな、なにか「役に立つ」ことをさせられていました。
唯一父親から逃げられるのは、母と食料品店に買い物に行くときだけ。
でも、その時間ですら、父が無線で二人の行動をコントロールしていました。
中々にヤバい家庭ですよね。
でも僕個人の人生を振り返ると、
そんな感じの家庭がチラホラ思い当たるんですよね。
ほんと(絶望)
なんか昨今、通り魔だったり、立て篭ったり、様々な事件が起きているなあと、
日本のニュースを聞いていると感じます。
その際に、犯人について聞き取りしてるやつに、
「普段はすごくいい子でねえ・・・成績もいいし・・・」
みたいなやつ結構おおくないでしょうか?気のせい?
まあいいや。
そして調査の結果、チャールズが人生でしてきたことの中に、
何一つ自分自身の心の内から浮かんできたものはないという結論になりました。
まじで不憫すぎる。
はーーーーーーいここです。
これっす。これこれこれこれえええ!!!!!
もうこれだけでいいからマジで。本質よ。
この大切だけど簡単なことを、成功したい、させたいプレッシャーで忘れてしまうことが私たちにはあるよね、と博士は続けます。
そうなんですよ。
最近こんな記事を目にしました。就活の早期化です。
この件についてはコメントを控えます。(保守的)
クソみたいな風潮で腹が立つからです。(保守から一転攻勢へ。)
教育のゴールの1つが、いい仕事につくこと、仕事を見つけることだとするのなら、きっと今後AIなどテクノロジーの台頭で求められるスキルが変わるであろう世の中において、もっと柔軟に教育機関は対応できるようにしたほうが良い思います。
ですが、その教育を選ぶ権利が(仕方ないけど)親のほうに強くある以上、
その教育は親をターゲットにしてきますよね。
なにが言いたいかというと、
実は、教育が変われない原因は、親が変われないことにあるのではないか?と思うんですよ。個人的には。
前半はここまでにしていきましょう。
後半は、もっともっと、親について話しますよ。
追記:
このまとめをする中で、自分の遊び心を大切にした結果、絵本が生まれました。
もしよろしければ、サンプルだけでも読んでみてください!
絵本のタイトルは、「かみかみかみ」で、子どもと読める内容ですが、
裏設定があります。彼は本当は食べているのかを想像してみて欲しいです!
絵本はコチラ
絵本:かみかみかみ
ほな、次はこちらです。
忙しい人向けの要約
さて第四章『親なら遊ばせよう』の要約です。
まず、博士は、今の遊びの状況についてこう述べている。
という感じで、この章では、
人が胎児期から行う遊びの種類をまとめつつ、
とにかく親は子どもに遊ばせた方が良いという主張が様々実例と共に登場する。
博士は、まずは、親に遊びを思い出しつつ、意識を再度持たせる意図からなのか、遊びの足跡をたどり始める。
実は、胎児のころから遊びがある。それが胎動だ。
胎動も、遊びのプログラムによるもので、手足と脳をうまくつなぐものだそう。
そしてもちろん、生まれ出た後は、それこそ様々な遊びをしていくわけです。
その最初の代表的なステップに、調律現象がある。
これは、子どもが笑顔になると、母も目を見つめながら笑う現象であり、
この調律現象が乏しく育つと、子どもは情緒的に極端に脆く、常軌を逸した振る舞いになる傾向があるそうです。
ほかにも、遊びのおおまかな分類とご紹介をすると、
身体と動きを使った遊び:
身をよじったり、手をぶらぶらしたり、色んなものをかじったり、スプーンをベロベロしたりとか。
物を使った遊び:
スプーンでもおしゃぶりでも食べ物でも。もちろんおもちゃが代表例。生後15ヶ月を過ぎると、好みのおもちゃに強い個性がでてくるらしい。
想像力を使った遊び:
2歳ころから断片的にお話を作るという形で、この遊びの兆候が表れるそう。この想像力は、感情面でのレジリエンスや、創造性、他人への共感能力や他社への信頼をする力に関わってくることが立証されているらしい。
社会性のある遊び:
この遊びは社会的能力というエンジンのガソリンになる。
共通の道具、例えばクレヨンとか絵の具とかを使って隣同士で遊ぶとか、4~6歳ころには協同で遊びを作り上げたり、取っ組み合いごっこや追いかけっこをしたりとか、誕生日のパーティーとかがあたります。
語りとお話による遊び:
ストーリーを自分で語ったり、お話を聞いたりするようなものです。脳の中でも支配的な左半球の、極めて重要な働きになっているのが、どうして物事はそうなっているのかについて、絶えず話を作りだしていくことらしいです。
変容と統合を伴う遊びと創造的な遊び:
この遊びは、新しい行動や思考を試すことで、既成のパターンから私たちを解き放ってくれる。年齢に関係なく、例えば空想ごっこに興じるときは、日常生活という現実を変え、その過程で、新しい考え方や新しい自分のあり方を、育ててくれてます。
まあ、まとめますと、
遊んでる=脳が活性化する=新しい何かが生まれる瞬間
は、遊び全てに共通して言えることです。
さて、
この章は、「親なら遊ばせよう」です。
元の本だと、「parenthood is child's play」ってタイトルなんですねこの章は。
つまり、「親であることはそんな難しいことじゃないよ」という、博士のメッセージです。
親であることは遊ばせること。子どもは自然に遊ぶので、子どもをできる限り子どものままでいさせてあげることだよ。と言いたいのではないかと思うわけです。
もしそれができないとどうなるのか。
それが、博士が次に話す、チャールズ・ホイットマンの話です。
チャールズ・ホイットマンの人生と死
この時博士は、とある精神医学科の教授だったのですが、この事件のすぐ後に、当時のテキサス州知事の要請により、この事件の調査をすることになります。(事件に興味があって、英語ができる人は、この資料をどうぞ)
当初研究チームの誰もが、このチャールズ・ホイットマンを、
狂気で精神が錯乱した偏執症の躁病患者の仕業だと予測していたのだが、
彼は愛すべき夫であり息子であり、元海兵隊員でボーイスカウト史上最年少でイーグルスカウト(ボーイスカウトの最高ランクみたいな感じ)に昇進した人物であったのです。
いわゆる、優秀で模範的な青年でした。
しかしその後に、
この事件の特別委員会のみんなで顔を合わせて、見解を共有しあったらしいです。本当に色んな分野のエキスパートがいたそうですが、なんとそれぞれの分野の意見が満場一致しました。
さらに、チャールズは、
「生涯を通して遊びが欠落していた。」
ということが明らかになりました。
つまり、普通にしていれば湧き出てくるような遊び心を優先できる選択肢など、彼の人生にはなかったのです。
チャールズの家は、支配と恐怖に包まれていて、一般的な遊びのパターンが生まれてくる環境ではありませんでした。
チャールズは他の子どもたちと外で遊ぶことが許されませんでした。
その代わり、ピアノの練習みたいな、なにか「役に立つ」ことをさせられていました。唯一父親から逃げられるのは、母と食料品店に買い物に行くときだけ。
でも、その時間ですら、父が無線で二人の行動をコントロールしていました。
そして調査の結果、チャールズが人生でしてきたことの中に、
何一つ自分自身の心の内から浮かんできたものはないという結論になりました。
この例の教訓として博士は次のように話して、前半の要約は終わります。
次はこちら。
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